「論語と算盤」逐次解説 第16回
文聞亭笑一
61、「信」は万事の根本
吾が国には武士道と言う優れた精神文化がある一方で、朱子派・林家の学にあるように
「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」という、支配者の学問が300年続いてきた。
御一新による四民平等の結果、海外から一斉に学問が入ってきたが、最も広く歓迎され、大きな勢力になったのは「功利の学問」である。
これは利をなし、産を興すのに誠に都合よく、一気に広がったが、その裏にあるキリスト教的道徳律は一顧だにされず、斬捨てられた。
その結果、単に財を蓄えたものを成功者とし尊敬し、羨望し、青年たちが目標にするに至るが、これ等の成金たちの中には、品性の劣る者も含まれている。
実業家の財産は「信」である。信は万事の本にして、一信よく万事に敵する力ありという。
儒学と言うと、孔孟の思想を十把ひとからげにしてしまいがちですが、論語などの原典と、朱子学、陽明学など解釈論とは、示す方向が随分と違いますね。
渋沢栄一は徳川300年の間に、変質し、劣化してしまった朱子学を「論語とは別の物」として排斥しています。
朱子学の「よらしむべし、知らしむべからず」と言うのも次項に言う通り、為政者が「自分は民に生かされている」という謙虚さがあって成り立つものだと捉えます。
明治以降に一斉に入ってきた西洋の学問は、事業を行うには実に便利なものでしたし、国際法や商法などは、それを知らなければ商売ができなくなる基本の学問でもありました。
ただ、そういう技法にのみ頼り「信用」と言う最も大切なものが抜け落ちた「成金」を栄一は嫌います。
後のエピソードですが、早稲田大学の創設の折、資金集めのパーティーがありました。大隈や、栄一の頼みに、財界人はその場しのぎに、お世辞代わりに、寄付を約束します。
後で「酒の席のことで・・・記憶にございません」と逃げるつもりですが、お開きの頃には栄一が出口に陣取っていて、「寄付金申込書」を書くまで、帰さなかったと言います。
62、人を治めるものは
何をするにも競争はある。競争は悪いことではない、いや、良いことの方が多いが、「目的のためには手段を選ばぬ」と言うようになっては本末転倒である。
家康公以来、幕府の政治は「人を治めるものは、他人に養われる者である」という原則に立ち、「武士は食わねど高楊枝」と清貧に甘んじてきた。
幕末はこの美風が失われ、武士は金に汲々とし、商人は卑屈になり、虚偽横行の世の中になってしまった。その余韻を現代にまで引きずってはならぬ。
文化は、時とともに頽廃していきます。ある程度仕方がないことですが、為政者の交代や、外的刺激などで改新されて、新鮮さを保ちます。
幕末の大革新は政権交代という内部事情よりも、開港、開国によって一斉に流入した外国文化の影響ですね。
ただその裏付けのキリスト教の戒律は拒否しましたから、それに代わるべき道徳律の普及が急がれていました。
それを、栄一が「論語と算盤」と言う形で提案します。建白屋と言われた面目躍如です。
63、孝行を強いてはならぬ
親孝行はこの国の美徳の一つである。が、親が子に強いたり、要求したりすべきものではない。
親から子に対して「孝を励め」と強いるのは、かえって子をして不幸の子たらしむるものである。
子がいかに努力しても、親の思うような子になれぬことの方が多いからである。
私の父は私に「跡継ぎ」の期待をしたが、私はその通りにならなかった。が、父が私に孝を強いなかったお陰で、私は思う存分に志に向かい、進むことができた。
父は生前に私を孝行息子だと言ったが、それは父が私に孝を強いなかった賜物である。
親孝行・・・現代では、すでに死語かもしれません。
「孝行を したい時には 親はなし」などとも言いますが、我々の世代までは・・・何となく残っていて、次の世代からは消え去った概念にも思えます。
とりわけ、マスコミや革新政党、日教組などが「親に孝、君に忠」という戦前教育を批判し、「君に忠」の共犯者として「親に孝」も消し去ってしまった様です。
それと、昭和期後半から平成へと、都市部での核家族化が進み、親と同居することが殆どなくなったことも「孝」の概念を希薄化させました。
結婚式の定番であった五つの親孝行の話も最近では受けないでしょうね(笑)
五つの親孝行とは、
①オギャーと元気に生まれ出ること
②自分の飯は自分で稼ぐ(就職)
③結婚し親の戸籍から出る
④孫の顔を見せる
⑤親の葬儀を盛大に上げる
最近は親の年金を当てにする②以降のできない人、③以降ができない人が増えました。
私も孝行など、してもらわなくて結構ですが、残るは⑤だけです。盛大である必要はありませんね。
64、昔は良かった?
昔は良かった・・・と現代を批判する論調が多いが、それは昔の傑出した少数の人たちと、現代の多くの有象無象を比べるからである。
昔と今と、どちらが優れているなどと言うことは一口には言えまい。
ただ、今の青年は学問の師を尊敬する風が薄い。学校に行っても教師を落語家か講談師の如くに評し、「講義がヘタだ」とか、「解釈が拙劣だ」などと批判する。
今の青年はただ学問のために学問をしている。目標もなく、漠然と学問する結果、実社会に出てから全く役に立たないのである。「学問すれば偉い人になれる」と言うのは迷信に過ぎぬ。
ちょっと耳の痛い話です。高校、大学では、・・・いや、中学生の頃から先生に仇名をつけて遊んでいましたねぇ。
中学の担任は「馬」とか、「手斧首」などといい、中学の同級会は「馬友会」です。高校になると先生総ての呼び名が仇名でした。
先日、母校の放送部の後輩たちが作った作品〈五郎ちゃんの教室〉が何かの賞をもらったらしく、NHK-BSで放送されました。
60歳の定年を控えた後輩たちの同級会、昔懐かしい教室で、担任だった〈五郎ちゃん〉の講義を受けます。ほのぼのとした感じで、懐かしかったですね。
大学も似たようなもので、「禿げ」とか、「弥三八」とか、勝手なことを言っておりました。
教師を落語家か講談師の如くに いやはや・・・、ご指摘の通りです。
昭和、平成、令和と時がうつろい、学問をする態度は昭和初年よりもさらに退化し、高校までは「入試のために勉学し」大学は「アルバイトの合間に」通います。