「論語と算盤」逐次解説 第18回 

文聞亭笑一

渋沢栄一の講演録とも言う物を、つまみ食いして紹介してきましたが、今回で終わりです。

長らくのお付き合い、ありがとうございました。

69、仕事を楽しむ

およそ「業は勤(つと)むるに精(くわ)しく、嬉(たの)しむに荒(すさ)むという。

つまり、自ら担当する仕事に大いなる興味を持ち、趣味となるほどに楽しく仕事をしていれば、たとえいかに忙しくとも、難しくとも、面白くて、面白くて、怠ける気などは起こらない。

一方で、自分には向かぬなどと考えて、嫌々ながらに、やらされ仕事をする場合は必ず、まず、倦怠を生じ、次いで厭忌を生じ、次いで不平を生じ、最後には職をなげうつことになる。

前者を運の良い人と呼び、後者を運が悪いというが、運は自分で開拓するものである。面白くする工夫は自分にしかできないのだ。

仕事に限らず、「面白い!」と思うことには没入して時を忘れます。反対に気分が乗らないと、やる気が出ません。

嫌々ながらのお付き合いです。これが仕事であれば「給料のためだ。ショーガネェ」という態度で、仕事ではなく作業、苦行になりますね。

自分の現役体験を思い返しても、「楽しかった仕事」と「厭々の仕事」がありましたね。栄一の言う通り、眠る時間も惜しんで企画を練ったこともありますし、その反対に「風邪ひいた、インフルエンザかもしれぬので休む」などと、サボったこともありました(笑)

その気になって仕事に取り組むと、必ずと言ってよいほど「これは面白い!」と言う課題にぶつかります。探せば・・・何かあります。

70、世に逆境などはない

ここに二人の男がいる。

一人は地位もなく富もない、引き立ててくれる知り合いもないながら世に出たとする。

幸いにして健康で、勉強家で、努力を続けた結果、やがて世に出て財を成し、富貴な者となる。世人はこれを見て、幸運な人、順境の人と思う。

別の一人は生来懶惰で、学校もお情けで卒業し、仕事に就いたが与えられる仕事が巧くこなせない。

心中に不平が湧き、仕事が雑になり、失敗を繰り返し、ついには免職になったうえ、家庭からも、近隣からも疎まれて自暴自棄に落ちり、邪路に踏み込む。世人はこれを見て、不幸な人、逆境の人と思う。

しかし、そういう逆境を招いたのはすべて自分である。自業自得でしかない。

『運』と言うと摩訶不思議なものに思え、若い女性は運勢診断やお御籤が大好きなようですが、運が良いとか、運が悪いは・・・すべて結果論です。

「良い」と思えば良く、「悪い」と思えば悪いのが運ですね。喜寿77歳まで生きていて、こうやって物書きができて、一日万歩歩けるほど健康です。これほど運の良いことはありません。

71、細心にして大胆に

世の中が整うに従い、色々な制度や法規ができて新規の事業には制約が増えてくる。

軽佻浮薄な行動では咎められ、慎重に過ぎれば因循姑息となり、世の進歩を阻害する。

現在の世界の進歩は、将に日進月歩で、一時の逡巡もままならない。事業者は溌剌たる進取の気力を養い、かつ発揮して独立独歩の人とならねばならぬ。

日本には大勢の議員さんがいます。国会議員をはじめとする議員さんの仕事は「立法府」ですから、次々と法案を作り、改正し、行政予算などを決定していきます。

制度や法規は年々歳歳に増え、複雑化していきます。人や企業の行動を微に入り、細に入り、規制してくれます。

しかし、そう云う法や規制にばかりに注意が捉われていたら、発想は貧困になり、限られた小さな池の中を泳ぐ金魚になってしまいます。

どのような分野の事業であっても、太平洋を泳ぎ回るクジラほどの大きな絵を描いて、制約にぶつかる部分を修正しつつ事業を展開しようではないかと言うのが栄一の提案です。

「法律にかからなければ何をしても良い」などと、詐欺師のようなことを言う人もいますが、これは発想が逆です。法律にかからなくても、道義的に問題のあることをしてならないのは当たり前です。

現代の世情で「因循姑息」の最も当てはまるのが行政官僚の前例主義。「軽佻浮薄」の最もよく当てはまるのがマスコミのニュース解説 などと思ってしまいました。(笑)

72、運命を拓く

運と言う物は・・・天とか、神様とか・・・誰かに与えてもらうものではない。 それに、運命だけが人生を支配するものでもない。人はそれぞれ、持って生まれた素養に知恵を加えて、運命を開拓することができるのだ。

まず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に幸いし、運命を開拓するように仕向けてくれるのである。

「幸運な星の下に生まれた」などと言い、星座だとか、12支10干などを持ちだしてみたり、筮竹を捻ったり、ルーレットを回したりしますが、「そんなもので人生は決まらない。

運命はその人の生き方、考え方で決まる」と言うのが栄一の信念ですね。

そうだと思いますよ。人生の分かれ目、分岐点、交差点でそれぞれにいずれするかを判断し、選んだ道を辿り辿って現在があります。

選んだ道が正解だったか失敗だったかは別に、その道を乗り切るべく試行錯誤を繰り返してきましたよね。努力と言う投資と、成果との効率の良し悪しはありますが、それも今となっては大した問題でもありません。

食うに困らぬ年金があって、話し相手探しに困らぬだけ友人がいて、それなりに気持ちが張るボランティア仕事や趣味の会合があれば、それはもう…幸運そのものだと思います。

私などもこうして駄文を書き、勝手に皆様に送りつけていますが、拒否されないだけでも幸運そのものを頂きます。ましてや「Re;」など頂けば、天に上るほどの幸運です。

論語と算盤・・・抜粋・・・終