紫が光る 第32回 陰陽師

作 文聞亭笑一

オリンピックに番組をジャックされて「光る君へ」の放送がありません。

「ラッキー!」と盆休みにすれば良いのですが、ボーーっと甲子園野球を観ていても、それはそれで飽きるというか、疲れます。同じ姿勢が続きますから筋肉が固まり、加えて脱水症状から筋肉が吊ったりもします。

そこで、暇つぶしに・・・平安時代を勉強してみます。

794 鶯 平安京

平安時代は794年から鎌倉幕府の出来た「1192作ろう」までだと教わりました。

言葉通り「平安」な時代で、貴族文化が栄えた・・・程度にしか理解せず、400年間も源氏物語の世界が続いていたように思い込んでいますが、果たしてどうだったのでしょうか。

400年間・・・気の遠くなるほど長い時間です。

平安遷都から400年遡れば大和朝廷の前期・・・日本武尊・ヤマトタケルの時代になります。

冷暗の終りから400年下れば関ヶ原の戦い、江戸幕府になります。

そこから鎖国が始まって、260年間の政治的安定期になりました。

平安時代と江戸時代・・・「戦争がなく政治が安定していた時代」と、なんとなく似た感じで受け止めてしまいます。

確かに・・・一番の共通点は「海外との交流が途絶えていた時代」でもあります。

隣の中国大陸では宋の建国期で、海外、ましてや大海原の野蛮国・日本になど関心が向きません。

平安朝廷が鎖国政策を採ったわけではありませんが、遣唐使の制度も廃止されていますから細々と民間交流が行われている程度です。

紫式部の父・為時が越前守として対応した宋の商人、中国国家の後ろ盾がありませんから朝廷から無視され、厄介者扱いされます。

海外との交流がない・・・ということは知的刺激がありませんから科学技術の進歩がありません。

その一方で和歌、物語など、日本語の特長を生かした文学は大いに発展しました。

女流作家が発明、普及させた平仮名・・・これが庶民にまで文字文化を普及させる有効なツールになりました。

当時の農村に文字はなかった・・・と思います。

文字を使えるのはお役人様か、坊様か・・・そして庶民はそのどちらかかに「代読」して貰い、物語の世界などを楽しむといった形だと思います。

とりわけ僧侶の口を通じたお説教(説話)が情報源だったと思います。

浦島伝説などは古代からの言い伝えだと言いますし、竹取物語などは平安期に入ってからの物語だと言われます。

陰陽道 ≒ 天文学、天気予報

安倍晴明・・・など陰陽師が出てくると・・・なんとなく「おどろおどろしい」非現実性を感じてしまいますが、平安時代の陰陽道こそ、当時の科学技術の粋でした。

陰陽師が出てくる漫画や物語では、彼らが占いをする場面ばかりを取り上げますが、占いとは予測、予報のことで、天気予報と似たようなものです。

ただ、彼らへの信用を利用して「呪い」とか心理戦術を使いましたから気持ち悪い、魔法使い的印象になりました。

陰陽道の本質は天文学、天体観測にあります。

太陽や月の運行、星空の変化・・・とりわけ「水、金、火、木、土」の惑星の位置、星座の変化などをつぶさに観測していました。

朝廷の機関に陰陽寮という役所があります。

現代で言えば科学技術庁、気象庁と言った部署です。

天文の基礎技術は奈良時代から中国の天文博士を招いたり、遣隋使、遣唐使が天文学に関する書物を持ち込んだりしてきました。

それに日本での観測データを加えて改良します。

陰陽・・・陰と陽・・・八卦 と連想すると妖術・魔法の世界へ向かいますが、発想としては相対性理論に近いのではないかとも思います。

作用・反作用の法則など、近代科学に近い考え方もあります。

頭ごなしに「旧い!」と斬捨てられない科学性があります。

とりわけ天文学の分野では現代の水準と大差ないのではないでしょうか。

陰陽寮の役割の第一は暦作りです。

宮廷行事、政治日程の指針ですし、庶民にとっては農作業の指針でもあります。

この暦が上級公家達に配られ、それを書写して国主クラスに渡り、役所や寺社を通じて庶民へと伝えられます。

道長は「御堂関白日記」という記録を残していますが、これは暦の行間や余白にその日の出来事を記録したもので、どうやら暦をスケジュール帳と日記帳として使っていたようです。

当用日記・・・と言う感じでしょうね。

暦作りでとりわけ重要だったのが日食、月食、さらには惑星直列の予測で、その前後には地震などの天変地異が起きやすいと言うことを陰陽師は経験則として知っていました。

地球への引力が異常にかかりますから地殻変動が起きやすくなりますし、異常気象も発生します。

安倍清明

921年-1005年

今回のドラマでは道長の政治活動にまでアドバイスを送り、道長を指導する「参謀」といった感じで活躍させています。

道長の信任が厚く、更には一条天皇からも絶大な信任を受けて天文博士の称号をもらいました。

が、それだけではありません。

天文学で培った計算能力を買われ主計寮(財務省)の中心となり(左京大夫)、国家予算の編成や税務方針などの作成に関与しています。

道長と、命のやりとりをして行った雨乞い、あれは1004年のことですから死ぬ直前でもありました。

既に天文寮を離れています。

安倍清明の屋敷跡に建つのが晴明神社、そして晴明神社の紋所が五芒星です。

清明神社の紋

なんとなく・・・イスラエルの国旗を連想してしまいました(笑)

「観天望気」などという言葉があります。

空や星を眺めて運気を観る・・・天文学そのものですね。

天文学は古代文明と共に立ち上がった最初の科学とも言います。

エジプト、メソポタニア、インド、中国・・・いずれの地域にも星座の物語があります。

北極星、北斗七星、惑星などはもとより、いずれの地域でも注目されていたのが大犬座のシリウス、太陽系に最も近い恒星ですから、惑星の金星を除けば最も明るい星です。

平安時代から重視されてきた陰陽道ですが、平安後期から賀茂家と安倍家の世襲になり、その事が技術革新の停滞を生んでしまいました。

平安期から江戸期まで・・・殆ど進歩しなかったと言います。

余談ですが・・・普段使っている「正午」という言葉・・・「午の正刻」のことでした。