紫が光る 第27回 平安財政

作 文聞亭笑一

先週の放送は・・・色々ありました。ここから次のステージ・・・と言った感じです。

まひろが 結婚しました。

道長が辞表を提出しました。

どちらも物語の進展には大きな変節点なのですが、歴史上はどうと言うこともない小事件です。

只、結婚することで互いに男と女の心の動きには敏感になります。

明治の文豪・夏目漱石は人の心の動きを知・情・意の三つに分解して理解しようとしました。

知に働けば角が立ち、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、所詮この世は住みにくい。

ご存じの小説「草枕」の書き出しです。

漱石は「人の世が住みにくければ、人でなしの国に行けば良い。

人でなしの国はもっと住みにくかろう」と放り出します。

これは、この三つの心理的現象は・・・色彩感覚で言う三原色のような関係ではないでしょうか。

原色同士の間に無数の中間色が生まれます。

その中間色を生み出す才能こそが社交力というのか、人付き合いの妙で、バランス感覚とも言います。

先週は、主役の二人が、それぞれに一皮むけていく転機だったようにも思います。

道長辞任騒動

藤原道長は、結果的に言うと日本史上最長と言える長期政権を樹立した大政治家・・・と言うことになりますが、後世の評価は芳しくありません。

とりわけ、天皇親政を標榜した明治政府から見れば、その御用学者から見れば、天皇を4代にわたって籠絡し、政を専断した極悪人になります。

そう、明治史観では、道長、頼朝、家康は「日本三大悪人」でしたね。

天皇をないがしろにし、天皇を神棚に祀りあげてしまった悪党です。

そういう観点からすれば現行憲法の「象徴天皇」などと言うのは、明治的哲学からしたら言語道断でしょうね。

天皇の政治権限を100%奪い取っています。

天皇に政治権限はありません。

そもそも歴史的に、天皇親政の時代は碌な時代ではありませんでした。

乙巳の変で天智天皇が蘇我氏の専横から政権奪取しましたが、朝鮮と戦争して負けて(白村江)ガタガタになり、天皇家同士の相続争いで戦乱の時代でした。

平安末期に白河や後白河が院政という形で天皇家の親政をしますが、源平戦争の大混乱を招きます。

さらに、鎌倉幕府を倒して後醍醐天皇が「建武の中興」をやりますが、どうしようもない政権で大混乱、その混乱を治めたのが足利尊氏なのに、その尊氏には「逆賊」のレッテルを貼りました。

そういう・・・明治史観に洗脳されてきたのが我々の世代、爺婆の世代です。

道長はその在任中に3度、4度?の辞表を提出います。

ドラマでは「災害対策の失政」を理由に辞表を提出したことになりましたが、永井路子本では「病気・出家」が理由になっています。

どちらも・・・一条天皇が「色狂い」して政治を疎かににしてしまったことに抗議しています。

とはいえ二十歳の若者(天皇)に4人もの女御を与えたら・・・酒池肉林・・・性欲に没頭、没入して当然です。

そういう環境を作った責任者は道長ですから・・・自業自得でもあります。

しかし・・・道長に辞任を許したら・・・代わりがいません。慰留するしかありません。

道長悪人説は・・・辞任を切り札に天皇を脅迫した悪党・・・と書きます。

道長善人説は・・・これだけ頼んでも許してもらえないのだから・・・続けるしかない。

永井路子は「宮廷内の公卿達の微妙な雰囲気を読みながら、彼らの総意を代表する形で政権を運用したバランス感覚に優れた人・・・それが道長」と書きます。

その意味で一条天皇の失策は愛妻・定子の兄弟を近づけすぎたことですね。

大赦で許されたとはいえ、先代の天皇を襲撃した犯人です。

とりわけ醜態をさらした伊周が天皇の傍に侍るなどと言うのは当時の常識の埒外でした。

天皇の評判も地に落ちます。

まひろの結婚

まひろも28歳と晩婚でしたが、宣孝は四十男です。

金持ちの爺さんのところに嫁入りした・・・と言う感じでしょうか。

我々の世代(アラ80)には「吉永小百合と高齢映画監督との結婚」という事件?がありました。

この当時の流行語はハナ肇の「アッと驚く為五郎」・・・将にそんな感じでした。

小百合ファン・サユリストたちの落胆はさぞかしだったでしょうね。

それはともかく、宣孝には3人(4人とも)の妻がいます。

しかも長男はまひろと同じ世代です。

「よ~やるわ」といった感じで呆れますが、しかし、結果的に宣孝との結婚生活、そして長女・賢子の誕生が・・・世界初の長編小説「源氏物語」を産むことになります。

結論的には短い結婚生活ではありましたが、4人、5人もの妻との家庭の間を忙しく飛び回る、宣孝を相手にした愛情の相剋・・・そんな物が「源氏」に奥行きを持たせたのではないでしょうか。

宣孝が来ない夜、悶々としながらあれこれ考えたこと・・・それが、「源氏」の一節を飾ります。

思い悩み、想像したことが光源氏と女達との濡れ場の描写に活きてきたと思います。

が、これは次回以降のお楽しみ。どういう結婚生活を描いてくれるのかワクワクしています。

紙と平安文学

先週の放送では伊周が「これは面白い。写本を何冊か作って宮中に広めるように」と、清少納言の「枕草子」の出版?を促していました。

その一方で、越前和紙の生産場面や年貢の取り立てと、その流通などを描いていました。

ドラマの時代から・・・平安文学が花開くのですが、文学作品は大人数の目に触れてこそ、その値打ちが拡がっていきます。

その媒体は紙でした。

紙がふんだんに、安く手に入る・・・それこそが文字文化が普及する切り札です。

情報革命でもありました。

源氏物語は原作だけでも相当な枚数の紙を使いましたね。

後世の小説家が気に入らない原稿を丸めてポイする場面がありますが、そういうロスも含めたら相当な量が要ります。

源氏物語の場合は、途中から天皇や道長の目に留まり、公の紙をふんだんに使うことになりますが、書き始めの頃はどうしていたのでしょうか。

テレビで為時が「公の物に手を付けてはならぬ」と、糞真面目をやっていましたが、まひろは一束、それも厚い束(100枚?)を「餞別」としてもらって帰ったと思いますね。

この時代に紙が大いに普及して情報革新が起きたのではないでしょうか。

庶民にまで文字が普及していったと思います。紙がなくては・・・文字は伝わりません。