海人の夢 第11回 ねじれ政権

文聞亭笑一

【紺色文字は引用でF数字は藤本有紀著、数字だけは村上元三著「平清盛」です。】

平安末期に、現代を重ねて楽しむのが筆者の趣味ですから、今週は思い切り想像を逞しくしてみようかと思い立ちました。ねじれ国会が現代政治ですが、院と朝廷もネジレですね。

当時の官僚機構は、当然のことながら朝廷、天皇の配下に連なります。院宣という院の指示・命令が飛び交いますが、正式な命令は勅命、勅書です。院宣も天皇が追認するという形式を取って、正式なものとなります。ただ、白河法皇の時代に、天皇が全く無視されて、院の傀儡になってしまったあたりから、指示の受け手側では天皇よりも法皇の指示に重きを置くようになりました。それが、鳥羽上皇にも引き継がれます。

この世をば わが世と思う望月の 欠けたることもなしと思はばと藤原道長が全盛を誇った時代は、戦後の復興からJAPAN as No1となる時代に似ています。荘園が発展し、確実な税収があって、商工業も発達しました。藤原自民党の黄金期です。が、政権交代、天皇親政を求める勢力が台頭し、白河天皇(上皇から法皇に)の代に、天皇親政になります。この白河独裁政権がひずみを生み、浪費を生み、そして武士が台頭してきました。

民主党政権で法王的なのは、やはり刑事被告人の蝦蟇親父ですねぇ。白河法皇に見えます。そして鳥羽上皇が鳩ポッポ、菅蛙といったところでしょうか。力を失った藤原氏と自民党が同じに見えてしまいます。

となれば…台頭してきた源平武士団とは???各地で首長さんたちが気炎を上げています。

みんなの党などもまだ勢いがあります。比叡山ではなく身延山の流れの宗教団体もあって、キャスティングボードを狙う争いが始まっていますね。果たして清盛や、後の頼朝の役割を演じるのは誰なのでしょうか。

F24、身を捨つる 人はまことに捨つるかは 捨てぬ人ほど捨つるなりけり
清盛は、義清の歌を詠んだ。御簾越しに崇徳帝が耳を傾けたのがわかった。
「義清が出家の折に詠んだ歌にございます。王家の騒動に巻き込まれ、翻弄されて、義清は俗世を捨てました。……あやつをそこまで追い詰めたのは、今の政にございます」

佐藤義清がこの歌を詠んだのは、もっと後のことでしょう。ここまで達観するのは全国を行脚し、出家遁世の生活が落ち着いた頃の話です。悟りの境地などは、死ぬ間際にしか達せられませんし、それすら出来ないのが凡人なのです。この歌の意味ですか? 欲を捨てぬ人ほど、大切なものを捨てている…という意味でしょうか。

ま、そんなことは良いとして、崇徳天皇が実に不安定な立場にあったことだけは確かです。

天皇ですから国家の主権者ですが、何をやろうとしても意のままになりません。たとえば佐藤義清と歌合せの会を開くにも、院の護衛隊である北面の武士、義清を自由に呼ぶことは出来ません。非番のときに、藤原家の郎党の身分で呼ぶしかありませんから、その機会は極限られていたでしょう。民主党の総理が、自民党の若手成長株を総理官邸に呼ぶような感じです。

一方の清盛は、北面の武士の立場は義清と同じですが、父の代理として時折天皇にも拝謁します。父忠盛は中務の大夫、天皇にとっての官房副長官の位置ですからね。しかし忠盛は院のお気に入りですから、天皇との直接対話を避ける傾向にありました。実力者の鳥羽上皇に疑われないためです。そういう点で、忠盛はしたたかな政治家です。その後姿を見て育った清盛も、面従腹背、したたかに育っていきます。

F25、義清のような心から信頼できるものがいれば、崇徳帝が得子の口車に乗ることはなかったかもしれない。孤独な崇徳帝にとって、得子の言葉は耳に優しく、甘言を弄したことを見破るのは容易でなかった。

美福門院得子と待賢門院璋子の争いは、周りの男たちを振り回します。皇位継承をめぐる争いですから、親子の情というところを超えて、まさに権力闘争ですね。わが子が天皇になるか、それともただの親王で終わるか、それによって女性の立場、貴賎に雲泥の差がつきます。わが子のため、というよりは自分のために、ウソも方便、騙しのテクニックを存分に使ったのが得子です。

相談する者がいないと、情に引っ張られて理性を失い騙されます。一人暮らしの老人がオレオレ詐欺に引っかかるのも、まさにそれで、一言誰かに相談すれば9割がた騙されることはないのですが、これだけ被害が続くということは、相談相手がいない老人が多いということの現われでしょう。改めていうことではありませんが、人という字は人と人が支えあっている姿の象形文字です。そのことは天皇も平民も変わりはありません。人間という動物の本質なのです。

F26、世の趨勢を見極めると、前年の暮に近衛帝が即位したばかりで、鳥羽法皇、崇徳上皇、近衛帝の三人が立場を異にしている。加えて得子が国母となって皇后に立てられた。平氏が今後、誰との結びつきを重要視していくか、その人選が、一族の将来に大きくかかわってくる。

何ともややこしい関係ですねぇ。鳥羽法皇は天皇など誰がやろうとも、権力者は自分だと、隠退する気は毛頭ありません。白河法皇が敷いた院政の枠を守り、上皇、天皇には一切口出しさせません。一方、天皇はといえば3歳の幼子ですから飾り物で、実務も実権も母の得子が握っています。実質的に女帝のようなものです。更に、中途半端なのが崇徳上皇です。公式権限は天皇にありますし、実質は法皇が政治をしていますから、何の権限も、仕事もありません。二階に上げて梯子を外された立場ですね。これで精神病にならないとすれば、かなり修養の出来た人物か痴呆かですが、「瀬をはやみ…」のような名歌を作るだけあって痴呆にはなりきれませんし、20代で人生を達観することなど無理です。

とすれば、精神病を病むか、謀反を企てるために策をめぐらせるかですが、こういう立場の人に擦り寄って野望を遂げようという人物が必ず現れます。法皇からも、皇后からも疎まれた一族、藤原摂関家の頼長が近づきます。そして、その頼長に取り込まれ、実行部隊に組み入れられていくのが、源為義です。

平家にとっても、どの勢力につくかは家の浮沈にかかわる重要な分岐点です。この情勢の中では、八方美人で、どの勢力とも均等な関係を保つなどという芸当は出来ません。ましてや藤原一門からは睨まれている立場ですから、反藤原に行くしかなかったでしょうね。鳥羽法皇との間で培ってきた信頼関係を柱に、院の政治に協力していくというのが忠盛の基本方針です。これは、鳥羽法皇が平氏の商業利権を認め、藤原一門はそれを認めないという経済問題から来た結論です。平氏にとって商業、貿易こそが力の根源なのです。

F27、「楽のことはわかりませぬが、心地ようございます」
それこそ一番大切なこと、忠盛がうなずいた。
「三つの音色が見事に調和しておるということじゃ。それぞれがそれぞれの色を出し、互いにないものを補い合い、高めあう。これこそ平氏一門が追い求める姿じゃ」
忠盛は綺麗にまとめた。

政権交代時に、どの党と組んで、与党になるか野党になるかはその党の浮沈にかかわります。与党になったとしても、政策面で折り合いがつかなければ、先般の沖縄問題における社民党のように途中下車して世の評価を落とすことになります。いまだぶら下がっている亀亀新党にしても、郵政法案を後回しにされて政治目標を達成できず、地味な自見大臣を送り込んでも何もできずにいます。一方の民主党も数合わせの野合がバレて、大きく評価を落としましたね。目下の注目株は大阪維新の会ですが、果たしてどうなりますことやら。

平家にとっても崇徳引退、近衛政権という新しい枠組みにどう対応するかは、一門平家党の浮沈にかかわります。

これまでは忠盛を中心に結束していますが、弟の家正は藤原摂関家からの誘惑を受けています。この勢力には源為義がべったりと張り付いていますが、それに取って代わろうという思惑でもあります。北家にとっても、パッとしない源氏より、力のある平氏のほうが頼り甲斐ありますからね。同じく清盛には藤原南家がラブコールをかけます。南家の中では高階通憲が力をつけて、雅仁親王を担いで、次、またはその次の政権を狙っています。

通憲は、政権の混乱に付け込んで、北家が独占している朝廷の高官の地位を奪い取ろうという魂胆です。いわば藤原家内部の勢力争いでもあります。

忠盛は女たちの琴、琵琶、笙の三重奏が流れる中で、一門が結束して事に当たることを呼びかけます。それは、特に弟の家正と清盛の対立を意識しての発言でしょう。小沢一派の造反で政策実行が出来ずにいる野田政権のようにならないことを、平家にとっての最重要課題と考えていたようです。