いざ鎌倉!! 予告編 鎌倉街道

文聞亭笑一

青天を衝け・・・の渋沢栄一のラストシーンの余韻に浸りながら、さて来年は・・・とパソコンの前に座るというのは、我ながら・・・苦笑します。貧乏性ですかねぇ(笑)

来年は「鎌倉殿の13人」というタイトルで、藤原氏の全盛期から院政、そして源平の争乱、鎌倉幕府の創設と続き、更には幕府内の権力闘争を描きます。

そして最後に勝ち残ったのが北条執権です。鎌倉幕府は源氏の幕府と言うより、伊豆・北条幕府ではなかったかと思います。

たまたま、私の住む町には鎌倉街道の下津道が走ります。鎌倉街道は幕府の召集がかかれば、騎馬武者たちが「いざ鎌倉!!」と駆けつけるための「軍用高速道路」でした。

以下の地図は、私が小学六年生に郷土史を教えるために使う、鎌倉街道の地図です。

上道(かみつみち)は上信越高速道路です。中道(なかつみち)は東北高速道です。

そして、下道(しもつみち)が常磐高速道ですね。この常磐道の多摩川を渡る手前の屈曲点が私の町です。

テレビのタイトルは「鎌倉殿の13人」ですが、へそ曲りの文聞亭は「いざ鎌倉」をタイトルにします。鎌倉幕府は貴族・公家の世から平民の政治参加、地方実力者の政治参加をもたらした革命政権であったと思います。

革命を主導した人たちを「武士」と言いますが、武士の合言葉が「いざ、鎌倉!!」でした。

主役は北条義時、彼の生きた時代が革命、時代変革の時期と重なります。

北条義時の生きた時代は、激動、戦乱の時代でした。

粗っぽく・・・年表を作れば以下の通りです。

ドラマは、どこに重点を置いて、どう描くのでしょうか。

多すぎるほどに事件が続きますので、時の流れが混乱しそうです。

枡形城

今回の物語では、我が川崎の英雄・枡形城の「稲毛三郎」が登場しないようなのが残念です。

稲毛三郎は「武蔵の国、畠山三兄弟」と言われた三人のうちの一人です。

長男が畠山重忠、鵯越えで愛馬を背負って駆け降りたことで有名です。

秩父を根拠地に埼玉を支配していました。

次男が都築次郎です。

多摩から現在の横浜北部を支配していました。

そして稲毛三郎、川崎市を中心に多摩川下流域を抑えていました。

今回のドラマの主役は頼朝のお気に入り・北条義時ですが、稲毛三郎も負けず劣らずのお気に入りで、頼朝の妹を嫁にもらっています。

義時と同様に信頼されていた証です。

その嫁、頼朝の妹が流行り病で亡くなり、その供養にと三郎は相模川・平塚に橋をかけます。

難工事でしたが無事に落成し、開通式・渡り初めに頼朝がやってきました。

頼朝は上機嫌で、酒も進んだといいますが、その帰路に落馬し、急死しています。

「謎の死?」と言われますが、謎なのか、心臓発作か、脳梗塞か、・・・今回はどう描くでしょうか。