紫が光る 第08回 陰陽道
作 文聞亭笑一
7回目が終りました。紫式部・まひろの衣装が2回目から7回目まで全く替りません。
赤の内衣に黄色の打ち掛け・・・代わりを買う金もないほど貧乏だったのだ・・・と言うことでしょうか。
よく似合っていますし、目立ちますから変えなくても良いですが、着替えがなければ汚れるよね・・・などと余計な心配をしています。
陰陽師 安倍晴明
前回の放送で右大臣・兼家の依頼を受けて安倍晴明が花山天皇の中宮・詆子を呪詛し、死に至らしめると言うような汚い仕事の請負をする場面をやっていました。
陰陽師とは・・・なんとなく、西洋の魔法使いのおばあさんのような・・・おどろおどろしい印象ですが、呪詛、呪いなどは陰陽師の本来の役割ではありません。
当時の最大の関心事は稲作の吉凶です。
農業が経済の中心ですから稲作を安定させるために暦を作ります。
暦に従って農作業を進めるよう、農民を指導します。
現代の気象予報士的な、農業指導員的な役割が陰陽師に期待されていました。
安倍晴明が身につけていたのは陰陽道、暦道、天文道だと言われます。
「道」が付いていますから道教とか、神道とかを連想して「宗教ではないか?!」と勘違いしますが、これらの「道」は宗教とは違います。
むしろ「技術」とか「職人技」に近い概念ですね。
書道、茶道、歌道、華道・・・などの「道」と同じ意味です。
陰陽師は占いなどもしますが、これは・・・いってみれば心理学、マインドコントロールのような、欺術です。宗教家は「信じるものは救われる」と言いますが、「信じる者は騙される」のがオレオレなどの詐欺です。
呪詛もマインドコントロールの一手法でしょう。
呪詛があっても、された本人が、そのことに気がつかなければ何の効き目もありません。
が、呪詛されていると知ったとたんに猛烈に不安になります。疑心暗鬼に陥り精神がやられます。
精神がやられると、身体全体のコントロールが狂いだし、死に至ることもあります。
呪詛をやった右大臣・兼道の方が、その仕返しを怖れて夜中に震えている場面がありましたが、あんなものだと思いますね。
安倍晴明の身につけていた技術の多くは天文学、数学、統計学のようなものだったと思います。
とりわけ数学の分野に明るかったようで、道長の代になると大蔵省・主計局の官僚に抜擢されて、正四位下・主計頭(次官級)にまで出世しています。
当時の官僚達の数学的教養レベルは加減算程度でしたが、安倍晴明は加減乗除ができたのではないでしょうか。
加減算しかない世界に乗除の出来る者が現れたら、それは天才か、いや、魔法使いでしょう。
貴族とは?
貴族社会の出来事を中心に物語が展開しますが、それを現代の四民平等、民主主義の世界と近づけるためにか、直秀などの散楽集団を登場させて批判勢力、マスコミ的役割を担わせようとしていますが、あそこまでの政権批判が出来たかどうか・・・まずは無理でしょうね。
当時の庶民は政治家、堂上人にどれほど関心を持っていたのでしょうか。
天皇家や大臣達による政争などには無関心というか、別世界の出来事と無視していましたね。
貴族、公家と言われたのは五位以上の役職を持つ人たちのことです。
最下位が従五位の下で、地方長官ですね。
戦国から江戸時代にかけて大名、殿様達はみんなこの身分でした。
それでも喜んで位をもらったのは、殿上人、公家、貴族、という名誉に預かれるからです。
朝廷は「位打ち」という武器を使って武士達をコントロールしました。
戦国期に、この朝廷の位階を無視したのが信長、それを逆手にとって自らが公家になり、最高位の関白になったのが秀吉、そして位階推薦の人事権を奪ってしまったのが家康です。
それほどありがたがる貴族にはどんな利権があったのでしょうか。
一つは役職に応じた収入・利権ですね。
公地公民から得た税収の分け前に預かれます。
そして、その権利が世襲できます。 利権とその世襲・・・これが貴族の特権でした。
打毬と蹴鞠
右図が江戸時代の打毬の絵です。
紅白二組に分かれ、自分の色の球を掬い上げ、ゴールに運んで投げ込みます。
それをさせないように妨害して、敵よりも早く自分の球をゴールに入れ、最後の一球、自軍のすべての球をゴールインさせたら勝ちです。
右の絵では右上の紅組(赤い笠)の選手が赤玉を拾い上げようとしていますが、白組(白い笠)の選手三人が妨害していますね。
発祥は紀元前のペルシャです。
ペルシャからシルクロードを東に伝わり、唐で「打毬」になり、奈良時代に日本に伝わりました。
同様にインドに伝わっていた者をイギリスに持ち帰り、近代化したのがイギリスのポロです。
ポロのルールでは広大な馬場と、選手一人につき馬四頭が必要です。
普及しませんね。
日本では江戸時代に将軍吉宗が馬術向上のために奨励して各地に広がりました。
南部家に伝わったものが八戸に、上杉家に伝わったものが山形県に残ります。
蹴鞠の方はサッカーの前身のように見えますが、蹴り合い、球を奪い合うサッカーとは全く違って「球を落とさない」ことが大事な競技です。
出来るだけ多くの競技者がたまにタッチして、しかも落とさず何回続くか・・・それを競い合います。
現代ではサッカーの練習でやるリフティングのようなものです。
和を以て貴しの日本的遊びです。
平安時代に名人と言われた公卿達は1000回を超えたと記録に残ります。
やる方も疲れますが、数を数える方も大変ですね。
平安装束に木靴で蹴る・・・そちらの方が大変に思います。動きにくいでしょうね。