08 うつけと鉄砲(2020年3月4日)

文聞亭笑一

第7話では織田家の内情や美濃の国内事情やら、光秀と帰蝶、駒の恋心の三角関係に時間が取られて、信長やその子分たちにまで話が行きませんでした。私の読み違えでしたね。

蜂須賀小六が登場しそうにありませんが、道三の息子・斉藤龍興の取巻きとして、稲葉一鉄が出ていました。「頑固一徹」の語源にもなったという有名人です。稲葉一鉄は今回の物語にとって重要な人物になると思われますので、少し触れておきます。

稲葉一鉄(ドラマでの配役;村田雄浩)

美濃の地侍で、西美濃三人衆と呼ばれる一人です。道三に仕え、そして義龍に仕え、さらに信長、秀吉と仕えて70余歳まで生き延びました。

光秀とは、最後の最後(本能寺)まで対立する形になりますから、今回のドラマでは悪役の一人でしょうか。前回の番組でも、帰蝶を嫁に出して和睦を計ろうとする道三に対し、断固反対を唱える斉藤義龍の与力として登場しました。

稲葉一鉄の領地、居城は大垣市内です。西美濃三人衆は安藤守就、氏家直元とのコンビですが、稲葉一鉄が代表と言うか「筆頭」と言われます。大垣、墨俣辺りは美濃と尾張の国境地帯ですから、斉藤、織田のどちらの勢力に着くかで微妙な立場にあります。また、木曽川の水運の要衝でもありますので、それなりの経済力を持ちます。斉藤、織田どちらの勢力からも一目置かれます。

後の斉藤家の内紛では義龍側に着きます。道三方に着いた明智家とは対立します。信長と斉藤龍興との戦いでは、秀吉の工作を受け信長側について斉藤家を滅ぼします。

この時部下に加えたのが斉藤利三ですが、後に利三の明智家移籍問題に絡んで、光秀とは仇敵のような間柄になります。

「この問題が本能寺の変の引き金ではないか?」という説もあるほどこじれます。仲介に立った信長が何と説得しても応じず、「頑固一徹」の語源になったとも伝えられます。

さらに斉藤利三の娘・ふくは、その母が一鉄の娘ですから、一鉄の孫に当たります。

ふくは、後に徳川家光の乳母・春日局となり、大奥の権威者になります。

この辺りの人脈、血脈、実にややこしいですが、東海地方の人脈が戦国から徳川期の、政治の中核を担うことになります。幕府の政権は関東に移りますが、人脈は東海人脈です。

一鉄が信長から高い評価を受けていたのは、戦がめっぽう強かったことです。とりわけ浅井長政と戦った姉川の合戦では、浅井軍の攻撃に崩れ立った織田軍を救うべく浅井軍に横槍を入れて撃退しています。

この時も「勲一等」と信長が褒めるのを「勲一等は徳川殿で、それがしではない」と突っぱねて、褒美を受け取らなかった・・・と云うのも「一徹」の語源のようです。

吉法師・登場

いよいよ信長が登場しました。冷徹な独裁者として描かれたこれまでの信長イメージがありますから、前回画面に登場した信長に「!?」と違和感を覚えた方もあると思います。

私もその一人です。それに・・・過去の物語では「海に漁に出る」という設定は皆無でした。川漁、それも川干しが大好きと、司馬遼太郎も、山岡宗八も書いています。

「川干しは多くの人足を要するので、戦の駆け引きにも通じる。それを訓練していたのだ」

などと信長の各種奇行も、好意的に言われていました。

クジラか、マグロかを狙うような大きな銛を持っていましたねぇ。この当時は伊勢湾にもクジラやマグロが現れ、それを捕獲していたようですから、まんざら・・・ない話ではありません。

光秀は、道三から「信長という男はどの程度のうつけか見て来い」と言われて尾張に潜入しました。うつけ・・・とは「空っぽ」の意味で、漢字では「空」「虚」などと書きます。アホ(関西)、バカ(関東)、マヌケ(中京)と同義語です。

「うつけ」と呼ばれた武将には、信長のほかに毛利家を救った吉川広家や、徳川に睨まれぬように「うつけのふりをした人」前田利常などがいます。

その一方で、政務を放り出して庭づくりに興じた足利義政、蹴鞠に夢中になって家を潰した今川氏真などの「本物??」があります。

ただ、信長の場合は「ふりをした」のか、元々が性格異常であった可能性もあり、現代医学でいう「適応障害」であったのかもしれません。今回の脚本家は信長像としてどれを選びますかね。

鉄砲の歴史

以前、04で鉄砲伝来を書きました。それに関して、ある読者から「光秀が銃身を覗きこむと中はツルツルだった。螺旋状線条ができたのはいつか?」という質問がありました。ついでに、弾丸の技術進歩についても質問がありました。

鉄砲の戦略、戦術的価値を最初に見つけ、工夫をしたのは信長と光秀のコンビなので、信長と光秀が最初に出会う、ここで触れておきます。

鉄砲が伝来した頃(16世紀)の鉄砲は、すべて筒先から火薬と弾丸を装填します。火薬の分量は「目分量」ですから飛距離には差が出ます。さらに、火薬をしっかりと根元まで押し込めるか、いかに短時間でやるか、これは射手の装填技術・腕の差が出ます。そして丸い弾丸を押し込みます。これも、しっかりと押し込まないと筒先から転げ出てしまいます。

弾丸ですが、材料は、西日本は鉛、関東は銅が多かったと言われています。それぞれ産地との関係があったようで、鉛も銅もほとんど国産でしたね。どちらが良いかと言えば鉛の方が圧倒的に有利です。同じ大きさで重い・・・威力が増します。柔らかいので押し込めば完全に銃身に密着する・・・つまり、火薬の爆発力を100%弾丸スピードに乗せられるから、飛距離が上がり、命中率が高くなります。

丸い球ですからね。野球のボール同様に、回転がかかれば変化球になります。カーブ、シュート、フォークボール・・・なんでもあり。

後に、織田と武田が戦った長篠の戦ですが、「銃器の数にそれほど差はなかった」という説もあります。ただ、弾丸が織田は鉛、武田は銅だったと言います。三段構えもさることながら、この差が勝負を分けたと言います。

それはさておき、火薬と弾丸が一体化した薬莢が発明されたのは17世紀に入ってからです。

紙の筒に火薬と弾丸をセットして、筒口から滑り入れ、装填棒で詰め込みます。この時もまだ、弾丸の形状は丸です。長細い椎の実弾になったのは、元込め銃ができた19世紀で、金属製薬莢を作るためには、球形では都合が悪かった(生産性)ので、現代の形になりました。

さらに、銃身の内側に螺旋の線状を入れて、直進性を増す工夫をしたのがライフルで、これが登場するのは明治維新の直前です。今週は技術論文風になりました(笑)