紫が光る 第01回 美人は世につれ
作 文聞亭笑一
平安時代と耳にすると・・・アァ、あの平和な時代のこと・・・と連想しますが、実のところはどうだったのでしょうか。
平安遷都から400年間に内戦らしいものは記録されていませんが、坂上田村麻呂の他、源頼家、義家親子による{蝦夷征伐=戦争}は断続的に続いています。
「近畿では平和だった」と言うことですね。
公家の記録には残っていませんが、中部以東では「縄文体制」対「弥生体制」の戦い・・・植民地戦争が続いていたと考えられます。
安曇野の八面大王
坂上田村麻呂に征伐された蝦夷の一つに私の故郷があります。
長野県中部の松本平に縄文時代以来の豊かな王国がありました。
南から奈良井川が、西から梓川、北から高瀬川の3川が合流する辺り、豊科、明科あたりに大きな集落があり、近在の村々を従えていました。
三つの大河が合流して犀川になり、更に流れ下って善光寺平の川中島で、千曲川と合流して信濃川になります。
奈良朝の記録には「安曇野の鮭」が珍味として記録されていますから、当時は安曇野にまで鮭が遡上していましたね。
住民は安曇族です。
ルーツは諸説ありますが、九州の磐井の乱でヤマトに滅ぼされた安曇族が、日本海から姫川を遡上して逃げ込んだ里と言われます。
この地を治めていた王が八面(やめ=八女)大王で、集落のあった辺りにあるのが山葵(わさび)田で有名な「大王農園」です。
皆様も安曇野観光で立ち寄ったことがおありかも知れませんね。
坂上田村麻呂は信濃を制圧し、碓氷峠を越えて関東に入り、毛野族を従えて東北に向かったと言われます。
毛野族・・・北関東に大勢力を張っていた蝦夷です。
その名残が現在も地名として残ります。
群馬県は上野の国、栃木県は下野国ですが、京都朝廷によって二文字に圧縮されてしまいましたが元々は「上毛野」「下毛野」です。
ですから読み方は「こうずけ」「しもつけ」ですね。この二県を走るのが両毛電鉄・・・この地方は古代の「毛野」なのです。
奈良時代から平安時代前期に掛けて関東平野には北の毛野と、南の武蔵・・・二つの縄文系王国がありました。
これを植民地化し、さらに同化していったのが奈良朝から平安朝だと思います。
古代朝廷の律令制の基本は「公地公民」です。
土地の私有は認めません。
これに逆らったのが蝦夷・・・縄文系の先住日本人でした。
だから征伐、討伐されます。
大和朝廷により関東各地で官営の田園開拓が進められ、荘園化されていきます。
先住民の蝦夷は奴隷として田園開発や、農耕に使役されます。
当時の荘園では鉄製の農機具である鍬や鋤は荘園の役人が管理しています。
農民は荘園に出勤して、農機具を借り受け、働いて日暮れに道具を返します。
自分の農機具さえ持てませんから、自分の土地など夢のまた夢。
平安時代というのは鉄という産業上の貴重品・・・これを抑えていたのが朝廷や寺社でした。
しかし、鉄の生産量が増えていきます。
朝廷の目を潜った密輸の鉄が関東にも流れてきます。
また、製鉄技術者や鍛冶職人も関東に流れてきます。
関東の杉山神社は製鉄の神です。
私有の農機具が、私有の開拓地を生みます。
普及してきた鉄は武器として私有されていきます。
一所懸命・・・に私有地を守る武士団の発生、それが平安後期です。
関東に武士団が多く発生したのは、それだけ朝廷の搾取がキツかったと言うことでしょう。
作用、反作用の法則ですね。
日本人と血液型
先日、ふと目にした司馬遼太郎の対談集に面白い記事が載っていました。
日本人で初めてノーベル賞を取った湯川秀樹博士との対談ですが、物理学者の湯川博士が歴史や民俗に造詣が深いのには驚きました。
湯川さんが言うには「地方によって血液型の多数派が異なるという統計がある」と紹介しています。
瀬戸内海地方から近畿圏はA型の割合が平均よりも高い・・・弥生人かも?
信州から東はB型の比率が高くなる。
・・・縄文人かも?
太平洋沿岸地域(高知、徳島、和歌山、千葉、三陸沿岸)はO型が多い・・・海人族?
現在では血が入り交じって地域的傾向はわからないでしょうが、昭和前期の統計のようです。
日本人のルーツに繋がる話ですから興味深く読みました。
ついでに日本語の由来についても対談があり、日本語に最も近いのはモンゴル語のようです。
日本語は「主語-目的語-動詞」の構造です。
私は、学校に、行く。
世界の大多数は「主語-動詞-目的語」です。
私、行く、学校へ
I go to school
モンゴル語が日本語と同じだと言います。
それでか!と、妙に納得したのがモンゴル出身の相撲取りの日本語の巧さです。
単語さえ覚えれば文法が一緒ですから習得は早いですね。
ウラル・アルタイ語族だとか言いますが、日本原人(最初の先住民)は氷河期に北から氷の海を歩いて渡ってきたのでしょう。
その後、温暖化で南洋の島を追われた海人族が太平洋沿岸に辿り着き、原人と混血しながら縄文人になっていきます。
そして、東シナ海、朝鮮半島を渡ってきた稲作・弥生人が九州から瀬戸内、近畿に王国を築いていく。それが古代史でしょうね。
美人談義
紫式部の書いた「源氏物語」では第二節の「箒木」で「雨夜の品定め」などと美人談義をやっていますが、司馬遼太郎と湯川秀樹も美人談義をしています。
歴史文学のトップと大博士の対話ですから信用してしまいそうになりますが(笑)所詮は「美人は世につれ、世は美人が動かす」みたいな話でした。
曰く
奈良朝時代の美人は高松塚古墳の壁画・・・高句麗系の、丸顔で下ぶくれ
平安時代も同様で、物語絵巻に出てくる美女はふっくら、ぽっちゃり
こういう美女系の産地?は出雲。
京の公家達は出雲から若い娘達を呼び、下働きをさせながら教育し、子を産ませ、自分の家系に加えていく。
もし、絶世の・・・と言うほどの娘が生まれたら、上級貴族に輿入れさせ、その縁故で自分の官位を上げていく。
さもありなん・・・と言う推論です。
我々も高校生の時分から美女の品定めを良くやりました。
ただ、美人は高句麗から来た・・・と言うところは、そうかも知れぬと思います。
古代に高句麗から出雲へと鉄を求めての移住が盛んに起きました。
いや、鉄を求めてではなく燃料を求めてです。
朝鮮では製鉄のために山の木を切りすぎて禿げ山だらけになりました。
製鉄には木炭が必須です。
製鉄のための木を求めて朝鮮から出雲へ100人単位の大量移民が起きます。
砂鉄を原料にした蹈鞴(たたら)製鉄の技術を持った移民です。
対談で・・・八岐大蛇とは「山の木を切ってしまい、洪水を引き起こす困った奴ら」などと発想は飛びますが、ちょっと時代が違います。
ともかく主演の吉高由里子さんは、丸顔の平安的美人に近いタイプですね。