海人の夢 第9回 はみ出し兄弟

文聞亭笑一

【紺色文字は引用でF数字は藤本有紀著、数字だけは村上元三著「平清盛」です。】

NHK大河では、今週から雅仁親王という、天皇家のはみ出し者が登場します。

この人が、後の後白河法皇です。源氏と平家を掌(てのひら)の上でころがして、政治をもてあそんだ怪物ですが、風説が正しければ、清盛とは血のつながった兄弟に当たります。ただ、清盛が白河法皇の落胤であった証拠はありませんから、俗説を信じれば…という範囲ですね。

雅仁親王のこの時点での皇位継承順位は4番目か5番目、ほとんど天皇位が廻ってくる可能性はありません。政治的利用価値も低いので、公卿たちも注目しません。放任されて勝手気ままに市中をうろつく、金持ちのボンボン、放蕩息子のような存在でした。

が、これに目をつけて政権の座にのし上がろうとした策略家が居ます。高階通憲、後の信西入道です。NHK大河では、好奇心旺盛な貧乏学者の役で登場してきていますね。

現代の政治家に置き換えれば…、鳩を持ち上げて政権奪取を果たした蝦蟇(おざわ)親父(いちろ)が良く似た政治家でしょうか? ドジョウがでてきて風向きが変わり…臍(へそ)を曲げていますねぇ。

ともかく、この時代は現代に酷似しています。税収が落ち込んで国家は財政破綻し、天変地異が頻発(ひんぱつ)して失業者、被災者が巷(ちまた)に溢(あふ)れます。政権への信頼が地に落ち、各地の実力者は国家の法令を無視して、「自分さえよければ」と勝手気ままに振舞います。世の中は欲まみれ、我利(がり)・我利(がり)亡者(もうじゃ)が溢れていました。その意味では源氏も平家も例外ではなかったでしょうね。現代の企業経営者そのもの、高級官僚そのもの…といったところです。

一般大衆も国家よりも身の安全に不安を抱きつつ、自分の欲が優先します。

F17、義朝に流れる源氏の血が騒いだ。来るべき世に備えて、まずは源氏の力を蓄えなくてはならない

源氏には、義朝よりも3代前に八幡太郎と呼ばれたスーパーヒーロー源義家が居ました。征夷大将軍として東国、奥州に遠征し、前九年、後三年の役で東日本の敵対勢力を服従させ、中央政権の勢力圏を東日本全体に及ぼした功労者です。同様な軍事的ヒーローは日本武尊(やまとたけるのみこと)、坂上田村麻呂などが居ますが、源義家の活躍は義朝の曾祖父の時代のことですから、当時としては、まだ記憶に新しいところですね。

我々現代人から見れば、日本海海戦でロシア艦隊を打ち破った東郷平八郎、秋山真之といった存在でしょう。義朝の体内で騒いだ源氏の血とは、ヒーロー義家、スター義家の曾孫(ひまご)であるという誇り、憧れ、自負だったでしょうね。

義朝がこの時期、関東に出かけたのは武者修行や修学旅行ではありません。地方遊説です。義家が築き上げた地盤を固め、人脈を修復し、経済面でも支援を求め、源氏の実力を向上させるための政治活動です、政治的デモンストレーションです。中仙道を進んで、信濃の木曽、上野の新田、下野の足利などの親戚回りをして協力要請をしますが、いずれも色よい返事をもらえません。常陸、下総、上総、武蔵のいずれでも邪険にされ、失意の中で、ようやくにして、協力者にめぐり合ったのが相模の三浦義明でした。

三浦氏は、三浦半島を根拠地にしている豪族です。三浦半島一円は、今でこそ鎌倉を始め、逗子、葉山などの高級住宅地が立ち並びますが、当時は全くの寒村です。米すら碌に取れないド田舎でした。発展したのは義朝の子、頼朝が鎌倉に幕府を開いてからのことです。

ですから、関東を一巡りして、やっと得られた遊説の成果ではありますが、大宰府を再建し、北九州全域を平家の勢力下に置いた清盛の成果とは比較になりませんでしたね。

獲得した人気を選挙の票数に置き換えれば、1万票と2百票位の差です。

F18、親王が誕生し、躰仁と名づけられた。
ぎりぎりに保たれていた王家の均衡を崩す命が誕生したのである。この皇子の誕生は、藤原摂関家にも一大事であった。

崇徳天皇と鳥羽上皇の二元政治がこのときの政体で、公式には天皇に全権があるのですが、実態は上皇の意のままに動くという政権運営です。衆参ネジレという現在の国会に似ています。与野党協議で合意しないと動かないのが現代ですが、当時も藤原摂関家が国会対策委員長的役割を演じて、かろうじて政策決定が行われていたのです。

上皇に実子が生まれたことが、なぜ大事件なのか。これは皇位継承順位が大きく変わることを意味するからです。天皇の子が皇太子になるのが当然ですが、上皇が実子を皇太子に指名したら、崇徳天皇に加担している藤原摂関家、北家は排除されかねません。上皇の権限が強化され、取り巻きである藤原南家や、平家が実力を発揮し始めます。政権交代となれば、道長以来培ってきた北家の既得権益が、すべて失われてしまいます。北家にとって大事件に違いありません。

父や兄は「大変だ、大変だ」と騒ぐだけですが、内大臣の頼長は、この頃からクーデターの準備に掛かります。院政という変則な政治形態を排除し、天皇による一元政治、すなわち道長の時代の藤原政治に戻すために、源氏を使う粛清を画策します。

F19、「さよう、わしはいずれ雅仁様が帝となる日に賭け、乳父となった。
清盛殿。きれいごとだけでは政は出来ぬぞ。雅仁様こそは王家に渦巻く積年の鬱屈より流れ出た膿。すべての歪みを抱え込んだ毒の巣じゃ」

冒頭にも触れたとおり、高階通憲(信西)は策略家です。彼の生家は藤原南家ですが、学問の家である高階家に養子に出されます。さらに、その高階家も義父が務めていた学問の首座、文部大臣の地位を、義父が死んだことを理由に藤原北家に奪われてしまいました。彼が世に出るためには、なんとしてでもスポンサーが必要になります。

その彼が目をつけたのが雅仁、後の後白河です。妻を乳母として雅仁親王の取り巻きに送り込み、自らは家庭教師として養育に当たります。赤ん坊に目をつけて、育てながら将来に賭けようというのですから、実に遠大な計画ですね。

日本史の中で、世を混乱させ、戦乱を巻き起こした3悪人を挙げるとしたら、この後白河、信西コンビが最初でしょう。その次は応仁の乱から戦国時代を誘引してしまった足利義政、次いで、この国を陸軍独裁から世界戦争に巻き込んだ、山県有朋でしょうか。

学校の歴史では源氏と平家の戦いしか教えてくれませんが、その戦いを引き起こしたのは後白河と信西入道という権力欲の塊のような二人でした。目的のためには手段を選ばず…、そういう人が政界で画策すると世が乱れます。現代にも、それを感じさせる人が居ますね。信西は雅仁・後白河を「膿だ、毒だ」と表現しますが、黴菌を塗りつけて化膿させ、悪智恵をつけて毒を生じさせたのは信西自身なのです。

F20、「清盛。そなたであろう? 武士に引き取られた白河院の落とし胤というのは。
人は生まれてくることが、既に博打じゃ。負けて損をするのが大方の成り行きじゃ」
「さような事はございませぬ。生まれは変えられずとも生きる道は変えられる。私は武士になってよかったと思っております」

保元平治の乱から源平合戦まで、この時代を生きた二人の怪物が、最初に出会ったときの会話です。共に白河法皇の子であれば兄弟ですが、育った環境が違うとこういう会話になるんですかねぇ。

このようなやり取りがあったかどうかは、想像の世界でしかありませんが、どちらも権力について執着するという点では、並外れて強欲です。

雅仁・後白河は、政治をもてあそぶという点で、やはりいいところのボンです。

一方の清盛は、武士の世を作るということに執念を燃やした、革命家です。

似ているようでいて、全く違う志向ですね。現代に住むわれわれからすれば、国民の政治参加など当たり前すぎて議論の余地もありませんが、独裁政権にあっては、ほんの一握りの人間しか政治に参画できません。北朝鮮然り、中国共産党然り、軍事政権のアジア、中東など、地球上の半分ほどの国は民主的ではないのです。清盛のやった革命はその後の鎌倉幕府に引き継がれ、明治の議会選挙まで引き継がれた武士の政治です。途中、百年ほど民主化?が進んだ戦国時代がありましたが、600年間この国を支えた政治システムが、清盛の作った武家体制でした。

ところで、物語の中で雅仁は生まれてくることが、既に博打じゃと発言しますが、博打を運と言い換えれば、まさしくその通りですね。今、世の中は「3年以内に襲うであろう」といわれる大地震に戦々恐々としていますが、その時どこにいるかで生死が分かれます。

ただ、この賭けは生き残るほうが圧倒的に高い確率ですから、判断さえ過たなければ大丈夫でしょう。地震というのは、そもそもが想定外のことですからね。現場の判断で生死が分かれます。「アイツは臆病だ」と笑われても、逃げるが勝ちでしょうね。どこに逃げるか、それこそが賭けです。スポーツなどで動物的感覚を磨いておきましょう。