紫が光る 第19回 越前良いとこ、辛いとこ

作 文聞亭笑一

疫病・・・多分、天然痘・・・の宮廷内への浸透も急速に進み、関白道兼以下、閣僚の大半を死に至らしめてしまいました。

関白を始め左大臣、右大臣が倒れ、参議以上のいわゆる朝議のメンバー8人が亡くなり、残ったのは内大臣の伊周、権大納言の道長、他2名しかいません。

母の強い意向もあって、一条天皇は道長を首班(内覧)に選びます。

この人事に伊周が不満だったのは当然でしょうね。

道兼が関白をやった7日間を除けば、その前までは自分が内覧(首班)の役をしていました。

内覧は<父親が病気の間だけ>という暫定職ではありましたが「大納言の道長より、内大臣の自分の方が序列は上」と考えていても当然です。

それもあってか、道長は関白職への就任は遠慮し、右大臣という官位で政権を摂ります。

律令制の序列でいう関白と左大臣は空位のままですね。

それでも序列は1番/右大臣道長、2番/内大臣伊周となります。

公家No1の地位に変わりはありません。

為時、まひろ越前へ

道長政権の初めての除目(組織人事異動)でまひろの父・為時が久々に任官します。

花山天皇の時代は六位の蔵人・式部丞だったのですが、いつの間にやら五位に昇格していたようで、国主に任命されます。最初の辞令は淡路守でした。

五位に上がったばかりの新任の国主としては手頃な規模の任地だったように思いますが・・・、これが数日後には越前守に任命されていた源国盛と交代になります。

国盛は道長の妻・倫子の身内で、従四位の高官です。

越前と淡路・・・経済規模がまるで違います。

片や50万石、片や1万石 大抜擢です

笑点の林家たい平なら「何かあったんではないか劇場・第3弾!」などと茶化して、道長とまひろの色恋沙汰にして小説にするところですね。

事実、後の「今昔物語」や歴史書では

この除目を聞いて一条天皇が大いに嘆いた。

「あの漢詩の名人がこの程度の評価か」と・・・

それを聞いた道長が、身内の国盛に越前守を辞退させ、越前と淡路を交換した。

かくの如く、一条帝は文化人を重用する人事を行って文化の振興に尽くした。

・・・と言う物語を仕立て上げています。

一条帝の文化優遇神話でしょうか。

後に紫式部が書いた源氏物語では「少女(おとめ)の巻」で

『光源氏が不遇の学者を抜擢し、大学が繁栄し、これが聖代の象徴とされた』と書きます。

式部の一族の中に流れる『希望の世』「代々の願望」でもありましたね。

ですが・・・実態は全く違っていたようです。

前年から越前・敦賀には宋人が渡来し、外交と通商を求めて越前国府との交渉をしていたようなのですが、前任者は漢詩、漢文には全く不慣れで、外交トラブルになっていたようです。

「漢籍に明るい者を派遣して欲しい・・・」というのが現地からの強い要望で、そうなると漢籍に詳しく、手が空いているのは為時しかいない・・・と大抜擢されたというのが実態のようです。

この時の宋国の使節団は朱仁聡、林庭幹と言う正使、副使の他に70人規模の大使節団だったようですね。為時なら、中国語は話せなくとも、筆談でなら十分に意思が通じたでしょうから、交渉は出来たのでしょう。為時在任中に外交事件は起きていません。 ともかく、まひろは父と共に越前国府(越前市)へと向かいます。

紫式部の道中記

紫式部は父と共に越前に向かいます。

琵琶湖の南端、打出が浜から琵琶湖の西岸を北上します。

安曇川辺りで・・・早くもホームシック?

三尾の海に 網ひく民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも

三尾が﨑で網を引く漁民が、手を休める暇もなく立ったりしゃがんだりして働いている。

それを見るにつけても・・・都が恋しい

船旅も不安だったようで

かき曇り 夕立つ波の荒ければ 浮きたる舟ぞ しづこころなき

空一面が暗くなり、夕立を呼ぶか波が荒いので舟が揺れる、

なんとも不安で心が落ちつかぬ

塩津からは陸路を、深坂峠を越えて敦賀へ向かいます。

知りぬらむ 行き来にならす塩津山 よにふる道は辛きものぞと

わかったでしょう。いつも行き来して歩き慣れている塩津山も世渡りの道としては辛いものだということが

これは随行の者たちのぼやきへの励ましでしょうか。

なんとなく・・・式部自身が「越前なんかに行きたくない」と「世渡りの道は辛い」とぼやいている風にも聞こえます。

越前でも「任地を楽しむ」「同化する」というより都にこだわっていますね。

ここにかく 日野の杉むら埋む雪 小塩の松に今日やまがえる

こちらでは日野岳に群れ立つ杉の木を埋めてしまうほどに雪が積もっています

都ではどうなのでしょうか。 小塩山の松にも雪が降り積もっているのでしょうか

越前の雪景色を眺めながら、都の小塩山を思い出していますね。心ここにあらず・・・

国府の者たちが、雪を山のように積んで遊んでいて・・・式部も加わるように誘われても

ふるさとに かえるの山の それならば 心やゆくとゆきも見てまし

故郷の都に帰ると言う名の鹿蒜山(かえるやま)の雪の山なら・・・

気が晴れるかも知れないので行ってみますけれど・・・

まぁ、どの歌をとっても・・・嫌々ながらの越前行きだったようですね。

新幹線が開通し、大河ドラマの舞台にもなったと喜んでいるかも知れない福井県の人は知らない方が良い情報でしょうね。

長徳の変

道長のライバル・伊周が誤って花山上皇に矢を射かけるという事件を起こします。

事件の起きた場所は元太政大臣の一条為光の屋敷です。為光には適齢期で美人と評判の二人の娘がいたのですが、その姉の方に惚れたのが伊周、妹の方に惚れたのが花山上皇でした。

互いに鉢合わせすることもなく夜這いを繰り返していたのですが、ある晩・・・ついに鉢合わせしてしまいます。

互いに相手が違いますから「話せばわかる」のですが、夜這いの現場です。

夜です。相手が誰だかわかりませんが「この野郎!恋敵め!!」と思い込んだ伊周が、上皇を襲います。

上皇は逃げますが、伊周の部下が放った矢が逃げる上皇の輿に当たります。

さらに止めようとする上皇の部下を斬捨て、首を持ち帰るという暴挙をしてしまいます。

これで伊周は太宰府へ、弟の隆家は出雲へと左遷されます。

道長の独断場、伊周の自滅でした。