紫が光る 第48回 百人一首に

作 文聞亭笑一

大河ドラマ「光る君へ」もいよいよ最終回になりました。

どういうエンディングになるのか?作者の腕の見せ所でもあります。

紫式部は没年すら明らかではありませんから、作者がどう推測するのか・・・興味津々です。

さて・・・今回はまとめの意味を込めてドラマに登場した人物で、百人一首に歌が残った方々の歌を集めてみました。

順番は百人一首の番号の順です。

53 道綱の母 (道長の父・兼家の妾)

嘆きつつ 一人ぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る

兼家の訪れるを待つ間の寂しさを・・・恨み節にした歌です。

道綱・・・道長とのコネだけで出世した公家として描かれましたが、政治的にも芸術面でも目立ちませんでした。

しかし、彼が目立って劣っていたわけではなく、多くの公卿は道綱程度の能力だったようです。

54 儀同三司(伊周)の母

忘れじの 行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな

伊周の母として名が残りましたが、歴史書には高階貴子という名が残っています。

中関白家の正妻であり、伊周、定子、隆家と道長のライバル達を育てました。

ただ、兄弟や親族達が道長や彰子を呪詛するような事件を起こし、政界から消えていきました。

55 大納言公任

滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ

何をやらせても「当代一」・・・と言われた公任卿ですからこの歌だけでなく「名歌」と言われる作品を幾つか残しています。

朝まだき 嵐の山の寒ければ 紅葉の錦着ぬ人ぞなき

嬉しさを 昔は袖に包みけり 今宵は身にも余りぬるかな

春来てぞ 人もとひける山里は 花こそ宿の主なりけり

56 和泉式部

あらざらむ この世のほかの思ひ出に 今一度の逢うこともがな

ドラマにはチョイ役程度しか出てきませんでしたが、この時代のプレーガールとして多くの親王や公家と浮き名を流しました。

男との贈答歌の多さは当代一でした。

彰子のサロンに顔を出していた時期は短かったようですね。

57 紫式部

巡り逢ひて 見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな

道長との逢瀬には必ずと言って良いほど月が出ています。それを二人して眺めます。

道長の「このよをば・・・」の歌といい「月」が今回のドラマの脇役でもあります。

58 大弐三位(紫式部の娘・賢子)

有馬山 猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする

紫式部の娘・賢子です。

再婚した高階成章が太宰府の大弐となりましたから、その関係で大宰大弐の官名で呼ばれます。

後一条院に上がり後冷泉天皇の乳母となりました。

天皇の乳母ですから・・・出世して官位は母や祖父を越えて三位にまで昇進しました。

59 赤染衛門

やすらわで 寝なましものを小夜更けて 傾くまでの月をみしかも

道長の妻・倫子に頼まれて道長の一代記である「栄花物語」を書いたと言われます。

しかし、栄花物語が出来上がった時まで生きていたとすれば・・・130歳くらいまで生きたことになってしまいます。

「栄花物語」の作者は二人以上だったと思われます。

60 小式部内侍(和泉式部の娘)

大江山 行く野の道は遠ければ まだ文も見ず天の橋立

母の和泉式部は彰子サロの一員でしたが、娘も宮中に上がります。

賢子と同様に親子二代の宮仕えです。

61 伊勢大輔

いにしえの 奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな

彰子サロンの一員で紫式部の後輩になります。

歌の名手として有名で一条天皇に贈られた八重桜への返歌を求められ、即座にこの歌を詠んだと言われます。

「九重」とは宮中のことを指しますので、奈良から京の都の献上された八重桜だったのでしょう。

62 清少納言

夜を籠めて 鶏のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ

百人一首の編集の順番は時代を行ったり来たりしますが、平安中期の作者を一括りにしています。

その意味では清少納言が紫式部の前、伊勢大輔が紫式部の後・・・というのが時代の流れになるでしょうか。

まぁ・・・どうでも良いことです。

それにしても公任を除いては女性ばかりが選ばれています。

文学の世界では女性上位の時代だったのでしょうか。

ドラマの前回の終り方はドッキリ風でしたね。

「あなた方の不倫を私が知らないとでも思っているの?!」

倫子の、ちょっと凄みのある台詞で終りました。

さぁ、最終回はどうなりますか?


一年間のおつきあいをありがとうございました。

来年をどうするか? 主役がマイナーな人物だけに考え所です。