紫が光る 第03回 高度成長期
作 文聞亭笑一
前回から大人になった紫式部・・・まひろ・・・が登場しました。
丸顔、ぽっちゃりの平安型美人ですね。
恋歌の代筆などでアルバイトをしていますし、袴の儀などもしていますから15歳くらいでしょうか?
平安時代の15歳は女性の結婚適齢期です。紫式部の婚期が遅れているのは事実だったようですね。
婚期が遅れた理由は父親の稼ぎの少なさだったようです。
平安時代の婚姻は「通い婚」です。通い婚とは男が妻の実家に通う形ですから、夫婦の新居は妻方の屋敷になります。
財力、敷地に余裕があれば別棟を建てるか、屋敷を建て増しして座敷を用意するのですが、それができないと高位の男とは結婚できません。
まひろもインテリですし、父親も気位が高いので「下位の官僚でも良い」などという妥協はできなかったでしょう。
高度成長期
まひろが生まれたのが973年、そして2回目の舞台が990年頃とすれば、平安時代400年の中でも最も経済が伸びた時期ではなかったでしょうか。
前回書いたように律令体制からの規制緩和で、全国的に私有地が拡大しています。
公地公民と鉄(農機具、武器)の国家管理が崩れ、鉄製の農機具を持つ地方の有力者によって開拓農地が増えます。
開拓者一代に限り・・・という規制緩和が、開拓後三代に限り・・・となり、ついには永年私有となっていきます。
この結果、農業生産量が飛躍的に増えたのが関東、東北でした。
近畿から新天地を求める開拓者が東に向かいます。
縄文的採集生活や弥生的稲作で生活していた現地人(蝦夷)が移住者と共同で開拓に当たります。
近畿から来た開拓者が持つ鉄製の農具や稲作技術と、現地の人々の労働力が一体となり、河川の上流部から順次に田園が開けていきます。
稲作の生産量が増し、食料が豊富になって人口が増し、更に開拓が進むと言う・・・好循環に入ります。
農業生産が増えれば、それを商う流通業や、さらに道具類を生産する工業と、衣食住を扱う事業が拡大します。
平将門、藤原純友の乱
高度成長が始まったのがいつごろか?
多分、900年頃ではなかったかと思います。
とりわけ関東平野での経済が大きく伸び、経済力を持った地方豪族が生まれてきます。
この人達の出身は都から国衙、郡衙に役人として派遣された公家の二男、三男が地方に永住するケース
伊勢社
近畿から来た開拓団の成功者が農民達を組織化します。
稲荷社 八幡社
縄文系(蝦夷)の人々の有力者が伝統的組織を強化していきます。
諏訪社 熊野社 出雲社
などなど様々ですが、5公5民の税制には不満です。
まぁ、いつの世でも「税金は安いほどよい」というのが納税者の心理ですから、不満は当然ですが、都から赴任してくる受領(ずりょう・・・県知事)の政治姿勢で不満が爆発します。
村単位での百姓一揆程度の反抗なら「話せばわかる」と片付くのですが、豪族達が連合してしまうと戦争に発展します。
関東で起きたのが平将門の乱、瀬戸内海地方で起きたのが藤原純友の乱でした。
これが940年頃です。テレビの時代から50年ほど前のことですね。
日本人の苗字
今回のドラマに登場する人は圧倒的に「藤原」さんが多いのですが、現代でも藤原を名乗る人が多くいます。
藤原姓は現在の苗字ランキングでは48位ですが、下の表のようにトップの佐藤のほか、伊藤、加藤、斎藤などが並び、34位 藤田、35位 後藤、36位 近藤、 38位 遠藤、41位 斉藤、45位 藤井 など50位以内に並びます。
図表
第一位の佐藤さんの由来には幾つかの説があります。
① 平将門を討ったのは藤原秀郷・・・大谷翔平的
藤原秀郷は平安時代のスーパーヒーロー
佐野(栃木県)に陣を敷いていた
佐野にあやかって名乗った・佐野の藤原
② 最初に佐藤を名乗ったのは佐渡守の藤原さんだった。
佐渡の藤原
③ 藤原家に仕えた家来や大番役が「佐(すけ・次官)」の藤原と名乗った。
大番役・・・地方の武士達は京都の護衛として、3年間ほど赴任する義務がありました。
その間、国守を務める藤原氏・貴族の御家人として勤務します。
勤務に要する費用はすべて自前。
国主である藤原家の代官、次官、家老、大番頭、代理人・・・要するにNo2・・・国家老
④ 明治政府が苗字令を出したときの凡例に「佐藤」や「鈴木」などがあった。
例えばこういう風にと・・・例を示しました。
役人の云う通りにした人も多かったとか。
ちなみに伊藤さんは「伊勢の藤原」加藤さんは「加賀の藤原」斉藤さんは「斎(神主)の藤原」などなど・・・本当か、嘘か、わかりません。
斉藤さんは斎藤と同じとすれば順位が変わりますね。
渡辺さんも渡邉、渡邊、渡部を加えると? 順番が変わります。
典型的な海人族のルーツのようで海岸地帯に分布します。
渡辺姓ですが、地方によってはかつて「渡辺プロジェクト」という運動があって、結婚届を出す際に渡邊や渡邉から渡辺に変更するように指導があったようですね。
全国順位は表の通りですが、東日本と西日本では姓の分布が異なるようで、東の一位は鈴木さん、西の一位は田中さんです。
文聞亭の苗字・市川は99番目で、埼玉から岐阜までの中部山岳地帯に多い苗字でした。
姓については、夫婦別姓とか、系図がどうのこうのとか、色々ありますが自分のルーツを知る手がかりでもあります。
十二単(ひとえ)
12枚もの重ね着、さぞや重かろうと思うのですが、この時代の繊維の殆どは麻布です。
絹はよほどの金持ちでないと手に入りません。
麻布の場合ですと、夏場は風通しが良くて快適ですが、冬は寒い。
12枚重ねて丁度良い?
色鮮やかな染料は全国からの税、租庸調の「調」で集めました。
武蔵国橘樹郡の調はアザミの根・・・赤色の染料でした。