紫が光る 第35回 彰子覚醒
作 文聞亭笑一
道長が政務を放り出して、娘のための出産祈願に出ます。
長期休暇でしょうか、それとも娘が天皇の子を産むと云うことが「政治である時代」でしょうか。
嫡子や中宮大夫まで連れて行きますから、かなり政治色が濃い修行です。
金峯山詣で
金峯山とは特定の独立峰のことではなく、桜の名所・吉野山全体を指します。
信仰の中核になるのは蔵王堂ですが、吉野山地全体が修験道の聖地で、道なき道をよじ登って聖地に至る・・・という修験道の道場でもありました。
現存する蔵王堂は後世の豊臣秀吉が寄進した物ですが、道長の時代は開基の役行者(役小角)の時代の建物だったでしょうか。
道長が参拝の折に寄進したと言われる経塚(石灯籠)は日本最古の物と言われます。
ここ金峯山の信仰は開基の役行者が始めた「山岳信仰」に、弘法大師が中国から伝えた「密教」、更に平安期になって拡がった「末法思想」や「浄土信仰」までもが習合して、平安仏教の集大成のような流行を始めていました。
末法思想というのは仏法修行で云うところの信仰の過程を示す言葉です。
信仰は本来、正法であるべきですが像法、末法と堕落していく・・・という過程を示します。
正法・・・信心の本来の姿、修行して修行して・・・悟りを開く
像法・・・形だけ真似て、修行しても悟ることはない 現代の葬式仏教のような信仰モドキ
末法・・・仏道がなくなった世界、善悪の基準がなくなった世界・・・世の末
藤原氏が祖先不比等の時代に建立した興福寺ですら、世俗の争いの先頭に立ち、大檀家・氏の長者宅を「放火するぞ」と脅迫したり、宮中に押し入り強訴したりと、将に「末法行為」を繰り返しました。
道長の金峯山参詣は、そういった寺社の横暴への警告でもあります。
「末法の僧たちには頼まぬ」という意思表示でもあり、援助の打ち切り警告でもあります。
大檀家の藤原家にそっぽを向かれては、興福寺とて立つ瀬がありません。
しかも道長だけでなく、氏長者の後継者である息子・頼道も同道しているところが効きますね。
道長は自分の菩提所を宇治に用意しつつもあります。
興福寺にとっては・・・京都への強訴で要求の一部を勝ち取ったつもりでしたが、逆に・・・重大な警告を受けることになりました。
従来の歴史教科書では「道長は傲慢な独裁者」という評価でしたが
1,武力による力の論理をはねつけた(伊勢守任命事件)
2,寺社(宗教団体)による強訴など、一切受け付けなかった
・・・という2点は大いに評価に値します。
この二つが緩んできて【武士の台頭、叡山の強訴頻発】平安時代は幕を閉じました。
平和・平安を第一義とするならば・・・道長は大偉人になります。
余談になりますが・・・正法、僞法、末法の理屈から言うと、現代は末法を超えて絶法でしょうか。
隣の中国などは宗教を禁じていますから「絶法」ですよね。
日本でも「お経を上げない葬式」が増えてきました。
香も焚かず、手も合わさず・・・花を手向けるだけの葬式が流行してきました。
結婚式も神式は殆どなくなり、キリスト教モドキの人前式が増えました。
その一方で金目当ての新興宗教が無税の恩恵を受けて我が物顔です。
末法の世?絶法の世?
道長暗殺計画
中関白家(伊周、隆家兄弟)の復権計画が一条天皇まで巻き込んで焦り気味に進んでいます。
最愛の妻・定子が忘れられない一条天皇は敦康親王に後継させたいと切望します。
そのサポート、後援者を誰にするか???
天皇にとっては政治能力に長けた道長より、能力に劣る伊周の法が扱いやすいと考えます。
道長が居る限り・・・天皇の意思は通りません。
天皇の私情よりも公益が優先されます。
道長の方が「理」に叶った判断をします。
一条天皇にとって、それがなんとも面白くないのです。
敦康親王に天下を取らせ、伊周を後援者にする・・・これが天皇の「情」でした。
後世の夏目漱石は云いました。
知に働けば角が立ち、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ
とかく この世は住みにくい
復権を目指す伊周一派にとって、道長の金峯山詣ではクーデターのチャンスでした。
大和の山中で道長の護衛は少数です。
道長と頼道が揃っているのもチャンスで、親子二人を討ってしまえば道長の正統な家系は断絶します。
この計画に最も乗り気だったのは平致頼・・・伊勢守任官を道長に阻止された武闘派です。
伊勢平氏の祖となる人物で、花山院を狙撃したのもこの平氏一派だったと言われます。
中関白家の用心棒的な役割を担っていました。
100年後には致頼の子孫、清盛が院政、そして藤原貴族政治を打ち壊すことになります。
計画が実行されたのか否か? 記録は全くありません。
実資の日記「小右記」に「・・・という噂がある」と記されるのみです。
あとは小説家の推論の世界です。
NHKがどう描くのか?楽しみです。
彰子開眼
彰子が中宮として御所に入ったのは13歳の時です。
中学一年生。初潮はあったのでしょうが男と女のことに関しては初心、というより、何も知りません。
深窓で育った令嬢が女子中学に入り、そのまま女だけの世界で女子高校生になる・・・。
男との交流が断たれて、愛とか、性とか、そんなものとは全く無縁です。
その純正培養のような女子が源氏物語を読む・・・ まるで理解できないでしょうね。
物語は最初から男と女の絡み合い、どろどろした嫉妬や恨み言などが満載です。 「どこが面白いのか?」 いや「物語の中で何が行われているのか?」 想像すら出来ません。
前回放映された曲水の宴で、突然の夕立に見舞われ、道長や同僚の公任、行成などが彰子の座敷近くに逃げ込みます。
男達が複数集って雑談する風景、とりわけ父の道長が多弁で、仲間とふざけ合う姿など・・・彰子には初体験、「目から鱗」でした。
男達が雑談し、談笑している風景・・・そんな物をはじめて目にして、彰子は源氏物語・第2帖・箒木の「雨夜の品定め」の意味が朧気に理解できました。
理解・・・ではありませんね。映像が脳裏に浮かぶようになってきました。
ここら辺りから、藤式部・まひろの性教育? 恋愛指導が始まります。
感情を殺し、自己主張を一切せずにきた19歳・・・どういう展開になるのでしょうか。