紫が光る 第39回 まひろの家族
作 文聞亭笑一
時は昔も、今も、変わらずに刻限を刻みます。
なんとなく・・・平安期の時の流れは緩やかであったかのような錯覚に陥りますが、時の単位、時分秒は現代と全く変わりません。
時刻の数え方は変わっても、時間の長さが変わるわけではありません。
それなのに・・・平安期の時の流れを「緩やか」と思い込むのは、知識かぶれした現代人の傲慢さでしょうね。
7歳で即位した一条天皇も20数年の時を経て立派な成人です。
国家元首として威令を発揮したくなりますが、思うに任せません。
その最大の課題が後継者選びです。
長子・敦康を皇太子にしたい一条天皇
次子・敦成を皇太子にしたい道長と公家集団
それも表だって論争する性格の問題ではありませんので、互いにイライラが募ります。
「味方・協同発議の賛同者」を募りますが、さしあたっての緊急課題ではありませんから断わられます。
そう、多くの公卿達は世の乱れなどを心配していませんでした。
「いままでがこうだったから、これからもこうだろう」保守本流の前例主義ではありますが、コレがますます天皇の政治を縛ります。
改革どころか、天皇自らの個性の発揮すら許されません。
道長と式部
藤(紫)式部によって執筆された源氏物語は、一条天皇の目を藤壷の彰子に向かわせて後継者を得るという政治目的に対しては大成功でした。
物語(小説)の面白さに誘われた天皇と、物語から自由の発揮を覚えた彰子が意気投合というか・・・、親しく交わることでようやく普通の夫婦生活が実現しました。
これは「物語によって天皇を懐柔する」という計画の道長にとっては想定以上の成果でした。
その分だけ、紫式部への感謝の気持ちが高まります。
今回の物語は道長と式部は幼なじみ、恋人同士、賢子は道長の胤・・・という想定ですが、そうでなくとも・・・道長にしてみたら恩人・有り難い人です。
時代考証をしている倉本一宏は「源氏物語がなければ道長の栄華もなかった」と言い切ります。
同志というか・・・戦友というか・・・共同事業者として彰子の皇子誕生を演出しました。
「ヤッタ!」という高揚感からでしょうか。
二人は戯れ歌の交換などをしています。
すきものと 名にし立てれば見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思う
(浮気者と評判のあなたに、会って素通りは出来まい・・・据え膳食わぬは男の恥)
などと恋文を送ります。
これに
人にまだ 折られぬものを たれかこの すきものとぞは 口ならしけむ
(私はまだどなたにも靡いたことはないのに、浮気者などとは誰が言いふらしたのでしょう)
この辺までは冗談、親しさの表現と笑って見過ごせますが
夜もすがら 水鶏(くいな)よりけに啼く啼くぞ まきの戸口に叩きわびつる
(水鶏が夜通し水をたたくように私は槇の戸口で戸を叩いて開くのを待っていた。
貴方が恋しくて夜這いしたのに、どうして開けてくれなかったのだ)
ただならじとばかり叩く 水鶏ゆえ 開けてはいかにくやしからまし
(あまりにも熱心に戸を叩くゆえ、開けたらどれだけ後悔したでしょうか)
・・・となると、かなり具体性を帯びてきます。
ただ、こういう歌の贈答がOpenというのか、周りにも知られていると言うことをどう理解しますかね。
公然の事実だからOpenにするのだ・・・という意見もありますし、事実でないから冗談として公表するのだ・・・とも言います。
はてさて・・・噂とは想像の産物ですからね。
為時任官と惟規の死
源氏物語への感謝の気持ちを具現化すべく、道長は何度も紫式部の家族へ昇進のための機会を与えます。
父の為時にも、弟の惟規にも・・・。
父の為時へは宮廷行事や自邸での漢詩の会に審査員のような形で招いたり、宴会の余興に招いたりと目立つ機会を作りますが・・・為時は持ち前の学者肌、世渡り下手、不器用、糞真面目・・・
チャンスのすべてを無にします。
というより、自分の知識、学問を宴会などで使うのが許せないというストイックなところがあったようです。
招待された機会にも自分の役割が終るとさっさと帰ってしまいます。
行事の後の宴会で、公卿達に紹介し、しかるべき官位を・・・と考えていた道長の思惑をすっぽかします。
いますよね、
こういうタイプの人。
謹厳実直、公明正大と自分本位の価値観で振る舞い、周りの思惑を全く考えない…状況判断の出来ない人・・・扱いに困ります。
「清濁併せ呑む」などと言う芸当とは無縁の人です。
現代ならばマスコミ記者や評論家で、自己本位の正義感を売り物にするような方でしょうか。
政治家にはなれません。
弟の惟規・・・彼もイマイチでした。
道長・式部のヒキで六位の蔵人(天皇秘書官)に抜擢されますが、失敗が多かったようです。
最大の失敗は天皇の名代として宣旨を届けた道長の屋敷で、道長や公卿達に煽てられて酔っ払い、前後不覚になってしまったこともありました。
褒美をもらったのに、お礼の挨拶も出来なかったと誰かの日記に残されます。
親とは反対に人当たりは良く、融通は利くのですが、経験不足というか、慎重さが足りないというか、結局出世できませんでした。
しかし、道長の温情で為時は越後守に任官します。
遠方の国主は在京のまま、地方官僚に任せて置いても良いのですが、そこは真面目人間の為時です。
老体に鞭打って現地に赴任します。
越前の時はまひろが付いていきましたが、今度は従五位に昇進はしたものの無役の惟規が付いていくことになりました。
その赴任の途中で、惟規が病を得て急死してしまいます。
いずかたの 雲路と聞かば尋ねまし つら離れたる刈の行くえを
(雲の流れていく行き先がわかれば探しにも行きましょうが、群れから離れた雁一羽
あの雁はどこへ行ってしまったのでしょうか)
弟への哀悼歌です。
ともかく、父も弟も、姉への恩賞を受け取る度量がありませんでした。
残る肉親の娘・賢子が、後にすべての栄華を受け取ることになります。
三位・・・公卿並の地位に昇ります。
余談ですが・・・「この際・・・」と源氏物語に挑戦してみましたが続きませんね。
とりあえず全体の流れを把握しようと「漫画・源氏物語」を手に入れました。
これなら・・・読み切れます。