紫が光る 第15回 女流対決

作 文聞亭笑一

NHKの必死さが伝わる程の宣伝にもかかわらず「光る君へ」の視聴率は低いようですね。

さもありなん・・・という原因の一つは娯楽性、面白みに欠けるからでしょうし、さらには平安時代という貴族文化に親近感がないからでしょう。

お公家さん、雲上人というのは一種の異邦人でドラマに共感を覚えるという感覚が薄いのかも知れません。

韓流ドラマの「王朝物」を見る感覚で、外国映画を見ているような感じなのでしょう。

紫式部と清少納言・・・「まひろ」と「ききょう」

平安時代のひらがな文化を代表する二人の作家ですが、正反対というか・・・対比して論ぜられることの多い二人です。

こういう評価は後の世で作られたことが多いので、実際はどうだったのかは全くわかりません。

文献として現代に残るのは紫部日記の一節だけです。

「二人は会ったことが無い」という歴史家もいますが、紫式部が日記に書き残した清少納言への評価は辛辣です。

面識がなくて書ける文章ではないですね。

原文(文語文)はワープロ入力が面倒なので現代文訳を載せます。

「清少納言という人は、とても自慢げにしている人です。

賢そうに漢文などを書いていますが、良く見ればアラが目立ちます。

このような人と、変わったことを好む人は必ず失敗し、行く末も危ないものです」

たったこれだけの文章ですが・・・なんとなく二人の性格というか、立ち居振る舞いが推測できますね。

好奇心旺盛で、何事にも積極的な、理知的な清少納言。それに引き替え・・・引っ込み思案で慎重で、柔和な紫式部・・・対極的な姿勢が感じ取れます。

清少納言は日記を残していませんが、日記に紫式部のことを書き残すとしたら・・・

「紫式部という人はとても陰気な人で、面白味がない。

自分の作品は公表しないのに、他人の作品にあれこれと評論ばかりしている人です。

このような人、積極性のない人は誰からも認められず、知らないうちに消えていきます」

・・・とでも書くでしょうか。

江戸時代から研究者が同様なことを繰り返していますので「二人はライバル、仲が悪かった」というイメージが出来上がっていますが、実は「そうでもなかった」「仲が良かった」という今回の脚本通りの関係だったように思えます。

紫式部と源氏物語・・・世界初の長編小説です。

ノーベル賞ものです。

清少納言と枕草子・・・観察力と考察力を兼ねた超一流の随筆です。

これまたノーベル賞もの。

平安文学の双璧ですね。

どちらも素晴らしいので、あとは読手の趣味の問題です。

式部風が好きか、納言風が好きか・・・それによってどちらかに肩入れします。

文学論、評論というのは、尤もらしい理屈を並べていますが、所詮は好みの問題です。

好みであれば持ち上げ、好みでなければ叩きます。

その意味で現代のテレビに登場する評論家の先生方も「好み、オレ流、ワガママ者」の代表選手ですね。

そして誰をコメンテーターに選ぶかはマスコミ各社の思惑です。

全くの脱線ですが・・・「コロナと自粛とワクチンと・・・」これの検証をしてほしいものです。

平安時代は疫病に振り回された時代でした。

当初のコロナは死に至る伝染病でした。

祈祷ではなく自粛とワクチンでしたが・・・正しかったのか? 失われた3年・・・80翁には痛恨です。

源明子

明子は道長の第二夫人として、第一夫人・倫子との結婚と同時期に結婚しています。

まひろに振られた腹いせに・・・的な感覚でドラマは進展しますが、源氏の血を、血統の権威を求めたのは道長の出世欲だ・・・というのが通説です。

道長はドラマの上では「三郎」3男となっていますが実は4男です。

家督が回ってくる可能性は殆どありません。それどころか相続者からライバルとして睨まれ排斥される危険もあります。

現に兄の道隆は自分の息子の伊周に跡を継がせるべく、弟の道兼、道長とは距離を取り始めます。

道長のサバイバル・・・生き残るには多数派工作、それも、有力な対抗馬を抱き込む必要があります。

それに選んだのが源氏の血でした。

倫子・・・現役の左大臣の娘・天皇の曾孫に当たります

明子・・・前の左大臣・源の高明の娘・天皇の孫に当たります

天皇家の血をひく源氏を抱き込む・・・それによって中関白家に一目置かせ、あわよくば政権を視野に入れるという戦略でしょう。

失恋の挙句・・・等という、甘いものではありません。

テレビでは明子が兼家を恨んで呪詛し、それが原因で兼家が死ぬというお伽噺をやっていましたが、こういう非科学的なストーリーは現代人に受けませんね。

安倍晴明に占いや祈祷をさせるのも現実味がありません。

それに、明子の父・源高明を陥れたのは藤原一族全体が結束して仕掛けた陰謀です。

兼家だけがやったわけではありません。

明子はむしろ道長に惚れていて、相思相愛だったようです。

道長は明子との間に四男二女、倫子との間に二男四女を授かります。

マメですねぇ。

均等に、子作りに通っていたようです。道長の後継者や天皇家への輿入れは正妻の子達が優先されますが、それでも明子の子達も出世していきます。

「吾が世とぞ思う・・・」道長を支えます。

明子の父・源高明は醍醐天皇の息子です。

紫式部の源氏物語の「光源氏」のモデルではないかとも言われます。

光源氏のモデルは複数人を合成した架空のモデルでしょうが、天皇の息子で・・・と言う出生、出自に合うのは源高明だけです。

眉目秀麗、結構なプレーボーイだったようです。

それがまた・・・嫉妬やら、反感を買い、冤罪事件をでっち上げられたようでもありますね。

高明は太宰府に流されて政治生命を絶たれますが、光源氏の方は須磨に流されて・・・復帰します。

このあたりで、モデルの入れ替えでしょうか。

光源氏=高明→公任、道長

そういえば明子の呪詛・・・源氏物語の「六条御息所」にも重なってきます。

光源氏の側室の一人ですが、光源氏の恋の相手を次々と呪詛して死に至らしめます。

そういう魔女的な登場人物と重ねられたら・・・明子さんが気の毒です。

なにせ、天皇の孫です。

と言うことは現在の皇室に当てはめれば愛子さまとか、秋篠家の姉妹とか・・・そういう人です。

脚本家は物語の中に源氏物語のエピソードを盛り込もうと、工夫している節もありますが・・・視聴者の大半は源氏物語を読んでいません。

かえって・・・物語を複雑にしているかも知れません。

源氏物語は連載ものとして書き継がれていきました。

一条天皇が大のファンだったようで、「次はまだか?!」と矢の催促だったようですね。

ところが、貧乏人の式部家には、高価な紙が手に入らず、筆が滞ったりもしたようです。

このことを知って、道長が紙の提供に始まり、娘の家庭教師・中宮付き女房として紫式部を登用していきます。

まだ、ずっと先の話ですね。