紫が光る 第12回 和歌と漢詩
作 文聞亭笑一
前回も、今回も、ちょっとした濡れ場がありました。さっそく口やかましい向きが「子供が見ている時間帯に不謹慎・・・云々」とイチャモンをつけていますが、視聴率が僅か10%~12%程度の不人気?番組で、しかも視聴者は高年齢層と言われていますから騒ぐほどのことではないと思います。
それよりも韓流ドラマに似た感じがして…変な気分です。
宮廷政治、貴族政治とは何処の国でも同じなのでしょうか。
脚本家が「韓流」を真似していないことに期待します。
呪詛・・・呪い
右大臣家の罠にはめられ失脚した花山法皇が、その口惜しさを晴らそうと呪文を唱えていました。
呪文の文句、主文は聞き取れませんでしたが、くり返し発言されていた「・・・そわか」という結語は耳に残りました。
二年前の「鎌倉殿」でもよく耳にしました。
改めて調べてみると「そわか・薩婆詞」は仏語です。
「事が成る」「事が成就する」という意味のようで、「私の願いが達成されますように・・・」という強い願望を表す言葉でしょうね。
よくわからないのが仏教と神道で、陰陽道などは神道の一派です。
こちらも祈祷や呪いを行います。
仏教は・・・呪いのような・・・他者を貶める事とは関係ないと思っていましたが、真言密教などではそういうこともあるのでしょうか?
確かに、元寇の時などは神道も仏教も関わりなく、国家を挙げて「怨敵退散」と護摩を焚き、祝詞を上げていました。
こういう行為を、現代の法律は取り締まる術を持ちません。
「呪いが効果的だ」と科学的には証明できませんから、相手にわからずやっていることは罪になりません。
が、呪詛の事実が公表されると、脅迫罪が成立します。
「イジメ」という行為も呪詛のようなものです。
いや、加害者側が呪詛するのではなく、被害者側が相手を呪い、それが達せられなくなって・・・自殺に繋がっているのかも知れません。
呪いなどという行為は非道徳として排除したいところですが、追い込まれたら頼るところは信教でしょうか。
信教の自由は保障されています。
花山法皇の願いは叶わず、数珠が千切れて飛び散り・・・北斗七星の文様になりました。
仏教、神道、陰陽道、天文道・・・科学のない時代はすべて神秘的でした。
和歌と漢詩
道長とまひろが互いに文のやりとりで思いを伝え合っていたのがここ2回の物語です。
道長が歌を贈る・・・それにまひろが漢詩を返す、と言うことが繰り返され、そして濡れ場へと繋がっていきました。
このやりとりは当時としては極めて異例で、本来は逆であるのが普通です。
男性は教養として漢詩を作る。女性は和歌を詠む・・・のが常識です。
今回はその逆をやっています。
道長が和歌を贈り、まひろが漢詩を返します。
しかし、二人のやりとりはいずれもオリジナル作品ではありません。
道長は古今集の名歌を借用して自分の思いを伝えていますし、まひろも中国の詩人・陶淵明の「帰去来辞」の一節を使って返事をしています。
この辺り・・・NHKは不親切で、和歌と漢詩の意味、文意の解説をしてくれませんから、歴史好きな文聞亭でもラブレターに秘められた互いの思いは読み取れませんでした。
<なんだか良くわからないが・・・恋文をやりとりしている> ・・・と言う程度。
そして濡れ場や濃厚キスとなれば、「♬♬愛しちゃったのよぉ ララ ランラン・・・」という中身かと・・・勘違いします。
ネット上に詳しい解説がありましたので紹介します。
まず、道長の最初の恋文は・・・ 古今集の藤原興風の歌です。
思ふには 忍ぶる事ぞ負けにける 色には出でじと思ひしものを
<忘れようと我慢してみたがダメだ、忘れられないよ 君のことが>
帰りなんいざ 田園まさに枯れんとす なんぞ帰らざる 陶淵明の漢詩の初句
<あなたの仕事は天下国家のこと、乱れた世を正すため、政治に戻ってください>
死ぬる命 生きやもすると試みに 玉の緒ばかり逢はむといわなむ
・・・これも興風の歌、命がけの恋心を伝えます
<貴女に振られたら私の命は尽きる。冗談でも「逢いましょう」と行ってくれ>
まことの道に迷うこと それ未だ遠からずして 今の是にして昨の非なるを悟る
私たちは道に迷いました、が、まだやり直せます。
<過去のことは別として、未来は変えることが出来ます。
恋などから醒めて政道に戻ってください。民のために働いてください>
命やは 何ぞは露のあだものを 逢うにしかえば惜しからなくに
<人の命など露のように儚い。貴女に会えないのなら死んでも惜しくはない>
これは有名な紀貫之の従兄弟・紀友則の歌ですね。
古今集です。
道長が押しに押して、実現したのが六条廃屋での密会、濡れ場のシーンでした。
陶淵明の詩は長歌ですが、まひろは初句(最初)と結句(最後)を使っています。
古今集からの借り物の歌で求愛する道長に、漢詩の古典で切り返す才女・・・良い勝負ですね。
道長が恋文に使った歌の作者、藤原興風、紀友則はどちらも百人一首に名を残しています。
誰をかも 知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに 興風
久方の 光のどけき春の日に しず心なく花の散るらむ 友則
源氏物語の舞台裏
二人が密会に使ったのは六条の廃屋だと言います。
ここらにも・・・源氏物語の予告編というのか、伏線が見え隠れします。
怨霊となって光源氏の恋人達にとりついていく執念深い六条御息所とか、一夜の恋に泣く夕顔とか・・・
いずれ解説してくれるのかも知れませんが、ここまでの放映では「行間」まで読めません。
今回の低視聴率の原因は、タダですら親近感のない平安貴族の世界を「源氏物語」「枕草子」「更級日記」などは当然知っている・・・と言う前提で進めていることではないでしょうか。
古文、漢文は高校生の頃に習いますが「この科目が得意だった」というのは・・・・・・文聞亭などの変わり者で、仲間のみんなは苦手にしていました。
文聞亭は古文、漢文が得意な代わりに英語、外国語は大の苦手でしたね。