海人の夢 第2回 飢饉の国

文聞亭笑一

【紺色文字は原作(平清盛:藤本有紀他著)からの引用です。】

清盛が歴史舞台に登場した頃の日本は、現代同様に経済の停滞期にありました。飢饉と言う言葉で表現されていますが、不景気と言ってもいいでしょうね。物が流通しないのです。

飢饉と言えば、現代では食糧不足を連想しますが、山の動物がいなくなったわけではなく、海に魚がいなくなったわけでもありません。米の不足、これが流通を停滞させて、物資が流通しなくなってしまったのです。

なぜ、米が不足したのか・・・。天災と人災ですね。

天災は周期的にやってきます。地震、雷、火事、親父と言いますが、地震や火山の噴火は、何もこの時期に集中していたわけではありません。平安朝華やかなりし頃にも起きました。今回の東北地方を襲った大津波で、有名になった貞(じょう)観(がん)地震も平安中期に発生しています。

この地震で飢饉になったか? なっていませんね。富士山や浅間山も噴火しています。

火山灰が関東平野を埋め尽くしますが、飢饉と言うほどではありません。一時的に米は取れなくなりますが、そのうち回復して事なきを得ています。

雷とは異常気象のことで、旱魃(かんばつ)、冷害、台風のことです。黒潮の蛇行は何十年の単位で繰り返しますから、色々な気象異常が出ます。温暖化も、寒冷化も繰り返します。なにも、炭酸ガスだけが原因ではありませんし、エルニーニョだって平安期でも発生していたでしょう。あの種の現象がわかったのが最近だというだけです。

飢饉の原因は人災ですね。経済、特に流通が破綻してしまったのです。

当時の通貨?共通価値は「米」でした。全てのものが米に換算されて交換されます。したがって利益は米で蓄えられます。米が偏在してしまうんですねぇ。通貨としての米がどこかに蔵預金として保管されて、食料としての米がなくなってしまった結果が…飢饉です。

05、父の平忠盛は、ことし、40歳であった。四代の天皇に仕えただけに、平家の武士の中でもことに勢力を持ち、公卿たちから、その存在を憎まれ始めている。
清盛は、母の顔を知らない。自分の母は、どんな女性なのか、訊ねても父は教えようとしなかった。

世の中が騒然としてくると、武力の値打ちが上がります。それはいつの世でも同じ事で、尖閣列島に中国が現れ、竹島を韓国が不法占拠し、北朝鮮がミサイルと原爆を持ち出すと自衛隊の値打ちが上がってくるのです。災害があっても同じですね、平和時の体制では、非常時の対応が出来なくなるのです。

平安期は300年にもわたる長い平和が続きましたが、国家経済が破綻する辺りから、盗賊が跋扈(ばっこ)し始めます。詐欺師的商法が幅を利かせます。これを取り締まり、秩序を維持しようと思えば、武力の有る者を使うしかありません。源氏と平家、朝廷での官位は低いのですが、警察官として実力を蓄えてきました。藤原氏が「政治主導」と叫んでも、いざ事が起きれば、彼らの警察力に頼るしかないのです。

日頃「ポリ公」などと警察官を馬鹿にしますが、暴力犯が現れたら警察しか頼りにならないのです。自衛隊は憲法違反だといいながら、尖閣事件では「政治主導」でなす術がなかった民主党政権のようなものです。平家を憎む公卿たちの顔が鳩、菅、福島瑞穂に重なって見えますねぇ。現代の国会議員も平安貴族、公卿ではないかと心配しています。

06、もともと忠盛の祖先は、桓武天皇の末裔と言われているが、その父の正盛の頃まで、昇殿を許されていた家柄ではない。
官途についても、身分は低く、あまり京の都に住むこともなく、いつも伊賀国や伊勢国に住むほうが長かった。

昇殿を許される…とは、政治に参加するということです。政治は立法、行政、司法の三権ですが、警察官、自衛隊員にはどの権限もありません。平家の身分は、その程度です。

身分が低いということは、給与所得も低いということで、都のような物価の高いところに住んでいては破産してしまいますから、当然のことながら自分の根拠地に住みます。

平氏の根拠地は伊勢の国ですが、その構成員は漁民など海に生きる者たちが多いので、近隣の尾張をはじめ、伊豆、房総などにも氏族がいます。後に、頼朝の妻になり、鎌倉幕府を乗っ取ってしまった尼将軍、北条政子は平氏の一族です。不肖、文聞亭も、その北条の末裔だと聞かされていますので、山ノ神には頭が上がりませんねぇ。

それはさておき、冒頭に述べた飢饉の話ですが、米が滞ってしまったのは一部の資本家が大量に米を蓄えたからです。貨幣が信用されていませんから、資本を蓄積するには米を持たなくてはなりません。今なら「金持ち」ですが、この当時は「米持ち」が羨ましがられました。平氏もその米持ちの一人です。不当に蓄えたのではなく、流通業の利ざやとして稼いだわけで、飢饉ともなれば米相場は鰻上りですから、ますます財産が増えます。

配下の者たちにも食料を分け与えて、ますます兵力、勢力を増やしていきます。藤原政権は何もしてくれませんが、平家は庶民を助けてくれます。人気が出ないはずがありません。政治不信が武士の台頭をもたらしたのです。

源氏も同様、武士たちは飢饉のあるごとに実力をつけてきました。

07、もともと平家は、源氏と同様、公卿の私兵として発展してきた身分の武士であった。
平安朝の頃には、藤原家が最も勢力を持ち、天皇が幼少のときは摂政、ご成人の後は関白として、その一門が公家政治を左右していた。藤原家は、ほかの公卿たちが勢力を持つことを嫌い、一つずつ朝廷から退けていった。

藤原家は物語の中では、政権担当能力もないのに、権力を乱用して庶民を苦しめる極悪人として描かれますが、平安時代という平和で、文化が花開く時代を作り上げてきた功労者でもあります。藤原一門が天皇家に近づいたのは、大化の改新の中臣鎌足からですが、政敵を次々打ち倒せたのは、その経済力です。藤原氏そのものが後期渡来人で、高い文明を持っていたことに加え、更に遅れて渡来した秦一族を傘下におさめたことが大きかったですね。秦氏は優れた農業技術と、商品取引に関する法体系を持っていました。これをフルに活用して日本に産業革命とも呼ぶべき革新をもたらしたのです。

鉄器をはじめ、治水などの農業技術があります。これが普及していくことで米の収穫量は飛躍的に上がります。治水の技術がありますから、原野の開墾が進みます。農業という分野ではありますが、この国に高度成長をもたらしました。また、取引ルールとしての相場などの制度も持ち込みますから流通が活性化しました。まさに福の神の到来だったのです。

秦氏の守り神が、全国に最も末社の多い稲荷神社です。稲作と商売の神様ですよね。

秦、畑、羽田、波田、波多…ハタと名のつく地名、苗字は秦一族に関係のあるところが多いようです。皆さんの近くにもありませんか。

やはり、経済成長の引き金になるのは新技術、新体系ですよね。TPPも嫌ってばかりいては、経済成長は望めません。農業も、日本の技術は凄いんですよ。JAICAで派遣されて飢饉の国に行った指導員は皆、神様として尊敬されています。こんな狭い国でちまちま農業をせずに、目を海外に向けるべきではないでしょうか。

08、「食うに困るゆえ、人を害(あや)め、人の財産を奪っても良い、と言う考えが通るものかどうか、この娘に、おのれで悟らせてつかわしたい、と存じます」
そう言ったとき、まだ17歳の清盛の顔に、もうすっかり世の中を知っている大人のような、そして、相手を少しも許さない、という厳しい表情が浮かんでいた。

清盛には、その生い立ちはともかくとして、庶民の中で育ってきたバランス感覚が備わっています。京の都の都会人の生き方と、伊勢の田舎の農民、漁民の生き方の双方を体験してきています。だから、立場を変えてものが見えるんですね。

このことが実に重要で、「複眼でものを見よ」などと言われても、ひとつの立場しか体験がなければ、複眼で、つまり立場を変えてものを見るなどということは出来ません。

紙屋のドラ息子がカジノで数十億円も無駄遣いした事件がありましたが、平安貴族も似たようなものだったと思います。飢饉のさなかで庶民が苦しむ中で、ハコモノの寺社ばかり建てていましたからねぇ。

現代の国会議員も二世議員が半分ほどいますし、団体職員出身者が沢山います。この人たちは平安貴族の藤原さんと同様でしょうね。国家の財政、経済よりも勢力争い、権力争いのほうが大好きなようです。今の日本は飢饉ですよ。食い物はありますが働き口がありません。「職場飢饉」だというのに、お公家様(国会議員)は政争に明け暮れます。

清盛がリーダとして構造改革に乗り出すのはまだ先の話ですが、若いうちに色々な人々と交流したことが、彼の生涯の財産になって行きます。