紫が光る 第22回 越前の風

作 文聞亭笑一

いよいよ、まひろの越前での生活が始まります。

父親の為時は任地の国府に入る前から、途中の敦賀で宋からの渡来者たちに会いに行きます。

役目に忠実というのか、仕事熱心というのか、好奇心旺盛なのか・・・多分、真面目一方の性格なのでしょう。

もったいぶって国司としての威厳を付けるとか、交渉時期を遅らせて相手をじらすとか、そういう駆け引きをする発想はなかったようですね。

その事が吉と出るか、凶と出るか、それはこの後の展開です。

宋人到来(貿易環境)

この頃の日本は鎖国に近い状態でした。894年に遣唐使を廃止して以来百年、大陸と正式な国交はありません。

さらには唐王朝が倒れ、中国国内が混乱しています。

その後

936年 高麗が朝鮮半島を統一

960年 大陸では宋が成立

900年代、10世紀は国家管理の貿易は出来ていませんね。

民間での交易が中心となります。

平安朝も公式には太宰府の管理下で博多港を窓口にした宋・市船司との貿易を始めました。

交易の中心は日本からは食材を輸出し、中国からは宋銭が入ってくる・・・という取引です。当時の日本では銭を鋳造する技術がありません。

国内で流通する貨幣は専ら中国銭・宋銭でした。

それもあって日本国内では貨幣経済が発達していませんでした。

貨幣の絶対量が不足しています。

この状態を一気に破壊し、大規模な貨幣経済を導入したのが平安時代後期の平清盛です。

大々的に日宋貿易を拡大し、宋銭を大量に国内に供給します。

経済が活性化しました。

貿易港も博多ではなく、福原(神戸)へと都の近くに引き入れます。

さて、平安期の日本から宋への最大の輸出品が「干し椎茸」であったと知って微笑ましくなったり、ガッカリしたり・・・日本の産業が農耕、漁労の一次産業ばかりであったと思い知りました。

高麗との貿易も民間ベースの闇取引が中心でした。

朝鮮からは鉄(ズク・・・鋳鉄)が、日本からは米が中心だったようです。

五島列島から越前辺りまでの日本海側の港では、日本と高麗の船が互いに行き来していました。

朝鮮から鉄が入ってこなくては農耕の道具が作れません。

為時と漢詩

為時と宋からの渡来民・羌世昌との間で漢詩のやりとりが為されたというのは事実のようで、宋の文献に為時が羌世昌に送ったという七言絶句が残されています。

国去三年孤館月  国を出て三年、月を眺めて故国を思う

帰程万里片帆風  帰路は万里だが順風が吹けば帰ることが出来る

画鼓雷奔天雨降  雷が鳴り稲妻が走るが、まだ雨は降ってこない

彩旗雲聳為地風  美しい雲が湧き、風が吹いてきた

私は漢詩がよくわかっていませんが、日本語読みの部分を見たら、為時が相手の気持ちになって「時期が来れば帰れるよ」と慰めている歌のようですね。

この詩を後に中国人は「中学生並」「習い始めの初心者レベル」と最低の評価をしています。

先週の場面では言葉・中国語も中々通じなかったようですし、宋人との交渉ごとは難航が予想される展開でした。

日本一の中国通・・・のはずが、実はそうでもなかった・・・となると見通しが不透明になってきます。

まひろも越前には僅か1年しか住んでいません。

中国文化との交流に期待しての越前行きだったはずですが、どうしましたかね?

調べれば調べるほどに諸説多々で、答えらしきものが見いだせません。

父親の語学力に幻滅

自身の漢文能力に自信を失った

結婚準備の為

京文化への思い、断ちがたし

豪雪地帯の田舎暮らしに幻滅

 ・・・等々

この疑問に、脚本家がどう答えてくれるか・・・楽しみです。

国司任官の人気度

日本全国を六十余州とも言います。

国は大小様々で東北地方はまとめて陸奥の一国になっていますし、壱岐や隠岐も国です。

当然のことながら行きたい国と、行きたくない国に分かれます。

平安時代の公家達はどういう基準で国の人気度を測っていたのでしょうか。

1,米の生産量が多い

  都へ送る国税の量は決まっています。

それ以上に税収があれば、それは地方税、つまり国司の裁量権の範囲の収入になります。

全部を自分の懐に入れるわけにはいかないでしょうが、大国で、生産性が高ければ巨万の富になります。

2,都から近い

中央の情報から疎遠になると身の振り方を間違えもしますし、また、中央の実力者から忘れられてしまっては次の出世も望めません。

また、税を国庫(朝廷)まで運ぶ物流コストは国司の負担です。遠いほど運賃がかかります。地方税が目減りします。

3,大きな寺社がない

大きな寺社は寺領、神社領を持ちます。

要するに自分の縄張りから寺社領の分が蚕食されて実入りが減ります。

その最たるところが大和(奈良県)、山城(京都)ですね。

4,五月蠅い住人がいない。

住民の教養が高いほどに・・・理屈を捏ねて反論してきます。

前任者が阿漕な収奪をした国は、警戒して素直に言うことを聞きません。

伝統的な文化のある国はそれにこだわって中央の方針に逆らいます。

以上の四点に出来るだけ叶う国が上国です。

国司になりたい国です。

その意味でBest5

第一位 近江 京に近く、農業の先進地域、寺社は湖南だけ

第二位 越前 近江の次です。当時の大穀倉地帯、大きな寺社はなく敦賀は貿易港

第三位 播磨 淀川・瀬戸内水運が使える穀倉地帯 寺社領はありません

第四位 丹波 京都の北 先進的穀倉地帯です 日本海とも近く交易の利

第五位 伊予 山の幸、海の幸に恵まれ、中央の監視の目も緩い

それだけに、為時の越前守任官は異例中の異例でした。 それほどまでに、朝廷は異国人の扱いに苦慮していたとも言えます。