紫が光る 第31回 いずれの御時にか・・・
作 文聞亭笑一
ライバル・清少納言の「枕草子」に対抗してまひろが「ものがたり」を執筆するという展開になってきました。
左大臣・道長からの依頼・・・という前提ですから「紙の問題」は解決しました。
ペンネームは、当初「藤式部」だったようですね。
式部の丞・藤原為時女・・・というのが戸籍簿的な表現になります。
「紫式部」という呼称は、物語が進んで「紫の上」がヒロインとして登場し、人気を博してから自然発生的に、周囲が呼び始めた・・・いわば「あだ名」だったようです。
いずれの御時にか・・・
私が、唯一覚えている源氏物語は・・・冒頭の、この一節だけです。
日本の物語、昔話は「昔々あるところに・・・」が定番ですが、その基本に倣った書き出しです。
「いつの天皇の御代のことであっただろうか・・・」と、時代をぼかして、過去と現在を渾然一体として物語の背景に持ち込みます。
そうすることで主人公の光源氏は100年前の人であったり、現実に生きている人であったり、読者の想像の幅を広げます。
よく言われることですが、光源氏のモデルには幾つもの説があります。
光源氏のモデルは源高明である(道長第二夫人・明子の父)
光源氏は道長、その人である
道長のライバル、伊周である
等々、比定される人物は数多いのですが・・・どれも正しいようで、場面に応じて主人公のモデルを入れ替えているようです。
それでこそ物語、小説です。
源氏物語は歴史書ではありません。
「世界初の長編小説」なのです。
そのくせ、歴史書にはない、歴史的事件も登場しますから「紫式部が肌で感じていた平安時代の歴史」を再現している部分もあります。
祈祷や呪詛
安倍晴明が出てきたり、藤原伊周が夜ごと人形(ひとがた)に刃を入れてみたりと・・・現代人には「バカバカしい、迷信」と考えてしまう非科学的な映像が流れ、且つ、それが効力を発揮したかのような現象が描かれます。
前回も都の日照り、旱魃に、陰陽師の安倍清明が祈祷をくり返し、その結果で雷雨、集中豪雨が都に降り注ぐ・・・という場面をやっていました。
安倍清明は天文寮で気象については過去からのデータをつぶさに研究してきています。
我々の子どもの時代、村の長老が雲の動きや夕焼け、朝焼けなどの光の加減を見ながら「晴れ」「雨」を予測していました。
稲刈りなどは、途中で降られてしまったら一年間の努力が無になってしまうこともあります。
「西山(北アルプス)に綺麗な夕焼けだ。
東から出てきた「ツトッコ星(スバル)」がよく見えるだでぇ、明日は間違ぇなく晴れだ。稲刈り日和だ」
我が家の爺さんの「見立て」で、村中が動きました。
これが昭和の時代です。
ラジオから流れる天気予報は「長野地方の明日は・・・」で、長野、上田佐久、諏訪、伊那、松本安曇では全く天候を異にしていました。
ですから長野の予報は役に立ちません。
安倍清明は京の都の気象に関する言い伝え、つまり過去のデーターに関しては熟知していたと思います。
数百年来の言い伝えも、残らず集めていたと思われます。
しかし、数十年に一度、百年に一度のような異常気象には、そのデータベースも役に立ちません。
「私は命をかけます。左大臣も寿命を10年賭けなさい」
陰陽師としての信用と、政治家としての信用を賭けて、低気圧の西進、前線の南下を予測します。
配下に手分けして西空の雲行きを観測させ、朝焼け・・・などの雨予報の兆候を選んで祈祷を始めます。
あとは・・・当たるも八卦、当たらぬも八卦、当たらなければ、陰陽師としての安倍清明、為政者としての道長、共に信用を失います。
安倍清明の予報は見事に当たりましたね。
スーパーコンピューターの計算はありませんでしたが、清明の知識と、ヤマ勘の勝利でした。
現代の気象予報士さんは、自らの「勘」を働かせての予報ができません。
外れた場合の責任追及を怖れる気象庁に叱られます(笑)
もう一方の呪詛・・・念力でスプーンが曲がると言うような手品がありますが、テレパシーがどこまで届き、どういう威力を発揮するのか・・・科学的研究成果は聞いたことがありません。
しかし、呪詛されている人が「呪詛された」と自覚した途端に精神的圧迫を感じて、精神不安定に陥ります。
現代用語にするとセクハラ、パワハラとか、カスハラなどとカタカナになりますが、これが呪詛と同様な犯罪行為です。
ですから呪詛は、する側がどれだけ頑張っても威力を発揮することはありません。
しかし、された相手が「呪詛された」と感じた途端に猛威を振るいます。
呪詛している下手人が誰かわかればまだしも、誰だかわからぬ相手となれば疑心暗鬼で精神分裂を招きます。
彰子サロン・・・藤壷
天皇のお相手をする女性は、その身分によって三階級に分類されます。
皇后、中宮・・・正妻です。正妻の子が皇太子となり、天皇位を継いでいきます。
女御・・・大臣クラスの高級貴族の娘、第2、第3夫人ですが、正妻に男子なくば立后も。
更衣・・・天皇の愛人、親の身分が低く女御にはなれない。源氏物語は彼女たちが主役。
こういう女性達が、それぞれにサロンを作って、天皇の来駕を待ちます。
昼は、それぞれの局の主役が得意とする分野で遊びます。
和歌の会、漢詩の会、雅楽の会、舞の会などなど、清少納言が枕草子で「定子サロン」を書き綴ったような平安の雅を楽しみました。
天皇は中宮とそのまま夜を過ごすこともありますし、自室に戻ってから女御や更衣を指名して呼び寄せ、夜の伽を命ずることもあります。なにせ・・・ハーレムですからねぇ。
一条帝の中宮・彰子のサロンは「藤壷」と呼ばれていました。
地味で・・・面白くないと、一条帝の足が遠ざかったというサロンです。
彰子の母・倫子がやきもきしますが雰囲気は変わりません。
一条が愛した定子のサロンとは比較にもなりません。
彰子は12歳で嫁入りですから、女の魅力以前の子どもです。
よほどのロリコンでない限り、男と女の関係にはなりません。
しかも取り巻きが、大納言の局(倫子の妹)、赤染衛門などのベテランが多く、色気がありません。オバサン中心のサロン・・・でした。
しかし、紫式部はこの「藤壷」を藤壷の女御を登場させることにより、桐壺帝と藤壷の濡れ場、藤壷と光源氏の不倫・・・
そして不義の子の誕生へとドラマティックに利用します。
源氏物語には実際にあった場所や、事柄が多く盛り込まれています。