敬天愛人 02 貧乏薩摩

文聞亭笑一

いよいよ放送が始まりました。明るい雰囲気で、良い出足ですねぇ。

それにしても・・・正月明けからNHKの宣伝ぶりはけたたましいくらいですねぇ。受信料をもらって経営している法人が、自社の番組の宣伝にあれだけの時間を使うとは…、首をかしげます。昨年の「直虎」の不人気を取り返そうと躍起なのでしょうが、面白ければ視聴率は上がりますし、面白くなければチャンネルを回しません。民間企業が自社の製品を宣伝するために、あれだけの放送時間を買う事を考えたら、その金額に仰天してしまいます。こういうところがマスコミ屋の世間知らずで、傲慢なところですね。

おっと…「たわごと&笑詩千万」ではありませんでした(笑)

初回は顔見せ興行というか、物語の中心人物がすべて出そろった感じですね。妻の糸さんまでが男のなりをして出てくるとは想定外でした。西郷さんは生涯に3人の妻を娶っています。

最初の妻は伊集院家から嫁いだ須賀さん…この人とは一度も交わらずに分かれた・・・ということになっていますが、本当のところは分かりません。ともかく、西郷家が極貧の時代に結婚しています。

二人目は島流しになった奄美大島で同棲した愛加那さん。短い期間ですが二人の子供をもうけています。島の長老の娘ですから、島流しの流人といえども島民たちから信頼されていたであろうことが推察されます。

三人目が糸さんです。西郷38歳、維新運動の中核となって活躍するころに結婚しています。糸さんは西郷さんより16歳年下ですから、初回放映のように郷中組で一緒に悪戯をした仲ではありません。林真理子の原作も、それほど無茶な想定をしていませんので「顔見せ興行のための演出」として笑って見逃しておきましょう。イントロに上野の西郷さんの銅像の除幕式を持って来て、糸夫人の「うちんひとは こげなひとじゃぁなか」という有名なセリフを紹介する都合上の脚色でしょう。

糸夫人が結婚した頃、既に西郷隆盛は征長軍参謀として政治のひのき舞台に立っています。

糸さんは貧乏所帯で今日の飯にも困った時代、島流しにされた奄美や沖永良部で囚人生活を送っていた時代を知りません。ですから、犬を連れて着流し姿の西郷さんを見ていなかったかもしれません。

貧乏薩摩

薩摩藩は現在の鹿児島県と沖縄県、宮崎県の一部を版図に持ちます。

藩が支配する面積だけ見れば、77万石相当の広さがあります。

鹿児島県そのものが全国で10番目に広い県です。さらに離島の数は長崎に次いで2位、沖縄県まで含めるとダントツの1位で、港湾の数は全国一位になります。海洋民族、隼人族らしさというのは、こういう立地を無視しては語れません。

さらに、温泉(源泉)の数も、信州に次いで第2位です。これが何を語るのか・・・

土地は広くとも米の採れぬシラス台地で、桜島をはじめとする活火山の降灰に悩む土地柄です。

第一回目でも、桜島の雄姿が美しい映像として映されましたが、国の中心に火山灰を吹きだす活火山があり、更に南の指宿には開聞岳(薩摩富士)、北には霧島山、さらに新燃岳と控えますから、灰が降らない日はないでしょう。これは農産物には困りものです。雨が降らない限り葉緑素に依る炭酸同化作用ができません。地中にできる薩摩芋、これが薩摩の準主食になるのは当然なのかもしれません。ともかく、人口分の米が取れませんから…、輸入に頼りますから…米の値段は割高です。エンゲル係数は高水準になります。

西郷家のような下級武士の家庭はその影響がモロに出ます。芋混じりの雑穀飯が普通で、白いご飯などは冠婚葬祭でしか口に入らなかったと思います。そればかりではありません。衣類などは洗いざらしの古着を継ぎアテした物ばかりで、テレビで映しているような「チャンとした物」は着ていなかったようです。

現代でいえば北朝鮮の田舎がそうかもしれません。我々のご幼少の頃(終戦直後)がそうかもしれません。配給に並ぶ長蛇の列・・・そんなものを、なぜか覚えています。私の家は羊を飼っていたお陰で冬場にセータを着ていましたが、そうでない家の仲間は、籤が当たらぬ限り毛糸などは手に入りませんでしたね。西郷さんの子ども時代の薩摩を想像するには、終戦直後の日本の姿を思い出すのが良さそうです。

しかし、西郷どんが育った下加治屋町は皆が皆、同じ環境でした。従って貧乏感はそれほど感じなかったのかもしれません。人間の感覚などというものは生命の危険を感じない限り、その殆どが相対的なもので、周りもそうなら貧しさを感じることはありません。「まぁ、こんなもんだ」と許容してしまいます。これが・・・ある意味で怖い所で、北朝鮮に暴動が起こらない理由でしょう。その意味で、かの国は非常に禅的です。「足るを知る」を実践しています。

吉之助出仕

西郷どん・吉之助は下級武士の郷中組では優秀な一人です。二才(にせ)組・・・中学・・・を出ると、優秀な者は藩校に入ります。ここで認められると「お役」につくことができます。上級武士の子息は世襲で役に付きますが、下級武士の子息は受験戦争に近い競争率だったと思われます。

西郷が上級武士の子息に嫉妬され、腕に重傷を負ったのは、この藩校時代でした。我々の世代でいえば高校時代でしょうね。我々の時代でも町場組と田舎組には目に見えない文化格差、伝統格差があって、軋轢を生じた記憶があります。

ともかく、西郷は郡方書き役補佐という職に就くことができました。これは村役場・税務課・帳付け係見習い・・・といった役割の新入職員です。税金の取りたて係です。住民たちから歓迎される役割ではありません。それどころか、税務署員と村の有力者との汚いやり取りが、帳付けをしながら目に入ってしまう仕事です。

正義感に溢れる吉之助にとって、我慢のならぬ事件が続きます。そのエピソードを綴るのが、2回目、3回目の放映でしょうか。吉之助が愛読した佐藤一斎の言志四録には

財を賑わすには租を免ずるに如かず、利を興すは害を除くに如かず

・・・とあります。要するに「経済を活性化するためには減税をせよ。利益を上げるには阻害要因を取り除け(規制緩和・冗費削減)」ということで、これは現代にも当てはまりますが…、それと逆のことをしていたのが薩摩藩でした。いや、日本全国の大名家でした。

この義憤が、西郷の人生を貫いていきます。「愛民」というのはそういう意味で、それに反した行いをする者は藩主であろうが、政府の役人であろうが徹底的に糾弾します。

ともかく、吉之助は与えられた役割と理想の矛盾に悩みつつ、青年時代を謳歌します。