「論語と算盤」逐次解説 第15回
文聞亭笑一
57、悪徳経営
近ごろ悪徳経営者なるものが横行し、株主から委託された資産をあたかも自分の専有物の様に扱い、私利を得ようとするものが多くなった。
そうなると会社の中は伏魔殿となり、公私の区別もなくなり、秘密的行動が盛んに行われるようになる。忌々しき現象だ。
企業は一個人に利のあるものであってはならぬ。多数社会に利を与えるべきで、その為には企業が繁盛しなくてはならぬ。
なんとなく日産のゴーンの顔を思い浮かべ乍らこの章を読みました。
彼が悪徳か、そうでないかは裁判で決めることですが、彼が来日して以来、日本の企業風土は大きく変わりました。
日本的経営・・・渋沢栄一などが作りあげてきた論語的企業理念とは異なる、ハイエナ経営が主流になったように思います。
勿論、海外市場で、海外企業との熾烈な競争に勝つためには「郷に入ったら郷に従え」で経営手法はグローバルスタンダードに合わさざるを得ませんが、個人の利益のために公益を犠牲にするという態度は経営手法とは別物です。
トランプ大統領の政治姿勢、政治手法も・・・彼が実業界育ちだっただけに、米国産業界の経営姿勢を見るようで、あまり好感を持てませんでした。
58、武士道精神を実業道に
武士道というものは日本の精神的精華である。これが武士の世界だけにとどまっていたことが残念で、商人に道徳はいらぬ・・・などという誤った考えが横行していた。
孔子は云う
「富と貴きは、これヒトの欲するところなり。その道を以てせずしてこれを得れば処らざるなり。貧と賤とはこれ人の悪むところなり。その道を以てせずして、これを得るも去らざるなり」
〔お金や地位は誰だって欲しいものだ。けれど正しい道を歩んで得たものでなければ、身に着かない。貧乏で惨めな思いをするのは誰にとっても嫌だ。けれどもよほどひどい生き方をしなければそうはならない〕
この考え方は武士道の神髄である正義、廉直、義侠・・・などに適合するものでなかろうか。
日本企業は大和魂の権化である武士道を以て立たねばならぬ。
文中に「日本の商工業者は道徳的観念を無視して一時の利に走らんとする傾向があって困る。
欧米人も常に日本人にこの欠点があるのを非難し、商取引において日本人に絶対の信用を置かぬ・・・云々」ともあります。
江戸の末期から明治初期の、横浜での生糸取引もそうだったようで、外国商人は日本人を「嘘つき民族」の感覚で捉えていたようです。
江戸時代でも、寺子屋などでは庶民も論語などを暗唱していましたから、道徳律がなかったわけではないでしょう。
が、しかし商売の現場になると「商いは騙し合い、狐と狸の化かし合い」と言った感覚になってしまっていたのでしょうか。
士農工商と、最下位の身分にされた商人たちの卑屈さと開き直りが、倫理無視、道徳不在の商人道を作ってしまった可能性もあります。
欧米人に対して自虐的になる傾向もその延長かもしれません。
59、自虐発想から抜け出せ
我が国民には忌むべき弊習がある。それは外国品偏重の悪風である。・・・略・・・
維新以来早くも半世紀になろうとする今日、かつ又東洋の盟主、世界の一等国をもって任じておる今日の日本国たるもの、いつまでも欧米心酔の夢を見ておるのであろう。
いつまで自国軽蔑の不見識を敢えてするつもりであろう。実に意気地のない話である。 ・・・略・・・
先年陛下が示された「有無相通ず」とは数千年来に渡る経済の大原則である。我が国に適するものを作り、適さないものを仕入れることだ。
「我が国民には忌むべき弊習がある。」これは現在にも当てはまる悪習、悪風ですね。
文化人とか、専門家と言われる方々は、「日本はダメだ、ダメだ」ということで、海外で生半可の知識を仕入れてきた自分たちを偉そうに見せようとします。
やたらとカタカナを使いたがるどこかの知事さんも同様で、日本語を使えばよいのにわざわざ外国語を使って、人々を煙に巻きます。
とりわけマスコミ出身者や、マスコミ受けを狙う人たちにこの傾向が強く、訳もよく分からない新語を使うことで話題性を高めようとします。
彼らは「蒙昧なる庶民を啓蒙する」つもりで記事を書いているようですが、教育の基本は褒めることで、欠点をあげつらって叱ることではありません。
叱るばかりの「教育ママ」に育てられた世代はあまり活躍していませんよ。
物事は 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ 山本五十六
可愛くば 五つ教えて 三つ褒め 二つ叱って 善き人とせよ 二宮金次郎
一つ目は「軍人の言葉だからダメだ」二つ目は「古い」と批判してくれるでしょうね(笑)
かつて、昭和の初めころにJapan as No1という言葉が流行りました。
「一等国としての日本」というプライドは今も消えてはいないはずですが、軽薄な報道陣が「ダメだ」「ダメだ」とダメだしばかりを続けます。
馬鹿ですねぇ。ダメなのは、そういう日本のマスコミなのです。
「有無合い通ず」と「余っているところから、足りないところに運ぶ・・・それが経済だ」という解説は実に分かりやすいですね。
60、根拠を明確に
世人は、ややもすれば「維新以後に商売道徳は文化の進歩に伴わずして、かえって衰えた」という。
しかし、何が退歩し、頽廃したのか、その理由が分からない。
商売の基本は古今東西、信用である。昔と今と、信用を重んずる心は現在の方がはるかに高いと断言してはばからぬ。
但し、物事の進歩と道徳の進歩が同時進行していないのも事実だ。
とかく、具体性を欠く指摘が多すぎ、それが世評となるのは好ましくない。
前の文章とも共通するが、批判していれば進歩的・・・といった雰囲気があります。
それは、万年野党がマスコミと共に作ってきた文化ですが、「何を以てそう断言するのか」と質問したら答えに窮するでしょう。
「みんなそう言っている」とでも答えるでしょうが、「みんな」とは誰のことでしょうか?
マスコミが多用するアンケート、質問の仕方一つで白にも黒にもなります。
「オリンピックはやった方が良い(やめるべき)と思いますか」
質問で答えが動きます。