紫が光る 第46回 世か夜か

作 文聞亭笑一

先週の番組が「吾が世をば・・・」の場面まで進んでしまうとは、全く予想していませんでした。

粘る三条、押す道長・・・その間にあって「出世のチャンスを狙う」実資、三者三様の思惑がもう暫く続くのかと思っていました。

肩すかしを食いましたね。

三条天皇の退位

道長や、その取り巻きの閣僚たちによるによる退位への工作もさることながら、三条天皇の視覚、聴覚の衰えが極限に達し、業務遂行能力を喪失してしまったことが退位の決断になりました。

緑内症に良くある「一時的視力回復」も頻度が減っていきます。

視野狭窄も僅かな「点」でしか残らなくなります。

三猿でいう「見ざる、聞かざる、言わざる」の内の二つまで機能不全に陥ってしまえば天皇に残ろうとすること自体が「罪」になります。

国家、国民を考えない「我執」でしかありません。

いつの世でも、こういう指導者は排除されます。

 ・・・と、書いてはみたものの・・・プーチンや金正恩はどうなんでしょうかね。

価値観の違いと言えばそれまでですが、トランプが圧勝してしまう世界の状況を踏まえて・・・年寄の価値観はそろそろ店仕舞いをする時期なのかも知れませんね。

三条天皇が敦明親王を皇太子に・・・と粘り、それを条件に退位することを道長が呑んで政権交代が実現しました。

三条天皇にしてみれば「冷泉・円融交代制を実現出来た」と自己満足できたのでしょうが、皇太子に指名された三条天皇の長男・敦明天皇こそ「良い面の皮」です。

後援者は右大臣の藤原顕光ただ一人、しかも、この人は陣定(閣議)では「無能」と馬鹿にされている人物です。

敦明、皇太子返上

今回のドラマでは「敦明親王が皇太子位を返上した」とのナレーションだけで済ませましたが、数代にわたり継承されてきた「冷泉系、円融系交代即位」の前例を破る「制度破壊」であり、それは一種の革命でもありました。

前例重視の実資などが黙って受け入れる事件ではありません。

冷泉系の天皇は、○65花山天皇が道長の兄・道兼に欺されて、出家・・・退位しています。

○66三条は道長との政争の挙句に、体力が限界に達し退位しています。

68代天皇になる予定の敦明皇太子は・・・既に20歳代、先代となる後一条天皇はいまだ7歳、常識的に見て「あり得ない」組み合わせです。

しかも、敦明皇太子は父・三条天皇の醜悪とも言える我執を目の前で見てきています。

父に対して「そこまでやるか・・・」と失望していたのかも知れませんし、仮に自分が天皇になっても支えてくれる公卿が無能と評判の顕光では「やってられねぇよ」と投げ出したくなっても不思議ではありません。

顕光は既に50歳を過ぎていて、敦明が即位するまで現役でいる可能性は低いのです。

そして、相談相手も居ないというのが敦明の悲運でした。

取り巻きがいないのです。そこで、敦明が相談相手に選んだのが道長の4男・能信です。明子の産んだ4人の息子の内の3番目です。

この情報を得て、能信は一晩のうちに「辞任」の手続きを済ませてしまいます。

実資に漏れたら必ず抵抗する話を、隠密理に進めてしまいました。

どこか、叔父の道兼に似ています。

道長は正妻の倫子との間に2男4女、妾の明子との間に4男2女と12人もの子宝に恵まれますが、その子女達が皆、優秀でしたね。

それだけ教育が出来ていたという事になります。

道長ほどの権力者の次世代ともなれば、必ずといって良いほど内輪もめというか、家督争いのようなものがおきます。

それが全く起きずに次世代・頼道へと繋がっていきました。

支配者の心すべき事として修身、齋家、治国、平天下と言いますが、道長家の「齋家」は実に見事だったと言えるでしょう。

大手柄を立てた能信を、道長はあまり出世させていません。

この辺りも実資などの非主流派に批判されないように気を遣っています。

道長物語の執筆

道長の妻・倫子が藤式部に「道長の物語を書いて・・・」と執筆の依頼を出しますが、道長伝記である「栄花物語」を書いたのは式部の先輩・赤染衛門です。

どういういきさつでそうなったのでしょうか、わかりませんが、次回へのお楽しみです。

紫式部としては「道長をヨイショするような記事は書けぬ」という矜持がありました。

自分の作品に、それなりの価値観を覚えていただろうと思います。

もしかすると・・・倫子への対抗意識があったのかもしれません。

であれば、倫子の気に入るような文章にはなりませんね。

月の歌2首

<三条天皇の月の歌>

百人一首にも取り上げられている名歌です。

心にも あらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな

百人一首にも残るこの歌は、三条天皇の失明後、退位後の作品とも言われています。

「恋しかるべき」に・・・三条の「月=権力」を重ねるのは 思い入れが強すぎますかね。

満月のような天皇親政を求めてきたのに・・・事はならず永らえる命も虚しい と、読む

<道長の月の歌>

この世をば 吾が世とぞ思う望月の 欠けたる事のなしと思はば

この歌の解釈は「藤原家の傲慢」を謳ったケシカラン歌だと言い伝えられてきました。

この世は俺の世だ。俺の政治に一点の間違いもない・・・と、読みましたね。

しかし、読み方を変えると

一点の欠落もない、満月のような治世 これこそが俺が願ってきた世なのだ

となれば道長の目標とする世を満月に喩え、それに向けての決意を述べた歌になります。

日本人の意識の中には、いまだに皇国史観が残ります。

天皇制をめぐる議論、すなわち憲法議論にも通じますので一概に善悪を論じるわけにはいきませんが、明治政府が作り上げた皇国史観は、日本史をゆがめています。

デタラメに近い価値観まででっち上げて正当化しています。