紫が光る 第36回 孫皇子誕生
作 文聞亭笑一
先週の「道長暗殺計画」は思いも寄らぬ邪魔が入って失敗に終りました。
伊周までもが吉野の山中に出掛けて行ったり、隆家が道長一行への通報に出向き邪魔に入ったりなど・・・目立ちすぎて、わざとらしくて、あり得ない設定でした。
が、検非違使(警察)が情報をつかみ、なにがしかの動きをしていたようではあります。
「暗殺の噂」と記録されているのは実資の小右記だけで、それ以外の日記には登場しません。
実資は検非違使庁のトップでもあります。
未遂、証拠不十分と隠密理に処理されたのでしょう。
その後の隆家
隆家は兄の伊周とはひと味違った動きをします。
伊周は最後まで道長とは敵対し、敦康親王を担いで復権を狙いますが、隆家の方は時に道長を支援する行動にも出ます。
ずっと後のことですが、隆家が太宰府の長官であった時期(1019年)に「刀伊の入寇」という大事件が起きます。
刀伊(女真族・・・満州)が南進し、朝鮮半島沿岸を荒らし回り、その勢いで対馬、壱岐を襲い、さらに博多へと襲来した海賊事件です。
この時、太宰府の長官だったのが隆家で、九州の豪族達を指揮し、族を撃退し、さらに、捕虜となっていた壱岐、対馬の人々を救出する活躍を見せました。
なんとなく・・・拉致被害者を救出した小泉純一郎を思わせるような活躍でした。
上級公家には珍しく武闘派の雰囲気もあって、九州での人気は絶大だったようです。
道長政権にとっては外交上の危機でしたが、隆家の活躍で事なきを得ました。
それもあってか伊周が没落した後も隆家の家系は生き残り、女系で天皇家と血脈を結び、後世にまで名を残します。
150年後の平治の乱で、乱の主役となる関白・藤原信頼は隆家の家系だと言われます。
彰子懐妊
藤式部の恋愛コーチング?性教育?の良さがあってか、彰子が懐妊しますが、その事実は「他聞に及んではならぬ」と厳重に伏せられていたようです。
懐妊の事実がわかったのは前年の暮れで、「他聞に及ばず」の記事があるのが3月中旬、行成が「皇子誕生の夢を見た」と彼の日記「権記」に記したのが3月19日です。
行成は一条天皇の側近でしたが、敦康親王(第一皇子)の侍従長でもあります。
にもかかわらず、正式には情報が伝わっていなかったようで、情報管制の厳しさがうかがえます。
これだけ隠密にされたのは、呪術などで調伏される危険を避けるためでしょう。
道長が伊周一派をいかに警戒していたか・・・わかるような事例です。
伊周にとっては定子の産んだ敦康親王こそが復権の切り札ですから、彰子が子を産む、ましてやそれが男子であることは都合が悪いのを越えて危機でもあります。
母方の実家・高階一族の力も借りて、皇子誕生は阻止したいところです。
高階家は安倍清明のような陰陽師ではありませんが、神社の宮司を務めてきた家柄です。
宗教的な易法などの技術を持ちます。
この高階家が伊周に協力して復権を画策し、それがまた墓穴を掘っていくようになります。
焦らずに待てば良いものを、待てず・・・敦康親王や一条天皇まで苦しめることになります。
紫式部日記
4月13日「懐妊5ヶ月の祝い」で「中宮懐妊」が公表され、出産のために彰子は実家の道長邸へと里帰りします。
そこから式部のもう一つの作品「紫式部日記」が始まります。
これも道長からの依頼によるものです。
男が入れない奥での彰子の様子を式部にレポートさせる・・・といった目的だと思われます。
専用の紙も大量に用意したようですね。
道長の式部(まひろ)への期待の大きさがうかがえます。
さて、この頃から「藤式部」から「紫式部」への改名?・・・というか、呼称変更が起きるのですが、それは源氏物語が書き進まれる、読み進まれる状況と符合します。
源氏物語は第五帖の「若紫」に入っています。
光源氏が幼い紫の上を連れてきてしまう話ですから、前回の放映では中宮・彰子も自分の身に重ねて「妻になるが良い」と呟いていました。
「紫」が話題、評判になり始めています。
・・・あるとき、ある場面から藤式部は紫式部になります。
紫式部日記は「歌の往復と文章」で成り立ちます。
誰かが歌を送り、それに紫式部が返歌をする
そして、その間の事情というか、情景について語る・・・という構成になります。
有名な道長と紫式部の「女郎花の歌」のやりとりなど、いずれ出てくるでしょうね。
女郎花 盛りの色を見るからに 露のわきける身こそ知らるれ
(紫式部)
白露は わきてもおかじ女郎花 心からにや色の染むらむ
(道長)
この歌の交換は彰子の産休というか、土御門亭(道長邸)に滞在中のことです。
二人の関係がうっすらと滲んでくるようで意味深ですね。
解説は映像が取り上げてからにします
この時代の天皇家の後継ルール
テレビが放映している少し前の時代から、天皇家の後継ルールが暗黙の裡に決まってきました。
村上天皇の後を第一皇子の冷泉邸が継ぎます。
が、この人は精神障害があったようで早期に退位し、弟の円融天皇に代わります。
が、皇太子は冷泉系から出すという条件でした。
要するに本家筋は冷泉系です。
かくして円融の後は冷泉の皇子の花山天皇でしたが、道兼の謀略で退位し、一条天皇になります。
が、皇太子は冷泉系(のちの三条天皇)です。
ですから一条天皇の後は三条、そしてそのあとは一条の子が皇太子になるということです。
権力が一部に偏らないように…という公家社会の知恵だったのでしょうが、道長の時代に冷泉系は断絶します。
彰子の産んだ皇子の系統が皇位を継承していきます。
そうなったときに道長が詠んだ歌が
この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたることのなしと思わば
でした。
彰子の産んだ皇子が後一条帝となり、そしてその弟が後三条帝へ、さらに、後一条の皇子・後朱雀へと彰子系図が天皇家の正統となります。
道長にとって孫、ひ孫です。
彰子の出産をNHK大河はどう描くのか、それがわかりませんのでここまでにします。
源氏物語の展開と、政局の流れと・・・結構、同期しています。
当時としては「問題小説」だったでしょうが、発行元が道長では・・・反対派も文句は言えませんね。