海人の夢 第3回 六波羅屋形

文聞亭笑一

【紺色文字は原作(平清盛:藤本有紀他著)からの引用です。】

ようやくにして、藤本有紀の原作が手に入りました。大河ドラマの脚本を物語風に綴ったものですが、それによると、私が「海人の夢」01、02で書いた部分は第5章、第6章に当たります。ドラマでひと月、5年ほど近く先行してしまった感じですね。

それでは「追いかけ」になりません。仕方がないので、しばらく、大河ドラマに付き合って、清盛の青春時代の時代環境を考察してみたいと思います。引用文は村上元三本からのものを数字で、藤本有紀本からのものをF1というように入れておきます。少々読みにくいかもしれませんが、あしからず。

ところで、第一回目の視聴率はNHKの大宣伝にもかかわらず低かったようですね。

混乱の時代のリアリティーを出そうと、画面から伝わるものが何か陰気で、汚いイメージがありました。が、この時代の京の街中はもっと美しかったはずです。京の町が汚くなるのは保元平治の乱がおきてからで、白河法皇の時代は、まだ雅さが残っていたはずです。

とはいえ、現代の新宿、難波の歓楽街は汚いですからねぇ。場末の貧民窟を見たら、あんなものかもしれません。

09、このころの平忠盛の館は、京都東山に向かって、現在の五条橋の南、大仏方広寺の北の方一丁ほどの、六波羅と呼ばれるところにあった。

六波羅、懐かしい地名が出てきましたので引用しました。第一話でも忠盛が川原で馬を洗ったり、身を清める場面がありましたが、あの川は鴨川です。今と比べて鴨川は川幅が3倍くらいあったと思われます。治水技術がお粗末ですから、大雨のたびに氾濫し、広い河川敷を用意しておかなくてはならなかったでしょう。現在の河原町通り、あの辺まで川幅があったと思われます。

現在の五条通、東海道から山陰に向かう国道9号線という大動脈ですが、現在の五条大橋と、平安期の五条大橋は位置が随分と違います。五条大橋より一つ北側の、現在の松原橋あたりがこの時代の五条大橋に当たります。現在の位置に移ったのは明治以後なのですが、名前が売れていますから、どうしても勘違いしますね。現に、義経と弁慶の人形が橋の袂に飾ってありますから「ここで牛若丸が…」などと信じてしまいますね。

文聞亭は京都時代、五条大橋の橋の袂に9年間住んでいましたから、六波羅辺りは何度かぶらつきました。五条大橋を渡って北側に六波羅神社があります。私は、てっきりここが平家の屋敷跡と信じているのですが、どうなんでしょうかねぇ。六波羅神社は寂れて、観光客も余り立ち寄りません。明治維新で賊軍になった会津藩や新撰組が、ここを勤皇浪人狩りの基地にしていたからでしょうね。どうも、六波羅と聞くと「敗者の廃墟」のイメージが強いのですが、これも源氏や明治政府に騙された歴史観の所以なのでしょう。

今年は、六波羅詣での観光客が増えることを、元・住人として願っておきます。

F1,「平太、そなたが転ぶのは体の軸が出来ておらぬからじゃ。お前も鍛錬を繰り返せば体の軸が出来る。しかし、それだけではいつかまた転ぶ。船に乗り、魚を獲ることは、漁師に生まれた鱸(すずき)丸(まる)にとっては生きることだ。それは、鱸丸の心の軸だ」

第一話で、忠盛と平太が漁船に乗って海に遊ぶシーンがありました。平太、清盛が海に目覚める重要なシーンです。その中で平太は船の上で立てずに転んでしまい、悔しがるシーンがありました。その後は忠盛の海賊退治の場面でした。

体の軸、心の軸、…良い話なので引用しました。ゴルフでも、野球でも、体の軸がずれると決して良い結果が生まれません。仕事でもそうですが、自分の立場、立ち位置がわかっての場合と、なんとなく流れのままに立ち向かうときでは、結果に大きな差が出ますよね。

失敗原因の多くは、軸がぶれていたときです。

自分は何者なのか…この解を求めて平太はさまよいます。現代の子供たちも中学生くらいになると、同じテーマを背負って親に逆らいます。まぁ、子供が大人になるための通過儀礼、麻疹(はしか)のようなもので、避けて通ることは出来ません。誰でも経験しなくてはなりませんし、この苦しみの中で、ようやく動物から人間になるのです。この苦しみは人によってさまざまで、時代によっても発露の仕方が異なりますが、それを発揮させまいと縛りつけがきつすぎるのが現代の教育です。結果は、平太同様に、極端な非行に走ります。

酒、タバコなどは序の口で、鬱積すると「人を殺してみたかった」などという中高生が現れます。放任しすぎてもいけませんし、かといって監視しすぎ、過保護、過管理、過干渉などは子供の人生を捻じ曲げかねません。中学校のPTAなどでは「親を教育する機会」をもっと、もっと増やすべきでしょうね。少子化ともなれば、文部科学省の重要なテーマだと思いますよ。

第二章でも、この言葉は繰り返されます。わがままで、非行に走っていた清盛が、父の言葉を思い出すシーンです。

お前も鍛錬を繰り返すことで体の軸が出来る。おのれにとって生きるとはいかなることか。それを見つけたとき、心の軸が出来る。心の軸が体を支え、体の軸が心を支えるのだ。

F2,白河院は深く仏教に帰依し、その教えに従って殺生禁断令を出していた。
鳥や犬を飼うことのみならず、狩や漁も禁じるものだった。命令を徹底させるため、魚網を京に送らせて白川院御所の門前で焼却させたという。

これは文聞亭も知りませんでした。白河法皇が殺生禁止令を出したんですか?!

こういう悪法は徳川五代将軍の綱吉だけかと思っていましたが、前例があったんですか!

「深く仏教に帰依し」とありますが、仏教では決してこのようなことを要求したり、指示することはないと思うのですが、権力者が狂信的になったら逆らえなかったのでしょうね。

綱吉は犬だけを偏愛しましたが、山の獣や、海の魚まで禁猟にしてしまうとなれば、これは異常です。蛋白源を何に求めていたのでしょうか。

仏教に帰依した結果…と、作者は言いますが、祈祷師や陰陽師などのインチキ宗教に凝り固まった結果でしょうね。オーム心理教のようなものでしょう。

そういえば現代にも白河法皇、将軍綱吉の末裔がいます。シーホークと名乗る狂信的な鯨愛護団体ですが、彼らは「ヒトよりも鯨が大事」と捕鯨船に攻撃を仕掛けてきます。これを取り締まらない豪米政府も…どこか怪しいですねぇ。あそこまで極端でなくても、動物愛護団体の方々は、少々宗教的ですね。山の畑を猪や鹿、野うさぎなどの荒らされた文聞亭などには、都会育ちの「たわごと」としか思えません。

そこまで行かなくても、犬や猫を可愛がる人が増えて、犬猫を人間同然に扱います。他人に迷惑をかけない限り、個人の自由ですが、争いごとが起きたときは、ぜひ、人間優先で判断していただきたいと…切にお願いいたします(笑)

F03、王家の犬ではない。武士による武士の世。それは多くの武士の悲願であったが、この頃には思い描くことすら難しい夢でもあった。そんな世に、平清盛は無頼の心を抱えたまま、乱世の舞台の真ん中に身を投じていった。

人民の、人民による、人民のための政治と言ったのは清盛よりも700年後のリンカーンですが、平安期の日本人が、果たして、このような思いを持ったかどうかは疑問です。

犬ではない。俺たちは人間だ、という思いは、武士に限らず、多くの農民や漁民の共通のものだったでしょうね。ましてや、魚を獲ったというだけで牢屋にぶち込まれたり、死罪になっては堪りません。「人間の扱いをしてくれ」というのが清盛の夢だったと思います。

清盛が「良かれ」と思ってやった海賊退治が、結果的には裏目に出て民を苦しめてしまったというプロセスを通じて、清盛は政治に目覚めます。人を縛る縄、それが法律ですが、為政者のわがままで勝手に法律が作られる政治体制に、強烈に反発したのでしょう。

外部から、野党として改革することに限界を感じた清盛が、政権与党に入って、内部から改革しようと決心したのが第3話です。

現代も、政治、行政改革が叫ばれて久しいのですが、政権が変わっても一向に解決に向かいません。事業仕分けに多くの国民は期待しましたが、全く効力を発揮しませんでした。むしろ、以前よりも悪化の傾向にあります。渡辺喜美が野党の立場で行政改革を叫びますが、これまた数の力に跳ね返されます。それよりも東の慎太郎が大東京をバックに、政府とは関係ないところで、着実に成果を上げていますし、西の徹チャンも大阪府で着実に成果を上げました。中部でも村々コンビが減税に取り組んでいます。公卿化してしまった国会議員より、地方領主のほうが民の心に合致した政治をしますね。

武士の台頭…というのは、地方の声が、京の都を圧倒していく過程です。

国会議員の先生方も、派閥だ、マニフェストだなどと馬鹿な争いをしていると、「武士」にやられますよ。現代の武士が、自衛隊や警察のクーデターでは困りますけどね(笑)