海人の夢 第10回 悪僧と強訴

文聞亭笑一

【紺色文字は引用でF数字は藤本有紀著、数字だけは村上元三著「平清盛」です。】

最近憲法に関する議論がマスコミを賑わせています。まずは、大阪の徹市長が船中八策の中で改正に触れ、それに東京の慎太郎知事が「現行憲法は捨てて、新たに草案すべし」と応じました。さらに、憲法改正を党是とする自民党が、この時とばかりに自主憲法の草案をまとめました。また、政府も皇室典範を見直して、女性宮家の創設を検討しようと、有識者へのヒアリングを始めました。

現行憲法の第一条は天皇に対する記述から始まっています。「天皇は国家の象徴である」というのが、慣れ親しんできた戦後天皇制ですが、自民党憲法調査会原案では「天皇は国家の元首である」となっていて、これには党内からも反対論が多いようですね。象徴と元首、どこが違うんでしょうか。久しぶりに辞書を引いてみました。

元首…@国家の主権者 A国家の統領(リーダ) B外国に対し国を代表する者

象徴…形を持たない抽象的な事柄、思想、情調などの観念、内容を、それとは独立的意味を持つ実在の事物により、具体的に表現すること。または、その表現に使われたものを言う。

現在の天皇は元首の定義のBの意味だけではありませんね。国民統合のシンボルでもあります。「和を以って尊しとなす」という伝統文化の、代表者のような位置づけですかねぇ。

それにしても、改めて読んでみると…象徴という言葉の意味は、辞書を引いた後のほうが分からなくなってしまいました(笑)こういう訳の判らない言葉が、第一条から出てきますから、憲法解釈が難しくなるのではないかと、改めて思います。

さて、女性宮家ですが、これは皇位継承問題と絡んで面倒な議論になりそうですね。

清盛の物語でも、皇位継承問題が政治を大きく動かします。なにせ、この時代の天皇は@Aの意味での国家元首でしたからね。

F21、東国では土地の境界を巡る争いがあちこちで起きていた。義朝はその一方に加勢することで、次第にその武名を高め、家臣を増やしていった。

相模の三浦党を味方につけたことで、義朝の地方遊説にも弾みがついてきました。三浦党自体は、相模の東の端を領有するだけの小さな勢力ですが、この三浦が「源氏の御曹司」「八幡太郎義家の直系」という看板を使って近隣の豪族たちを誘います。この時代の地方領主にとって、領有権や、支配の正統性を主張するためには、朝廷に対する氏素性の貴賎が重要な要素でした。位階も、血統によって上限があります。源氏なら、征夷大将軍まで将来の夢を広げることが出来ます。

豪族たちはこぞって高貴な血筋の者に娘を差し出します。その胤(たね)を家系に加えることで、源氏の家系、清和天皇の流れという看板が手に入るのです。頼朝に娘・政子をあてがって鎌倉幕府を私物化し、実質的に為政者になった北条氏などはその成功事例です。

後の話になりますが、源平合戦のヒーロー義経も、至る所で地方豪族の歓待を受けていますね。閨閥作りの格好のカモとして、種馬のような存在でした。だからこそ、幕府の監視にもかかわらず、奥州まで逃げることが出来たのでしょう。

F22、この頃、頻繁に起きていた強訴を退けるために、平氏はしばしば勅命を受け、戦っていた。強訴とは、王家や朝廷の決定に不満を持った悪僧がその意を通すため、神輿を担いで訴える行為である。平氏の武力はまごうことなく、王家にとってなくてはならないことになっていた。

悪僧…なんとなく犯罪者の臭いがする言葉ですが、この当時「悪」という言葉は「強い」と同義語です。清盛も悪平太…強い平家の太郎(長男)…と呼ばれますし、義朝の長男・悪源太義平は「強い源氏の長男」の意味です。つまり悪僧とは武装して戦力を有した僧侶の意味になります。後には僧兵などとも言われますが、仏教の修行僧でありながら殺生をするものたちを悪僧と呼んでいました。

悪僧たちの出身母体はさまざまです。公家、武士、農漁民など庶民の中で食いはぐれた者たちが、寺院に預けられ仏教の修行をします。その中で、成績は悪いが腕力のある者たちが集められ、寺の守備隊の役割につきます。いわばお寺自衛隊ですね。彼らにとっては寺を追い出されたら餓死するしかありませんから、お寺への忠誠心は抜群です。しかも、毎日のように仏教の修行をするのですから、思想教育もされています。戦国時代の本願寺の僧兵、現代のオーム心理教と同じ精神構造です。

強訴とは、デモ隊のことです。武装していますが、戦争を仕掛けるものではありません。

プラカードの代わりに、神輿(みこし)を担いで市中を練り歩き、為政者に政策変更を迫ります。

当然、違法デモですから、警視庁機動隊が取り締まりに出動しますが、強硬手段をとればアラブの春、安保騒動並みの大混乱に陥ります。このような騒動が毎年のように発生し、その都度、取締りに出動するのが源氏、平家の武士たちでした。

強訴集団は3つあります。比叡山延暦寺、近江園城寺、南都興福寺がそれで、政策批判だけではなく、寺同士の宗教対立、勢力争いも絡みますから厄介です。

17、近江の延暦寺と園城寺の争いが続き、あるときは大津の民家が数十戸も焼かれてしまう、ということがあった。
検非違使の源為義は、懸命に両山の争いを止めようとしたが、それも無駄で、延暦寺も園城寺も互いに堂塔を焼き払う、ということを繰り返した。

延暦寺と園城寺の勢力争いは年中行事のようなものです。琵琶湖南部の狭いところに向かい合っていますから、争いが起きて当然です。比叡山は琵琶湖西岸の坂本、園城寺は東岸の瀬田がそれぞれの経済基盤で、東国から京に入る物資の集積地です。その中間にある大津こそ、利権の渦巻く係争地で、この大津の市の支配権を巡って商人が争い、その後ろ盾をする寺院勢力が争います。双方とも相手方を「仏法に背く」と非難しますから、宗教戦争に見えますが、実は経済戦争です。商業利権の争いです。

検非違使の源為義とは、現代の機能から言えば警視総監と読みかえればいいと思います。それに対して平忠盛は防衛庁長官という感じですね。警察では手に負えず、自衛隊が出動して鎮圧するというパターンを繰り返していました。これは源平の武力の差とも見えますが、そればかりではありません。源為義が法律論で取り締まるのに対し、平忠盛は商人たちの利権を調整するという政治力で争いを鎮めます。経済音痴の源氏と、商売上手な平家、政治に向き合う姿勢の差が、宗教団体の争いに対して違った答えを出します。

現代でもそうですが、争いの根っこには必ず経済的損得勘定が渦巻いています。TPP問題が出たり、引っ込んだりしていますが、貿易の利を目指す産業界と、既得権益を守ろうとする農業団体などとの利権争いが、民主党内部、自民党内部で争いになり、国会議論を迷走させます。政党間の争いというより、商工業VS農漁業の争いなんですよね。

F23、いとしいゆえに突き放す。
王家の乱れの種は、人が人をいとしく思う気持ち。手に入れたい。手に入らぬなら奪いたい。奪えぬなら殺したい・・・そんなどす黒い、醜い思いが渦巻き、そこに人を、やがては国を、巻き込んでゆくのだ。

今週のNHKドラマでは佐藤義清の隠遁、政界引退が主題ですが、一介の歌人の引退がそれほどの大事件か、と疑問に思われる方が多いと思います。文聞亭もその一人ではありますが、もしかすると義清は、400年後の豊臣政権における千利休の引退、切腹に相当するかもしれないと思い直しました。

戦国末期のジャーナリズムを動かしていたのは茶道ですが、平安期を動かしていたのは歌、和歌の文化です。和歌を詠む機会を通じて、人々が思いを伝えあい、共有していたのではないかとも思います。明治以降の新聞、昭和に入ってからのラジオ、高度成長期のテレビ、そして現代のインタネット。時代によってメディアは違います。人々の思いを伝える手段は変遷しますが、そういう手段はいつの世でも必ず存在します。

和歌の道という、メディアの寵児である佐藤義清の政界引退、これは大事件かもしれないと思い直しました。義清の政治的立場は弱いとはいえ、その影響力は抜群だったのかもしれません。特に宮中の女性に対する影響力が大きく、色恋沙汰というよりはファン心理を巧みに利用して政治活動をしていたように思えます。

以前にも引用しましたが、今回のドラマでは義清、清盛、義朝の3人に「美」「遊」「武」を代表させているようです。美を求め、理想を求め、文化の高さを求める義清には、乱れた政界に身を置けなくなったということでしょうか。それとも政治と美は相容れないものということでしょうか、そんな視点からも今後のドラマ展開を見ていきたいと思います。