「論語と算盤」逐次解説 第4回 

文聞亭笑一

「論語と算盤」は、渋沢栄一が晩年に語った言葉を、インタビューした人が文章にまとめたものですが、時に栄一自身の体験を事例として語る部分があります。

それが真実なのか、それともその時のテーマに合うように装飾された(小説化)ものなのか、その辺が良く分からないところです。

偉人伝の類にはそういうところが多く、秀吉が大村幽古や、太田牛一を使ってまとめた「太閤記」などは、秀吉の「ほら吹き物語」が多く、筆記を担当していた大村幽古はあまりの捏造の多さと、ほら吹きのバカバカしさに、途中で逃げだしています。

更に、江戸時代になって小栗甫庵が面白おかしく日吉丸物語風の「甫庵太閤記」を書きました。

これが、身分制度の重圧に耐えている一般大衆に受けて、「百姓から太閤に」という日吉丸・秀吉人気を生みました。

渋沢栄一の場合がどうだったのか・・・良く分かりませんが、「論語と算盤」がまとめられたのは昭和に入ってからです。自慢話が少ないので太閤記とは違うでしょう。

13、立志

立志に当たっては自己の頭脳を冷静にし、しかる後、自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずるところに向かって志を定めるのが良い。

またそれと同時に、自分の境遇をも配慮すべきである。

立志・・・志を立てる・・・という言い方は戦後、殆んど使われなくなりました。

「目標を立てる」とか、「自分と上司との間で目標統合する」だとか、人事用語、教育用語になりました。

目標と志、似ているようで・・・違いますね。

目標は「頭の天辺で考えたこと」みたいなイメージですし、志は「臍下丹田」といったイメージがあります。

渋沢栄一は智情意の融合を常に意識していますが、現代の「目標」という概念は「知」に偏り過ぎている・・・と切って捨てられそうです。

臍下丹田、臍下三寸、できなかったら、そこへ刀を差し込んで切腹…。「覚悟」という意味合いが乗ってくるのが「志」でしょうか?

ここでは孔子の「吾15にして学に志し…」という一章を解説し、自分にあてはめています。

志学(15)、立命(30)、不惑(40)、知命(50)・・・

15で迷いながらも目標に向かい、30で何となくそれが明らかになり、40になって定まった。

50になってそれが自分の天職だと確信した・・・ということですから、孔子様でも切腹の覚悟が定まったのは40歳だということでしょうか。

渋沢栄一は17歳で侍になることを志し、明治6年に「実業界で生きると覚悟を決めた」と語ります。これが自分の立志だと言っています。

現代の目標の概念を、渋沢は「小立志・希望」と表現しています。希望は時々の情勢でいかようにも湧きあがってきますが、大目標・「志」とベクトルの合うものは残し、合わないものは捨てる勇気も肝心と言います。

さらに、「志は自分の長所を生かせるものが良い」と語ります。そして「境遇への配慮」つまり高望みをするなとも言います。

総理大臣になろうとすることは「志」ではない、総理になったら何をするかが志だ」とも言います。

野党の党首の志が見えないのが・・・日本の政治の貧困さではないかと思います。

14、やるときはやれ

世の中では「円満な人物が良い」というが、あまりに丸いと転がってしまう。

争いを起こさぬようにと妥協していると、自分の信念すら失う。

温厚篤実、丸い人柄・・・人物としての終盤の理想像として語り継がれてきました。

確かに、隠居して、現役を引退してからは「守るべきこと」「達成すべきこと」とは縁が薄くなりますから、知恵を争い、感情をむき出しにして、意地を通すこともないのですが、だからと言って理不尽な要求に迎合しているわけにもいきません。

とりわけ認知症予備軍の年寄には我侭でエゴ丸出しの人が増えてきます。「まぁまぁ、なぁなぁ」では済まされないことが出ます。

丸くなるとは、争わず、妥協して中庸を保つという意味でしょうが、常識を逸脱した場面に遭遇したら会津の訓え「ならぬことはならぬのです」と、角を立てなくてはなりません。

15、現実を あるがままに見よ

机上でのことと実態は大いに違う。学者や官僚は、机上でものごとを判断しようとして迷い、誤りがちになるが、自分の立ち位置と、他人のそれとを良く見て、相対的に判断することを忘れてはならぬ。

「あるがままに見よ」は禅の訓えの究極です。その為に座禅を組みます。

あるがままに見ていないのが、人の、人らしい所で殆どの場合先入観を持って物事を見ます。

山菜採りが良い例で、最初の一つが見つかるまで、ワラビもキノコもなかなか見つかりませんが、一つ見つかるとその周りから続々と発見できます。

パターン認識というのか、蕨、キノコも自分の思い込みの姿で探しているから見つからないのです。

この文節で栄一は、地図と実景を例に知識過剰を戒めます。地図は間違いなく地形を示していますが季節、時刻、天候、そして訪問者の想いなどで実景は全く別の顔を示します。

また、同じ景色を見ていても、人によって見え方が違うのだということを相対的と表現します。

16、習慣は伝染する

習慣は只ひとりの身体に付随しているものではなく、他人に感染するもので、ややもすると人は他人の習慣を模倣したがる。

習慣も伝染病、コロナだというのは面白い観方です。たしかに・・・うつります。

「この人は素晴らしい、手本だ」と思うと、何から何まで真似していきます。真似するということは「学び」の原点で、「学ぶ」の語源は「真似ぶ」です。

子供は親の真似をします。それこそが教育の原点ですよね。「父親は背中で子を育てよ」などとも言いますが、これほど難しいことはありませんよね。

真似をするか、それとも反面教師となるか、それは学ぶ方に選択権があります。

私は百姓一筋の父を反面教師としました。

息子は転勤族だった私を反面教師にしているようです(笑) 孫はさて、どうする??