紫が光る 第06回 知に働けば
作 文聞亭笑一
の死・・・幼少期の鮮烈な記憶と心の傷・・・そんなものがくり返し、くり返し襲ってくる・・・
犯罪被害者の皆さんや、災害で肉親を失った方々が襲われるトラウマですね。
それを表現したのが前回の放映でした。
拉致問題もそうなのですが、「なんともならぬ」とわかればわかるほどに苛立たしくなります。
ストレスが溜まります。
「ご破算で願いましては・・・」と忘れてしまう、「水に流す」方が、精神衛生上は良いのですが、なかなか・・・そうも行きませんね。
花山天皇による改革
令和の日本では「政権党が金集めで違法なことをした」と連日大騒ぎですが、平安期の国政に於いても、一部有力者による我田引水の結果、富の偏りが顕在化していました。
問題は大きくいって二つありました。
①有力者が国主を兼任し、手数料と称して税収の一部を私すること
②開拓地を勝手に自分の荘園化し、私有地としてしまうこと
こういう手法で「金権」を手にしていたのが関白、左大臣、右大臣などの高級公家でした。
国主・・・県知事職と言っても税収にはピンキリです。
当時の穀倉地帯であった備前、近江、尾張の国主(受領・ずりょう)ならウハウハですが、壱岐も隠岐も、淡路も、佐渡も「国」です。
壱岐、隠岐は貿易や海賊仕事の実入りはありますが、こういう任地をもらっても嬉しくありませんね。
美味しいところ、実入りの大きいところ・・・上国を独占していたのが関白や大臣などの高級公家で、国主の名義を息子達に分割して一家で4つ、5つ持つのも当たり前でした。
花山天皇とそれを支える藤原義懐、惟成が3つの改革案を打ち出します。
①国主の兼務を禁止する
②荘園を届け出なしに保有することを禁止する
③破銭を嫌うことを禁止する
論理的には・・・至極当然の政策なのですが、書生論的なところが既存勢力の反発を招きます。
根回しというか、事前の打診もなく唐突に実行します。
実行計画というか、改革による課題への対応策など全くなく、机上論で突っ走ります。
これって・・・最近の日本でも民主党の鳩菅政権が似たようなことをやりましたが、国政を混乱させただけで元の木阿弥でした。
③の「破銭を嫌うな」という政策が??異様ですが、当時の日本では通貨が決定的に不足していました。
通貨の多くは中国から輸入・・・というか、取引で得てきたものですが平安期は「鎖国」に近い状態で貿易が滞っています。
新しい「銭」が入ってきません。
欠けたり、磨り減ったりした悪銭が多かったのでしょうが、「それを使え」「それを通用させろ」と命令しています。
造幣局というか・・・金座、銀座で自前に貨幣を発行する気が全くなかったのが平安期かも知れません。
ともかく、花山天皇は既得権益打破への挑戦を始めます。
とりわけ、腹心として活躍したのが藤原惟成・・・身分は五位と低いのですが、改革推進の先頭に立ちます。
そういう彼に贈られた皮肉が「五位の摂政」・・・五位とは国主級、県知事・地方公務員といった感覚ですね。
ともかく、花山天皇は改革を急ぎすぎました。
それに・・・私生活が乱れ・・・と言うか、常軌を逸しています。
サド、マゾ・・・異常性欲者といった傾向がありました。
蜻蛉日記・道綱の母
前回、蜻蛉日記の作者である道綱の母の屋敷へ右大臣・兼家が訪ねて団欒をするといった場面がありました。
道綱は兼家の次男ですが、妾腹のため傍流として後継者候補になっていません。
だからこそ・・・道綱の母・蜻蛉日記の作者にとっては腹立たしく、なんとかして道綱を陽の当たる世界に出そうと躍起になります。
そういう日々の葛藤を「そのまんま」文章にした暴露本・・・
それが蜻蛉日記だと、永井路子氏が論評していました。
源氏物語は・・・漫画風の要約版で読み直しというか、お復習いをしましたが蜻蛉日記まで読む気にはなれません。
永井路子の論評を信じることにします。
以下、永井文書の要約。
蜻蛉日記は、現代風にタイトルを付ければ「王様と私」と言った感じで、「右大臣と私」の関係といった週刊誌ネタに溢れています。
日記の冒頭に
世の物語は嘘ばかり、本当はそんなことはないの。私は本当のことを書く
と綴っているようで・・・何か、ジェンダー平等を叫ぶ女闘士にも見えます(笑)
そもそも作者・家綱の母という女性は宮廷の三美女と言われた一人で、若き日の兼家がせっせとラブコールを届け、ついには結ばれたという間柄です。
源氏物語に先行して日本文学史に残る文章を書いていますから、才色兼備の才媛であったようですね。
作品の中で兼家をコテンパンにこき下ろしています。
当時の恋愛はラブレター・・・和歌の交換から始まります。
男から「好きだ、惚れた」の類いの歌を届けます
女から「嘘でしょ、お戯れに」と返します
これを繰り返して・・・色よい返事を受け取って、夜這いを敢行すると言う段取りになります。
その意味で、前回のまひろと三郎の夜間デート・・・実際にはあり得ない場面ですが、ああでもしないと二人の出逢いが創作できませんね。
それはさておき、道綱の母は相当に権高く、強い女だったようで、浮気をした兼家が夜這いに訪ねたのを追い返しもしたようです。
追い返しておいて・・・
嘆きつつ 一人寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
などという返歌を送りつけます。
強烈な皮肉というか・・・しっぺ返しでもあります。
永井路子曰く
北条政子と道綱の母は嫉妬深い女性の代表者のような存在だが
陽性で行動的なのが政子、陰湿で執拗なのが道綱の母
・・・と言います。
どっちも怖いですが、私は既にそういう葛藤に遭遇する年齢を過ぎました。
一夫多妻・・・ハーレム・・・夢幻ではありますが、嫉妬のコントロールなど出来ませんから、多妻というのは結構キツい制度ですね。
アラブの王様達は、政治外交の他に家内安全に精力を使わなくてはなりません。
ご苦労様なことでございます。
中東ではネタニヤフとハマスが皆殺し的戦争を続けていますが、ユダヤの神とイスラムの神が握手をするという「論理・智」は思いつきませんし、人類皆兄弟ではないか・・・という「情」も通じません。
互いの「意地」がぶつかり合って、引くに引けない状態が続きます。
アメリカのイランに対する報復が世界大戦に繋がらぬことを祈ります。