信長の姪(第3回)

文聞亭 笑一(市川 笑一)作

安土城の天守閣に立って、茶々、初の姉たちは琵琶湖の眺めから湖北の方角、故郷を望んで感傷に浸ります。幼い頃に、仲のよい父母のもとでの暖かい生活が思い出されて、涙すら浮かんできます。

が、江にとっては琵琶湖の水面に移る夕日の美しさ、荘厳さしか目に入りません。伊勢湾の海に比べてなんと穏やかな水の姿か・・・、物足らなさすら覚えたでしょう。

「これこそが、湖(うみ)だ」という姉たちの言葉に、「いや、海ではない」と反発さえ覚えます。幼児期に見たものと、それに与えられた言葉は、見る景色にも強い影響を与えます。姉二人、茶々や初にとって「うみ」とは琵琶湖の湖水のことでした。

文聞亭などは「山」と言えば乗鞍、常念、白馬と雪を置いた日本アルプスの連山を思い出しますが、京都に育った人は、東山のなだらかな山並みを思い、関東平野に育った人は、小高い丘陵すら山なのでしょう。さて、いよいよ信長との対面です。

9、誰に気おされることもない母の気品と、武将たちを自然と従わせる威光を江は誇りに思った。私には母上と同じ血が流れているのだ、そう思うだけで胸が高鳴った。次第に落ち着きを取り戻している姉たちも、自分と同じ気持ちでいるのが伝わってきた。

大広間には、信長の家臣団が居並びます。柴田勝家を筆頭に丹羽、佐久間、明智などのそうそうたる面々ですから、子供たちが震え上がるのは当然です。しかも、彼らは父を殺し、比叡山や伊勢長島で、僧侶や一般民衆を皆殺しにしてきた鬼のような軍人です。生きた心地もしなかったでしょうね。

こういう場に引き出されたら、知識の多いものほど、恐怖感を覚えるます。茶々にとっては、柴田勝家などは髭面の上に、「甕割り柴田」などと異名がつき、地獄の鬼にすら見えたことでしょう。

しかし、お市は堂々としています。一人ひとりの挨拶を受けて、にこやかに対応しています。柴田勝家などはお市の面前で泣き出してしまい、言葉すら発せません。

こういう姿を目の前で見て

「あぁ、お母さんは偉いんだ。強いんだ」と、江は嬉しくなります。

現代は子供の教育熱が異常に高く、私立の学校や塾などに通わせ、子供を他人に預けて教育しようという傾向にありますが、子供の教育にとっては親こそが鏡です。

特に、日頃一緒にいる母親こそ最大の教師です。その意味では「子供の塾の料金を払うためにパートに出る」などというのは、どこか間違っていないだろうかと疑問を感じますね。子供手当が、専業で子育てに当たる主婦にのみ支払われるのなら賛成しますが、一律のバラマキで「社会全体で子供を育てる」というような看板は、虚飾にしか見えません。

かつて「嫁を選ぶのなら、その母親を見よ」とも言われていました。女の子は特に、その母親を見て育ちます。「この親にして、この子あり」でしたね。母に似てくるのです。

父親…その働く姿が子供の手本になります。子供の寝顔しか見ない父親でも、その勤勉さは、立派に子育てをしているのです。男の背中と言う歌がありますが、父親はその背中、つまり、生活態度で立派に子育てをしているのです。卑下することも、罪悪感を覚えることでもありません。そして、子供が悪戯をしたときに怒鳴りつけて善悪を教えることです。

「父は義を教えよ。母は慈しむべし」…孟子の教えのとおりだと思いますよ。子育てはお金で片付くことではありません。

ある小学校の校長が嘆いていました。「親を教える学校がありませんかねぇ」

PTAが本来、その役目ですが、我利々々亡者に翻弄されて、機能していませんね。

企業内教育も然りです。社員は経営者、上司の背中を見て育ちます。「長」という職名は、伊達ではありませんよ。部下、後輩の手本なのです。

10、「お江、一つ わしの望みを聞け」
「望み ?」
「そちは宝を持っておる。
宝とは、持って生まれしその心根じゃ。……そのまま大きくなれ、お江。
おのれを信じ、おのれの思うまま存分に生きよ。それがわしの望みである」

お江は、信長と言う伯父に直接会って、話をしてみたくてたまらなくなりました。記憶にある「手」の持ち主ではないか…という思いが込み上げで、眠れなくなったのです。その好奇心の誘惑に耐え切れず、暗闇の中を信長の居室に向かいます。

そこは、お江の好奇心をくすぐるものに溢れていました。見るものすべてが珍しく、龍宮城に迷い込んだ気分だったでしょうね。そういう姿に、信長は自分の幼少の頃を重ねます。

信忠、信雄、信孝…自分の子供たちにはない、旺盛な好奇心、これに信長が惚れました。

女の子だったから、信長は惚れたのです。これが男の子だったら…、信長は自分を脅かす者として殺したかもしれません。お江の兄、浅井万福丸は関が原で処刑されていますが、お江はそのことを知りません。

11、「この手に何がある。多くの血に染まりし手に触れてみたいと申すか」
それには答えず、江は信長の手に、その小さな手を伸ばした。そして目を閉じた。
信長の手は暖かく、天下を牛耳る人の手とは思えないほど、ほっそりした指をしていた。節も高い。良く似ていた。けれどもそれは、記憶の中の手ではなかった。
だだ、母のお市の手に似ていると思った。目の前の伯父は、間違いなく自分と血のつながりのある人間であることを、江は強く意識した。

「違う」とがっかりしますが…手から伝わってくる温もりに、暖かいものを感じます。

血のつながり…それがお江にとって何かはわかりませんが、遺伝的体質が脈動のリズムのように伝わってきます。

お江にとっては先入観なしに、伯父として信長に接することが出来たのが幸運でした。

なまじ先入観のあった茶々や初は、鉾(ほこ)を手に遊んでいる信長とお江を見て「殺される」と直感し、大騒ぎを始めてしまいます。

12、「戦とはどうやら、男にしかわからぬものらしい」
「さような事はございませぬ。女子には、女子の戦いがございます
女子の戦いとは、生きることにございます」―――略
「平和とは勝ち取るものだと思うがの」
「そのお考えが間違いだと申しておるのではありません。泰平なるものを、弱き者の身から考え直していただきたいのです。それがおできにならぬのなら、兄上様に永き太平の世は築けぬと存じます」

騒ぎを聞きつけて、お市が現れます。兄が、お江を殺すことなどありえないのですが、泣き叫んでいる姉たちを鎮めなくてはなりません。信長と「戦争と平和」に関して意見を戦わせます。

女子の戦いとは、生きることにございます この言葉が、後に、お市からお江への遺言になります。女は、武器は取らぬが、生き延びて血をつなげることだと主張します。その遺言を守って、生き抜いたお江によって、三姉妹の父、浅井長政は従二位の名誉をを追送される事になります。三代将軍家光の外祖父として、歴史に残ったのです。

戦国期のさなかですから、戦争は常態化していました。明けても暮れても戦争です。この時期、東では家康軍団が武田勝頼とにらみ合っています。北では、柴田勝家を主将とする面々が上杉謙信にてこずっています。西では、羽柴秀吉が毛利軍団に立ち向かっています。南に目を転じても、本願寺門徒や雑賀軍団の抵抗で戦線は膠着しています。

平和とは勝ち取るものという信長の言葉は、まさに、そのとおりでしょう。全国の統一なくして、国家への価値観が統一できなくて、平和は訪れないのです。

現代に照らしてみても、そのことはわかります。核兵器が人類を滅亡させるバンドラの箱だということを知らぬものがありません。にもかかわらず、大国は削減もせずに核爆弾を保有し続け、これら大国に対抗するイラン、北朝鮮は核爆弾の開発に余念がありません。

信長が現代の総理大臣であれば、迷うことなく核兵器の開発を始めるでしょうが、核廃絶を国是とする現代日本人からは、総理に指名されませんね。

ただし、「世界各国の平和を愛する心を信じて、非武装」という現行憲法は甘すぎます。

幼稚園の「みんな仲良く」の延長線上にいます。自国の領海を侵犯する過激派に、相手が撃ってくるまでピストルすら発射できない自衛隊、海上保安庁、警察の方々が気の毒です。

やはり、平和とは勝ち取るものですよ。相応の準備が必要ですねぇ。