紫が光る 第40回 一条の悩み

作 文聞亭笑一

前回の放送では為時家の「光と影」が描かれました。

為時の越後守就任は経済面で大助かりですし、惟規の従五位への昇進は想定外の大抜擢でした。

それだけに・・・惟規が突然の病で亡くなってしまったのは痛恨事でした。

死因は?と考えてしまうのが現代人の通弊ですが・・・風邪からの肺炎でしょうか。

平安時代にはペニシリンなどの抗生物質はありません。

せいぜいが葛根湯です。

惟規の死を悼んで詠んだとされる歌が紫式部日記に残ります。

いずかたの 雲路と聞かば訪ねまし つら(連)はなれたる 雁がゆくへを

どこの雲路かがわかれば訪ねていけるものを、親子の列から離れていったあの雁はどこへ行ってしまったのか。

一条皇統の優位性確立

皇位継承は「冷泉系と円融系の交代制とする」という暗黙の了承が出来上がっていました。

だからこそ、先代・兼家も、当代・道長もぬかりなく両系統に娘を入内させ、皇子を得る政略をしています。

一条の後は皇太子・居貞親王に交代します。

そこへ・・・道長は二女の妍子を送り込み、冷泉系にも皇子・・・将来の皇太子候補の誕生を願います。

が、道長の本音からすれば、こういうややこしいしがらみを抜けて一条系だけで皇位継承が続く方が、管理がしやすくなります。

皇太子・・・天皇の有資格者が多いと言うことは、それぞれの候補者に取り入って政権奪取を狙うライバルを産みやすいのです。

道長にしても、ようやくにして政敵の伊周が消えて、兼家系(九条流)の後継者の地位が確立しました。

ヤレヤレなのですが・・・冷泉系の取り巻き公家についての対策は出来ていません。

ともかく、藤原一門も膨大に枝分かれして勢力争いを続けています。

紫式部の父・為時とて冷泉系の時代(花山天皇)は宮廷で輝いていました。

そういう非主流派が政権交代・・・譲位を待ち望んでいます。

なにせ一条天皇の世は25年を越えました。

そんな中で、先代の故・花山天皇の関係者から累代の天皇が愛してきたという宝物の楽器が、道長に提供されます。

「葉二つ」の笛

和琴の「鈴鹿」

いずれも花山上皇が手放さず愛用していたものですが、一条天皇の治世が長くなり過ぎると、天皇より7歳も年長の皇太子・居貞親王が先に身罷るかも知れません。

そうなると・・・冷泉系に天皇位が戻る可能性も希薄になります。

それを踏まえて、道長へのゴマスリでもあります。

・・・・・・・・・・早めの譲位をお願い致します・・・・・・・・・・

受け取った道長は「葉二つの笛」「鈴鹿の琴」を累代御物に加え、天皇の専有品として公式な宝物にしてしまいます。

私物か、公物か曖昧なものが存在すると、それを根拠に権利を主張するものが現れます。

平和な時代ほど・・・ワガママと同類の権利主張が幅を利かし、世の乱れになります。

現代もそれに近い・・・いや、それ以上に乱れているのかも知れません。

それはともかく、二つの御物を道長の管理下に置いたというのはその後の政争に有利になります。

敦康親王を巡る駆け引き

一条天皇の後半生は身内の相剋に神経を磨り減らす日々でした。

一条が天皇として即位してから、最初の5年ほど(12歳まで)は摂政の道隆が政務を取り仕切ります。

中宮に定子が入内し、従兄の伊周が内大臣となり中関白家が一世を風靡します。

一条もこの中関白家の一員として青春を過ごします。

従姉の定子に甘えていれば良い、その姉が昼のことも、夜のことも、すべて面倒をみてくれます。

将に・・・竜宮城でしたね。

その夢が破れたのが道隆の死と、伊周兄弟による花山天皇狙撃事件でした。

母とも慕う定子が出家してしまいます。

なんとかもとの竜宮城に戻りたい・・・という一条の夢も虚しく、道長、実資などの政権中枢は道長を中心とする政権を目指し、政策を実行していきます。

彰子の入内がその切り札でしたね。

天皇の特権を利用して「出家した定子」に皇子を産ませたのが、敦康親王です。

乙姫様からもらった玉手箱のようなものでしょう。

自分の後継者は敦康・・・定子=乙姫様の子・・・これが一条のロマンだったのでしょう。

一方の道長以下、政権主流派からすると一条のお伽噺に付合っては居られません。

奈良朝以来の公田公民制度が崩れて国税が滞ります。

更には公家や、寺社の私有地「荘園」が増えて、そこには荘園を守る武装集団・・・ヤクザ組織が発生し始めています。

彼らを組織化して武装集団としていくのが後の源氏、平氏なのですが、この時代は「用心棒」程度の集団で、政治に口出しできる勢力ではありません。

ただ、都の巣くうヤクザ集団は数百人規模の力を持ち、不満公家の指図で放火、窃盗、強盗などを繰り返します。

一条天皇の時代だけで御所が3回も焼けていますが、すべて放火です。多くの歴史家は「貴族政治への平民の不満」と言いますが、実態は不満貴族の政治闘争の手段だったでしょう。

土地勘もなしに清涼殿まで忍び込んで、密かに放火する・・・そんなことが平民に出来るはずがありません。

反一条派、反道長派の公家が、ならず者を雇い、放火を実行させた・・・とか、

木材供給地域(紀伊、飛騨、美濃)の国守が、再建を引き受け、手柄を立てようと放火した。

とか・・・世の不安を煽り、政権交代のために縁起の悪いことを起こすという策です。

御所焼失は最高に縁起悪い事になります。

とはいえ・・・手引きがないと忍び込めません・・・?

譲位への策動

一条天皇は元気です。

彰子に敦成、敦良と二人の子をなさしめますし、源氏物語の次を催促するほどに意欲旺盛なのですが、心が定まりません。

自らの後継者選びで道長と意見が合わないのです。

いや、話し合ったわけではありません。

道長が「敦康ではいけない」と言ったわけでもありません。

が、敦康の行事に道長が参加しません。

道長が参加しないと・・・公家達も参加しません。

どうにも敦康パーティーは盛り上がりません。

それに引き替え、3男坊の敦良の行事には主立った公卿は全員集合です。

盛大にどんちゃん騒ぎです。

それが出来るのは道長が金を払うからですが、敦康の祝いのスポンサーが居ません。

「次は敦康ではなく、敦成だよ」という既成事実というのか、アリバイというのか、そんなものが政界に漂います。

敦康を後継にしたい一条の悩みは深まりますね。