「論語と算盤」逐次解説 第3回 

文聞亭笑一

渋沢栄一はパリ万博に行って以来、外国人との交際を密にし、外国人から見た日本人の特質などにも敏感に反応し、反省材料にしていたようです。

9、健忘症

我が国の民は、総じて情が強すぎるという。

些細なことにたちまち激する。而して、直ちに忘れる。

つまりは感情で動いて堪忍が足らない上に健忘症である。これでは一等国とは言えぬ。

夏目漱石は小説「草枕」の冒頭で

「知に働けば角が立ち、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ」

と嘆きましたが、知情意というのは人間の精神活動を左右する大きな要素です。

この三つの要素をバランスよく回せるような人材を育てる・・・というのが教育の基本で、誰でも知っていることですが、いざ、自分に振り返ってみるとなかなかに難しいことです。

知に走り過ぎることもあれば、感情のままに突き進むこともあり、意地を張ってこだわりを捨てぬこともあります。

どこかで、立ち止まって自制する・・・それが大事だと確認している文章ですね。

親友のアメリカ人教授からの指摘で、栄一自身が自らを反省している文章でしょう。

更には日本人の国民性を論じていますが、栄一の見た明治の日本人は「情の人」だったようです。

現代は・・・「知の人」が多いようで、知を振り回すマスゴミや評論家、更に、批判するだけで提案しない野党が公共電波を占拠しています。

このマスゴミ・・・健忘症です。自分が主張したことも、三日もすれば忘れます。

10、野蛮の老人と文明の老人

勉強というと、対象が若者に偏るが、老人とて学ばなくてはならぬことが多々ある。

世間には守旧派の「野蛮の老人」と勉強を続ける「文明の老人」がいるが、私は文明の老人であることを希望する。

而して、「文明の老人」であるためには、身体は衰弱しても精神を衰弱させてはならぬ。

精神を衰弱させぬには学問によるしかない。常に学問を進めて時代に遅れぬ人であれば、精神に老衰はなかろう。

「論語と算盤」にも時々引用されるのが佐藤一斎の「三学戒」があります。

若くして学べば即ち壮にしてなすことあり。

壮にして学べば即ち老いて衰えず。

老にして学べば即ち死しても朽ちず。

かつて、小泉さんが総理の時に、放言、失言の多い田中真紀子大臣に「これを読んだら…」と渡したことで有名になりました。

もらった方は、中を読みもせず「論語をもらった」と失言して、またまた話題になりましたね。

野蛮の老人とは・・・きつい表現ですねぇ。しかし、世の中には野蛮な老人が溢れ、なんだかんだとトラブルを起こします。

野蛮の老人は精神が衰弱して自制心が無くなります。

智情意は図の通り、大きさのバランスも大事ですが、重なり合った真ん中の自制心が肝要ですね。

老にして学ぶ・・・とは、放っておけばバラバラになっていく「知情意」の三つの輪を中心に集め、重なる部分の面積を増やすことでしょう。

丸くなる・・・とは、そういうことではないでしょうか。

11、維新とは

「維新」とは「日に新たなり、日に日に新たにして、また日に新たなり」という意味である。

溌剌たる気力を発揮する時は、自然に生まれたる新気力を発し、進鋭の活動ができるのである。

近ごろは一般が保守退嬰の風に傾いている・・・猛省せねばならぬ・・・奮励努力を要する・・・<中略>・・・大勇猛心を発揮して活気を縦横に溢れしめ、区々たる情幣を打破して、向上の道を猛進せねばならぬ

栄一はこの章で「大正維新を起こせ」と若者たちに檄を送っています。

彼は天保11年(1840)の生まれですから、大正元年には70歳になっています。昭和6年、91歳まで生きますが、後期高齢者になってからも益々意気軒昂であったことがうかがえます。

明治の日本は、将に試行錯誤で、欧米先進国に追いつくのがやっとでした。とりわけ科学技術の点では基礎学力が不足し、欧米からのお抱え技術者に大金を支払うしかなかったようです。

バブル崩壊以後、億単位の給与で欧米から経営者を招いた企業もありましたが、要するに日本人では情や恨みなどが跋扈して「首切り」ができなかったということです。

ゴーンなどは果たして名経営者であったのか。彼を盛んに持ち上げていたマスゴミは首きりの片棒担ぎです。

12、千里の道も一歩より

青年が実業の世界に入ると、先ずは詰まらぬ仕事から与えられるのが常だ。

その与えられた仕事に不平を鳴らして辞めてしまうのは勿論ダメだが、詰まらぬ仕事と軽蔑して力を入れぬ人もダメだ。

およそどんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一部分で、これが満足にできないのではついに結末がつかぬ。

水戸光圀は「小なることは分別せよ。大なることは驚くべからず」と言っている。

古語に「千里の道も一歩より」とある

小さな仕事、詰まらぬ仕事もまともにできなければ、大きな仕事などはできぬ。

渋沢栄一は百姓から太閤にまで出世した秀吉の大ファンであったらしく、至る所で秀吉の実績というか、伝説を取り上げて例示します。

自分も百姓の出身で、功成り名を遂げたことから秀吉に自分を重ねているのかもしれません。

この章では秀吉が信長の草履とりとして、胸で草履を温めた話などを例に挙げています。

最近は研究が進んで、太閤記の話の殆どは秀吉の創作であり、その小説に江戸期に発行された甫庵太閤記がさらに美化する話を付け加えた・・・と云われていますから、やや眉唾です。

それもあって、秀吉の業績を引用した部分を取り上げるのは避けました(笑)

なにせ文聞亭は、この間まで明智光秀の心情で物を書いていましたからねぇ・・・。

まだ、立場、心情の切り替えが済んでいません。