紫が光る 第24回 都恋しや
作 文聞亭笑一
この連載が始まってから、書店に行くと「平安物」が目に付きます。
源氏、枕はもとより、古今集や百人一首などがこの時とばかりに平積みされています。
私のような物好きが多いのでしょう、やっぱり目を引いて・・・売れるのです。
かくいう私も本屋の餌食です。
今度は永井路子の「この世をば上、下」の文庫本が並んでいるのを見つけて買ってきました。
読み始めてみると・・・およよ、これがネタ本か!?と思うほど大河ドラマのストーリーに近似しています。
尤も、ドラマの主役は紫式部、小説の主人公は道長、視点は違いますがストーリー展開は酷似しています。
NHKは見逃し配信とか言うサービスをしていますが、これまでのストーリーをなぞってくれるのが「上巻」ですね。
「日の本」と外交
為時とまひろ は越前で宋人を相手に外交問題に直面しています。
それがあればこそ語学力があると見込まれた為時が抜擢されたわけで、外交特使的な任務が与えられていたのでしょう。
為時の外交成果がどうだったのか。記録にはないようです。
と言うことは・・・大成功も、大失敗もしていない・・・まぁまぁだった・・・のかも知れません。
日本と大陸の外交史・・・どうなっていましたかねぇ。
この問題に真面目に取り組んだような文献は見当たりません。
中国は、秦から始まる大陸の帝国は魏志倭人伝(3世紀)まで東海の孤島を無視しています。
しかし、古事記、日本書紀の神代では「国生み伝説」が語られ、日本に対して「根の国」などと外国があることを示唆します。
我が国は日の国、根の国は闇の国・・・などという比定は、ヤマトへと新天地を求めて大陸を脱出してきた天孫族の思いがこもっていますね。
戦いに敗れ、男は皆殺し、女は奴隷・・・そういう苦界から脱出してきたのがヤマト政権なのです。
① 博多・志賀島から発見された金印・・・倭王の文字があります。これが最初の朝貢でしょうか?
② 魏志倭人伝に卑弥呼の朝貢があります。男女の若者を奴隷として朝貢し、鏡をもらいます。
③ 神功皇后による三韓征伐の話があります。朝鮮半島の内紛に関与しています。
ここら辺りまでが4世紀までの話ですが、古事記、日本書紀のどの記述に該当するのか、諸説頻々・・・いまだに邪馬台国とか卑弥呼とか記述している歴史家には真実の探求は期待できません。
魏志倭人伝の時代の日本には文字がなかった・・・情報伝達は音声しかない・・・
おまえの国は何という ヤマトでごぜぇます 邪馬台国じゃナ
おまえ達の王の名は ヒミコ様でごぜぇます ふむ、卑弥呼か
魏志倭人伝の作者が勝手に字を当てた・・・宛字、しかも文字をもたぬ野蛮さを卑しんだ悪字を
その後も大陸と朝鮮とヤマトの間では交流が続く。
ヤマトからは鉄を求めて交易船が向かう。
大陸や朝鮮半島からは、戦いに敗れた避難民が逃げ込んでくる。
百済⇒対馬⇒壱岐⇒松浦・博多ルート 対馬海流と偏西風に乗って日本にやってくる
釜山⇒隠岐⇒出雲ルート 帰りは沿岸伝いに壱岐、対馬ルートを辿る
新羅⇒丹後 新羅⇒敦賀ルート
その後、神功皇后が朝鮮に出兵したという話があり、そしてまた、天智天皇は朝鮮の白村江で戦争を始め大敗します。
中韓の侵略を怖れ、その防衛のために出来たのが太宰府でした。
その後、聖徳太子・小野妹子の遣隋使に始まり、遣唐使が大陸の先進技術を持ち込みます。
文化大革命でしたね。平城京、平安京は中国から持ち込んだ技術で建設されたパビリオンでした。
文明開化です。
大陸文化に・・・目から鱗
ちなみに明治の文明開化は欧米技術に・・・目から鱗。
そして昭和の文明開化・・・GHQに強要された民主主義に・・・目から鱗
まひろと宣孝
藤原宣孝・・・歴史書(政治史)には登場しない人物で、その点ではまひろの父・為時同様の中級公家なのですが、紫式部の夫ということで名が残ります。
妻のおかげで千年後のテレビドラマに準主役として登場できるのですから運の良い人ですね。
宣孝は藤原一門で家系は悪くありません。
主流からは外れつつあります。
62代村上天皇の後、皇統は冷泉系と円融系に分かれて交互に天皇になりますが、長期政権となる主流派は円融系で、冷泉系はショートリリーフと言った役回りが続きます。
宣孝や為時の冷泉系は冷や飯を食うことになります。
その中にあって宣孝は上手に泳ぎ回った方で、筑前守、大和守などに任じられています。
いずれも豊かな国、上国の国主ですから懐は肥やしました。
それもあってでしょうか。手が早いというか・・・プレーボーイでした。
まひろよりも年上の息子がいる歳にもかかわらず、まひろにラブレター攻勢をかけます。
筑前の守からの帰任に唐から渡来の口紅を土産にするなどを手始めに、越前のまひろへと恋歌を送り続けます。
なんとなく、大昔のマヒナスターズのヒット曲「♪愛しちゃったのよぅ ララランラン 愛しちゃったのよう・・・」と言った雰囲気の歌だったようです。
20歳も年の離れたオジサンからの恋文
越前という田舎暮らしの味気なさ・・・都への郷愁
恋文の交換というゲームを楽しんでいるうちに、ゲームから本気になってしまったのかも知れません。
教養の無い越前の芋男よりも、都の気安いオジサンに惹かれていく・・・。
式部日記に宣孝への返歌が幾つかあります。
春なれど 白嶺の深雪いやつもり 解くべきほどの何時となきかな
春になりましたが白山の雪はいよいよ積もり、あなたの想いが達せられるのは何時かしら
湖に友呼ぶ千鳥 ことならば 八十の港に 声絶えなせそ
近江の港で友を呼ぶ千鳥よ、誰でも良いなら・・・あちこちに声をかけなさいよ
四方の海に 塩焼く海人の心から やくとはかかる なげきをやつむ
海辺で塩を焼く海人が投げ木をするように、浮気な貴方はふられて嘆いているのね
紅の 涙ぞいとど疎まるる 移る心に色にみゆれば
この朱の色があなたの涙だと聞くと一層に疎ましい。
移ろいやすい貴方の心の色・・・
すべてが求愛に対する断り文句ですが、段々と親近感が増してきているようにも感じられます。
この時代のプロポーズは、断り方の変化で・・・OKサインを感じていたようです。