いざ鎌倉!! 第2回 伊豆の頼朝

文聞亭笑一

第一回目は予想通りの顔見せ興行・・・伊豆の国と北条一家の紹介でした。

現在は静岡県と括ってしまいますが、この地域は元々・・・遠江、駿河、伊豆の三国が並んでいて、夫々に文化が違います。

とりわけ伊豆の国は東海道から外れるため僻地の扱いになりました。

当時の東海道は田子の浦、富士川を越えてから山手に進み、御殿場から足柄峠を越えて、相模の国平塚に向かいます。

箱根越えが東海道になったのは、家康が江戸幕府を開いてからです。

ついでに・・・平塚からの東海道も、現在の東海道ではありません。

「中原街道」と呼ばれる内陸の道筋が、古代・奈良朝以来の東海道です。

新幹線、東海道本線などの鉄道感覚とは全く違います。

この辺りを注意しないと、歴史を読みそこないます。

特に今回の物語は12世紀、1100年代の話です。900年も前の話です。

頼朝の流罪

平治の乱で、源氏一党は清盛の平家に破れ京都政界から追放されました。

本家・正統である頼朝が死罪にならなかったのが不思議ですが、伊豆に流されます。

伊豆とは・・・それほどの僻地だと認識されていたということです。

東海道から外れた南の半島、身動き取れない場所・・・と、島のように思われていたようです。

確かに六十四州には島が国になっているところがいくつもあります。

佐渡、隠岐、壱岐、対馬、淡路・・・この五つの国は間違いなく島です。

伊豆も・・・それに準ずる扱いだったのでしょう。

処分は遠島、島流しとなっていますから「島」と認識されていたようです。

とはいえ、伊豆の国府は三島です。富士山の麓です。

ノーエ節にも

♪ 三島女郎衆はのーえ・・・・・・三島さいさい、女郎衆はお化粧が長い

などと歌われていますが、これは江戸期に東海道が箱根越えのなってからのことですね。

頼朝の時代は代官所と三島神社があった程度の農村地帯だったのでしょう。

平家、清盛の天下であった時代は伊豆・東海岸の伊東、伊東祐親が伊豆の国主のような地位を占めていました。

西海岸の北条時政の正妻も、三浦半島の三浦義澄の正妻も伊東家の娘です。

血縁を結ぶことで連携を強化し、勢力を拡大していきます。

そういえば、昨年の豪雨で不法な廃棄土砂が崩れて大災害を起こした熱海の伊豆山地区、あそこには伊豆山神社があります。

頼朝と政子が逢瀬を繰り返した場所とかで、二人が使ったベンチ代わりの腰掛石などが史跡として残っています。

ともかく、流罪とはいえ自由なのです。そのうえ、地方には「貴種信仰」という都への憧れがあります。

都人の胤を宿し、それをもって家格を上げていこうという思惑があります。

系図と言われる物の多くは、出張に来た都人と一夜を過ごし、ご落胤を得て源氏や平家の仲間入りをします。

伊東祐親も、そういう思惑で娘に頼朝の子を産ませたのですが、平家全盛となって邪魔になったのでしょう。

平家に知れるのを怖れて抹殺します。

工藤佑経

第一回目を見ていて「おや?!」と思う人物が登場していました。

工藤佑経です。

ご存知の方も多いと思いますが曽我兄弟の仇討ちの物語で仇役になる人物、つまり兄弟の父を殺した男です。

前回は汚らしい姿で、シラミが集るような男でしたが、この先は頼朝のお気に入りになり、側近として肩で風を切るほどに出世していきます。

「爺様に奪われた土地を返せ」と哀願していましたが、工藤佑経が大番役(京都守護の当番役)として留守にしている間に、伊東佑経が横領してしまった伊東地区の領地のことです。

これは工藤が京にいる間に起きた事件です。

工藤は平清盛に返還訴訟を起こしたのですが、伊東の肩を持つ清盛に一蹴されてしまいます。

大番役を終えて帰ってきても住処がない・・・ということですね。

しかも、伊東は工藤の妻に出した娘を取り返し、仲間の土肥実平の息子に再婚させています。

土地も、家も、妻まで取り上げられては踏んだり蹴ったりです。

この工藤佑経、京の都にいる時代から鼓の名手として知られていました。

武士と言うより・・・多分に公家的な雰囲気があり、それが関東武者には嫌われ、そして都にノスタルジーを持つ頼朝に気に入られたということにもなります。

後のことですが、捕らえられて、鎌倉に連行された静御前が、鎌倉八幡宮の舞台で「静や静・・・」と舞いますが、その時に鼓を演奏したのが工藤佑経です。

鎌倉殿の13人の顔ぶれ

前回の放送で、13人のうち半分ほどが顔を見せていました。

①北条時政・・・政子や義時の父親です。

②北条義時・・・今回の主人公

③三浦義澄・・・佐藤B作が演じていました。息子の三浦義村は入りません。

④安達盛長・・・頼朝の側用人的に出ていました。

⑤和田義盛・・・三浦党の一員

あとは良く分かりませんでしたが

⑥比企能員(ひき・よしかず)・・・北武蔵の武士、頼朝の乳母である比企の局の息子

⑦梶原景時・・・義経物語では意地の悪い参謀役として登場します

⑧大江広元・・・文官として幕府の基礎を築きます。安芸の毛利家の祖とも言われます。

⑨三善康信

⑩中原親能

⑪二階堂行政 ・・・彼らも、どちらかと言えば文官です。

⑫足立遠元 武蔵の国足立郡の武士 文武両道に優れたというが資料が少ない

⑬八田知家 宇都宮家の出身で、後に常陸の守護になる。

それぞれに、いずれ登場してくるでしょうが、まずは伊豆の周辺での事件が続きます。