紫が光る 第25回 藤原実資の小右記
作 文聞亭笑一
ドラマが始まってから半年がたちました。
今頃になって・・・「ドラマのネタ本か?」とおぼしき小説に出会いました。
永井路子「この世をば・上、下」朝日文庫の文庫本です。
流れは・・・ドラマと全く同じです。
が、大いに違うのは永井の小説の主人公は「道長と倫子」
そしてドラマの方は紫式部・・・つまり、為政者の視点と、その脇役の立場からの視点です。
面白いことに永井の小説に紫式部は全く・・・と言って良いほど出てきません。
道長と、倫子との掌中の玉・彰子の家庭教師であり、宮中対応での秘書・侍従長的な役割なのですが、出てくるのは「水鶏(くいな)の歌」で道長との浮気を疑われる場面だけです。
毎度思うことですが・・・歴史というのは「書き手次第でどうにでもなる世界」ですね。
先日、郷土史会の仲間と上野の国立博物館に、川崎市出土の唯一の国宝「秋草文壺」を見に行きました。
出土した場所が町内の、加瀬山という丘の山麓です。
そしてその場所には4世紀に作られた前方後円墳があって、そこからヒミコ由来の三角縁神獣鏡も出土しています。
博物館で、土器とか、埴輪とかを眺めるうちに、千年、二千年ほどタイムスリップします。
頭の中に、「チコちゃん」で言う「もしかして、こうだったんだ劇場」が開演して・・・興奮してきますね。
仲間との会話がついつい大声になって、係員さんから叱られました。
今年の大河ドラマ・・・今から丁度、千年前の話をしています。
道長が「この世をば・・・」と詠んだのが千年前です。
この時代、日本史の中では珍しく多くの記録が残っている時代です。
少右記・・・藤原実資・・・第三者的に、冷静に(やや皮肉に・野党的に)政治評論をした記録
権記 ・・・藤原行成・・・一条天皇の側近・侍従長として私情を交えずに出来事を記録
御堂関白記・・・道長の日記
栄花物語・・・赤染衛門・・・道長、倫子の栄達物語
そして、源氏物語(紫式部)、枕草子(清少納言)、蜻蛉日記(道綱の母)、などなど、数多くの記録が残ります。
日本史上、最も記録に溢れた時代ですね。
そしてその殆どが無傷で残りました。その意味では今年の大河は、歴史に忠実に描かれているとも言えますし、脚本家の自由裁量の余地が少ない時代なのかも知れません。
鎖国
日本は大陸の端に連なる環状列島です。海洋国家です。
私たちは常識的に北を上にして地図を見ますが、車のナビは進行方向を上にして地図が表示されます。
ひっくり返してみました。
図面
これは、私のアイディアではありません。
富山県の小学生はこういう地図で勉強します。
「古来、日本の中心は日本海側であった」と。
歴史教育としては全く正しいと思います。
学力テストの上位は福井、富山、秋田など・・・。
朝鮮半島や中国東北部(満州)から観た日本のイメージもこういう風景です。
日本海には恒常的に偏西風が吹きます。
対馬海流が流れます。
朝鮮半島と日本列島は至近の距離、そして日本海は大きな湖、塩水湖でもあります。
交流が途絶える・・・筈がありません
しかし、菅原道真が「遣唐使廃止」の方針を打ち出して以来、中国との国交は途絶えました。
中国を宗主国とする朝鮮とも国交が途絶えます。
唐の滅亡で起きた中国の混乱で「それどころじゃない」という大陸の事情に助けられて、外交いらずの平穏な時代が平安中期なのです。
道長が「この世をば・・・」と平和を享受できたのは全くの幸運で「唐の滅亡⇒宋の制覇」という大陸の国内事情のおかげでもありました。
余談ですが、こうやって地図をひっくり返して、習近平の目で眺めたら・・・日本列島とはなんとも嫌な国ですね。
太平洋への出口を完全に封殺しています。
勿論、国際海峡がありますから艦船の往航は出来ますが、すべて日本の監視下に置かれます。
歴史認識・・・に引っかけて「琉球は中国に冊封していた・・・中国領である」などという屁理屈を唱えたいのでしょう。
そうなると朝鮮半島もすべて中国領になります。
それならばとモンゴルが「ユーラシア大陸はジンギスカンが支配していた」と大帝国の復活を主張しても可笑しくありません。
ハハハ、バカバカしい。
前例重視
平安貴族の政治姿勢、判断基準として伝えられている物に「前例重視」があります。
道長の時代にこの「前例」に煩かったのが「少右記」の作者・実資です。
藤原家の本家本元は自分が後継者である小野宮流であると自負し、前例を盾に道隆・道兼・道長の九条流(傍流)の独走を牽制します。
主流派も正論であるために無視できません。
顔色をうかがいます。
そう・・・最高裁の長官のような役回りでした。
彼の判断基準は「前例があれば何でも良いというものではない。
醍醐、村上などの賢帝時代の前例こそ重視すべきで、直近の事例は前例とすべきではない」 というものです。
確かに・・・冷泉系の天皇には遺伝性の精神疾患がありました。
冷泉の子である花山帝も精神不安定の傾向があって、その弱点を道兼に利用されて騙されてしまいました。
さらに後の話ですが、一条天皇の跡を継いだ三条天皇(冷泉系)にも精神不安定な傾向があり、その弱点を突かれて退位に追い込まれます。
この先、どういうドラマ展開になるかは脚本家の筆先の赴くままですが、「吾が世をば」と豪語した道長にとって最大のライバル、常にその顔色をうかがっていた相手は実資だったようです。
道長が実資に対抗しようとしたのが「一条の賢帝化」です。
才人・蔵人頭(官房長官・侍従長)藤原行成を使って、一条天皇の功績を記録させます(権記) この行成・・・稀代の名筆(達筆)として知られます。
道長には頼りになる部下でした。
話を戻して実資、「吾が世をば・・・」の歌にしても実資に宛てた歌で、実資に返歌を求めています。
実資は「このようなご立派な歌にお返しする詩を詠む才はない」と返歌を断り、参加者全員に披露して「この世をば・・・」と参加者全員で3度も大合唱してヨイショをした・・・と、自分の日記・小右記に書き残しました。
ちなみに道長の日記(御堂関白記)や、赤染衛門の栄花物語に、この歌は載っていません。
この歌が悪い意味で伝わるのは小右記が道長批判的だからです。