紫が光る 第42回 女房に逢う

作 文聞亭笑一

二十五年ぶりの政権交代というのか・・・そうしたい三条天皇と一条路線を継続し、さらに従来路線を強化したい道長との綱引きが始まりました。

天皇の権力基盤は「権威」と「決定権」です。

一方の道長は「行政権」を握ります。

行政権とは大臣以下の役人達の組織です。

三条が新しい政策を実行しようとしても行政が動かなければ実行できません。

多数派工作

三条天皇の狙いは「親政」つまり天皇独裁にありました。

25年間の皇太子生活で、政治権力とは一切切り離された環境でしたから「権威」を手に入れた今、それを存分に発揮したいという欲望が蠢きます。

また、自身の年齢が38歳と当時としては老境に入ります。

あせりのようなものもあったでしょうね。

三条はまず、非道長派の入閣をはかります。

が、長年連れ添った妻・娍子の身内である通任を参議に押し込む程度で、三条の身内には適任者が居ません。

そこで目を付けたのが道長と永年対立関係にあった伊周の弟・隆家と中立派の実資を味方に引き入れることでした。

とりわけ実力者の実資に期待を寄せました。

一方の実資も筋論を基本に据える人ですから「左大臣の意向より天皇の意向を重んじる」というスタンスで対応します。

実資の日記には三条天皇からの、実資への期待の言葉が記されています。

「自分は久しく東宮にあって、天下を統治してこなかった。

今、たまたま皇位に登ったからには、自分の意に任せて政を行うべきである。

そうでなければ、愚頑な事である。

しかるべき時がきたならば大将(実資)に雑事を相談する様になるであろう事を、まずはこのことを大将に伝えておきたい」

・・・・・・かなり踏み込んだ内容ですね。

一種の「内示」です。

道長を引退、または閑職に追った後は、実資を左大臣・参議筆頭とするからよろしく頼む・・・という中身です。

顕信の出家

三条は更に一歩踏み込んで道長の内懐に攻め込みます。

明子の次男・顕信を蔵人頭に抜擢したいと申し入れます。

道長は正妻・倫子との間に2男4女、妾・明子との間に4男2女が居ます。

その子どもたちの立場ですが正妻優先になりますね。

倫子の子は皇太后(彰子)と中宮(妍子)大納言(頼道)と出世街道ですが、明子の方は教通が参議になっただけです。

まぁ、年齢からすれば当然というところです。

道長は兄が犯した失敗(伊周など身内を早く出世させすぎた)を繰り返すまいと、他の公卿達とのバランスを考えていたものと思われます。

顕信の抜擢には三条のミエミエな思惑があります。

①息子の顕信を腹心として味方に付け、道長家の分裂を狙う

②顕信を出世させることで道長に恩義を売る

道長にとって②は全く無意味でしたし、①への警戒が強く働き、即座に断わりました。

が・・・出世欲が強かった顕信は将来を悲観し、出家して世を捨ててしまいます。

道長病悩

顕信の出家で家庭内に波風が立ち、改めて妻と妾の対立などが表面化しました。

道長にとっては内憂外患といった状況に陥ります。

病は気から・・・という言葉の通り、悩み事が多くなると血流が滞ります。

自律神経の働きに不具合が出ます。

自身の日記には「頭の痛いことは破れ、割れるようである」とあります。

邪気が現れた、物の怪が現れた・・・などと記録にはありますが、神経性の血流不調でしょうね。

悪くすれば脳溢血とか、脳血栓とか、その種の発作に繋がったのでしょう。

これは若い頃からの持病だったようですが、一条天皇と政策が合わないときにも発生していました。

悩み事が大きくなると発生する突発性の頭痛でしょうか。

道長は病気を理由に内覧と左大臣の辞表を提出します。

一回目は即時に返却されます。

これは一種の儀礼ですね。即受領はしません。

二回目は異例の長期間保留になります。

この間に呪詛の噂やら、道長の病気を喜んでいる公家の噂やらが巷を飛び交います。

三条天皇も「状況次第では受理してしまおう」と考えたものと思いますが、実資以下が同調してくれるのか、それが読めません。

病気を喜んでいると名を上げられた者は5人です。

道綱(道長の兄)は後継指名を期待、実資は三条の信認、隆家は兄伊周との関係、懐平・通任は三条が出世させた参議です。

懐平・通任はまだしも、他の三人に全くその気はありませんでしたが、噂の出所が三条周辺らしいことから揺さぶりの匂いもします。

辞表は一ヶ月後に返却されました。三条派の期待「道長引退」は達成しませんでした。

妍子が女子を出産

三条天皇の中宮・妍子が内親王を出産します。

「元気な子なら男女どちらでも」と言っていた道長は言葉と裏腹に不機嫌になります。

実資の観測によれば「道長はこの時に冷泉系との絶縁を決心した」のではないかと記しています。

三条の皇太子は一条の子・敦成、そうしてその次は敦良という路線を決心したようです。

つまり、三条の4人の息子達に皇位は継がせない、三条との協調はない・・・と言うことです。

ともかく、三条の政治的駆け引きは道長にバレバレでした。

三条が期待した実資、隆家は道長派のスパイというか、情報伝達者であったようでもあります。

取り次ぎ女房

実資が三条と道長の間を繋ぐのに利用した情報パイプが皇太后・彰子でした。

彰子の元に伺候するとなれば道長との関係を疑われることはありません。

彰子は、どちらかと言えば道長には批判的です。

そして、彰子に会うための取り次ぎ役、それが藤式部だったようですね。

実資の日記「小右記」には「女房に逢う・・・云々」という記事が頻繁に出てきます。

つまり、皇太后に会う・・・という口実で彰子の元を訪れ、取り次ぎ女房の藤式部と政治的密談を行う。

それを藤式部が道長に伝え、また、実資への依頼や指示を藤式部が預かる・・・こういうことが繰り返されたと思われます。

記録に残るだけで10回以上「女房に逢う」とあります。

三条と道長の政争において、藤式部は政治的に・・・かなり重要な立場にいたようですね。