紫が光る 第07回 平安の教養
作 文聞亭笑一
段々と・・・平安貴族の権力争いの場面に入ってきました。
時代こそ違え、政権党の内部での派閥争いも同じ事でしょうね。
利権・・・権力と私利・私欲が一体化します。
藤原家の小野宮流と九条流
平安中期の西暦1000年前後の朝廷では、藤原北家の中でも主流派だった小野宮派を、新興勢力の九条派が追い上げるという展開でした。
小野宮流とは藤原北家の嫡流です。
嫡流の総本家は藤原実資なのですが、円融・花山天皇の代に実権を握っていたのは関白の藤原頼忠の家で、頼忠の息子、その後継者が藤原公任です。
この主流派から権力を奪い取ろうと画策しているのが右大臣の藤原兼家、九条流藤原です。
前回の放送では兼家の、長男・道隆が「公任に大きな顔をさせるな」と漢詩の会などを開きました。
パーティーを主催することで「自分の方が公任よりも上位」と印象づけたかったのです。
右大臣兼家と息子の道隆・・・九条流 vs 関白頼忠とその息子の公任・・・小野宮流
関白家と右大臣家の真ん中に挟まって、右顧左眄するのが左大臣・源雅信ですね。
その動きを監視するためのスパイに送り込まれたのが紫式部・まひろと言う設定です。
貧乏公家の娘・・・と言うとおり毎回着ている衣装が同じです。絵にしてみました。
バックにしたのは飛騨・白川郷の合掌造りですが、まひろの父が任官して派遣されたのは越前です。
越前から峠一つ越えれば飛騨、飛騨から峠一つ越えた越中・五箇山にも合掌造り残っています。
越前にも伝わった?? と言うことにしたいと思います。
画題は「越前での紫式部」
平安時代の地方官僚(受領)の官舎はどんなでしたでしょうか。
京風の寝殿造りではなかったと思いますから、案外この絵に似ているかも知れません・・・と我田引水、屁理屈の極みですが、自己弁護しておきます(笑)
後の話ですが、まひろも父の越前守赴任に同行して越前に行っています。
水が合わなかったのか・・・一年で京に戻っていますね。
清少納言登場
清少納言と言えば・・・枕草子。改めて第一段の四季の詩を読んでみます。
春は曙。
ようよう白くなりゆく山際すこし明かりて、
紫立ちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。
月の頃はさらなり、闇もなお蛍の多く飛びちがいたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光てゆくもをかし。
雨など降るもをかし。
秋は夕暮れ。
夕日の差して山の端いと近うなりたるに、
烏の寝所にいくとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさえあはれなり。
まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入りはてて風の音、虫の音などはたいふべきに非ず。
冬はつとめて。
雪の降りたるはいうべきにもあらず、
霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに
火など急ぎおこして 炭もて渡るもいとつきづきし。
ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰勝ちになりてわろし。
(意味など考えずに古文、大和言葉の韻律を味わう方が良いですね)
紫式部と清少納言はライバル関係・・・と言われますが、はたして、そうだったでしょうか。
なんとなく後世の創作のように思えます。
今回のドラマでも出会った最初から意見の違いなどを演出していますが、互いの文章が人の目に触れ始めるのはかなり後のことです。
学者・清原元輔の娘・・・清少納言と、
学者・藤原為時の娘・・・紫式部は、お互いに文学的才能が身につく環境で育ちました。
最高の教育環境で育っています。
清少納言の書いた枕草子は随筆です。
「いとをかし」と感興を綴ります。
一方の紫式部は小説という形式で「もののあはれ」を記述します。
互いの作品の出来映えを気にして競い合う・・・そういうことはなかったと思いますね。
文学的ライバル関係などなかったと思います。
むしろ、それ以上に、自分の仕える主人が中宮・妃の立場をめぐって競い合います。
その意味で政治的ライバルではありました。
清少納言の百人一首の歌は
夜をこめて 鳥の空音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ
藤原公任・・・三舟の才人
今回の大河ドラマでは右大臣家、九条流藤原の兼家や道隆、道長が準主役なので政敵の小野宮流、関白藤原家は敵役になります。
公任は小野宮流藤原、その嫡男です。
平安貴族の教養として尊ばれたものが三つありました。
和歌、管弦、漢詩です。
前回の放送では道隆が主催した漢詩の会が開かれていましたね。
漢詩の分野では紫式部の父・藤原為時と、清少納言の父・清原元輔が第一人者です。
この三つの教養を、水に浮かべた舟の上で楽しむと言う宴がありました。
その道の、一流人しか乗船できないという宴です。
その三つの舟に、三つとも乗船して作品を披露したのが藤原公任です。
芸術家、教養人としては超一流です。
三舟の才人とは超一流教養人・・・平安朝のスター・・・といった称号です。
が、しかし政治家としての能力には欠けていたようで、兼家・道隆・道長と続く九条流に押されてその傘下に入ることになります。
道長の世になってからは「借りてきた猫」「道長のポチ」といった役回りになります。
公任の百人一首に残る歌が
滝の音は
絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなお聞こえけり