六文銭記 02 サバイバル(思惑の渦)

文聞亭笑一

武田家滅亡は真田家に限らず、旧武田領域の住民にとっては生きるか死ぬかの大事件です。近い過去、我々の記憶にかすかに残るイメージでいえば、太平洋戦争の敗戦直後の混乱です。武士に限らず、百姓、町人にとっても先行きが全く読めません。しかも、侵攻してくる織田信長は比叡山の皆殺し、長嶋一向宗の皆殺しなど、仏敵、魔王という評判が行き渡っていますから、何が起こるか不安で一杯です。「鬼畜米英」と恐れおののいた終戦後と、感覚的に似ています。

信幸、幸村兄弟は家族を守って、父の待つ上州・岩櫃の本拠地に逃げるしかありません。が、この逃避行は終戦直後の満州、朝鮮からの引き揚げに似ています。危険です。

どの道を、どうたどって逃げたのか?資料がありませんので推察しかありませんが、下の地図で示すような地理です。

下部中央の新府城から右上の岩櫃城まで直線でも145km、男の足で3日くらいかかります。途中には武田時代の重要軍事基地であった海野口城、内山城、小諸城などがあり、そこの将兵たちがどのような行動に出るか…、見当もつきません。

迂回路は…幾つかあります。

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十石峠を越えて上州・上野村に出る道があります。が、この辺りは真田の支配地ではなく、北条の勢力下です。

内山峠を越えて下仁田に出る道があります。が、内山城下を通らなくてはなりません。主将の去就が不明です。

碓氷峠を越える道があります。ここも…上州甘楽郡の国衆の動きが読めません。

中央突破。最短距離を進むしかなかったでしょう。この時の兄・信幸は17歳、弟・幸村は16歳です。高校生二人が、母や姉を守って「引揚者」のリーダをするのですから、手練手管など使えるはずがありませんね。ただひたすらに…先を急ぐしかなかったでしょう。

テレビでは30代のオジサンが兄弟の役を演じますが、二人とも…まだ子供なのです。

織田軍は、勝頼が城を捨てて逃げた翌日には、滝川一益などの先遣隊が新府城から甲府に雪崩込んできています。織田信忠の本隊も諏訪・上原城から、甲府に向かって進軍しています。

逃げ切るためには、織田軍が和田峠を越えて佐久に進出する前に、信州を通り抜けなくてはなりません。まさに・・・時間勝負です。

一方、信長は公家衆などを従えて悠々と木曽から伊那へと占領地検分、物見遊山の旅をします。その露払いのような形で、三州街道から信濃路に入った家康が、占領地の治安に当たります。

信長の思惑

武田勝頼の支配地は信濃、甲斐、駿河と上州の西半分でした。これを傘下に収めれば、関東の北条包囲網が出来上がります。もう一方の敵である上杉も西から柴田勝家の軍勢と、北の新発田勢によって挟み撃ちの形になっていて、遅かれ早かれ織田の軍門に降るであろうと予測がついていました。

信長が軍旅に近衛前久などの公家を同道したのは、信長の軍事力の威力を見せつけることと、朝廷など意にも介さぬと、公家無用論を悟らせることだったでしょう。現に、天皇を安土に移し、公家衆はお払い箱にする構想を進めていました。

この頃、安土城にはすでに御所が建設され、仕上げの段階に入っています。天皇は信長政権の一部局として支配下に置く…という、現在の象徴天皇と似た制度を考えていた節があります。

昭和初期に天皇機関説と言うものがありましたが、そんなイメージだったのでしょうか。

信長ほどあからさまにはやりませんでしたが、後に徳川幕府が執った宮廷政策は、この信長の政策に近いものでした。天皇は権威だけの存在である、一切の権力は認めない…という立場です。

織田信長という人物・・・そのイメージは、江戸期からの多くの小説家によって虚像が固められて実像になってしまった稀有の人物だと思いますが、まるで・・・・・、現代人がタイムマシーンに乗って400年前に出現したような感じですね。合理主義に徹し、唯物的、科学的発想をします。

ドラえもん漫画ではありませんが、未来の国から来た宇宙人のように見えます。西洋思想による感化…だけでは説明できそうにないほど、当時の感覚からかけ離れた発想をします。

天才とか、突然変異という言葉で片付けるのは簡単ですが、信長がこういう発想に傾いたのはキリスト教の宣教師から仕入れた情報がベースでしょう。ヨーロッパ式考え方、仕組みに信長流の発想を加えた政治形態、宗教改革を進めていたようです。安土の総見寺など、石塊一つを本尊として拝ませ、自らを神として祀るというのですから、日本人的発想を凌駕しています。国王と法王が両立するヨーロッパ式でもありません。

信長は後継問題をどう考えていたのでしょうね。信長本人はカリスマですが、息子たちにそのカリスマ性を受け継がせるには無理があります。

会社の後継問題もそうですが、カリスマ的権威、権力は引き継げません。

ただ、北朝鮮では3代にわたって権力を引き継いでいますねぇ。軍を徹底的に洗脳してイエスマンばかりで固めるのでしょうか。軍というのは、危機感と拡大志向で維持される組織です。

後に秀吉に引き継がれた海外雄飛・・・これをベースに権力の維持拡大を狙うしかなかったでしょうね。本能寺の変が無ければ…信長による海外侵略戦争が起きていた可能性が高いでしょう。

家康の思惑

三州街道を浜松から長篠、飯田、大島、伊那と天竜川を遡って諏訪に向かう家康は、何を考えていたのでしょうか。信長の力が強くなるというのは、必ずしも歓迎する方向ではありません。家康が信長的政権構想に賛同していたとは思えません。後の徳川政権の姿を見れば、家康はかなりな保守政治家で、あらゆる面で頼朝の鎌倉幕府を手本にしています。軍政に関しても、信玄の甲州軍学を大胆に取り入れています。やはり、面従腹背でしょうね。

「信長はいずれ、高転びに転ぶ」と予言したのは、毛利の使僧・安国寺恵瓊ですが、家康もまた、そう見ていたのではないでしょうか。

「信長が生きている間は、ともかく無条件に従う。最大の理解者として進退する。

しかし、信長亡き後はその後継者を倒して政権を乗っ取る」

という態度ではなかったかと推察します。そうなれば、信長の恐怖政治で民心が離れていくのは大いに結構なことで、目立たぬように時を待つのが家康流の長期戦略です。

事実、信長の占領地政策はその人事配置を見れば明確で、甲斐には自分のコピーのような男、川尻秀政を当てています。この男が過酷なまでの残党狩りと、恐怖政治をやってくれたおかげで、本能寺ノ変以降の家康による甲信進出は、無人の野を行くようなスムーズさでした。

それは後のこととして、家康は伊那谷を北上しながら目立たぬように武田遺臣や、武田方だった国人を保護していきます。家臣として採用しては信長に睨まれます。ですから、当座の生活費を与えて自分の支配地に匿い、これから手に入れようとする駿河方面に逃がします。更には越後や関東に手引きします。いわば旧武田領に対する布石ですね、先行投資です。

穴山梅雪の思惑

今回のドラマでは勝頼を裏切った卑怯者の役回りで登場しました。その意味では敗軍の面々は全員が卑怯者にされてしまうのですが、生き残り、サバイバルのためにはなりふり構ってはいられません。戦国時代は正義だとか、卑怯だとか言う以前に…生きるか、死ぬかの時代です。

梅雪が武田家への忠節を重んじていたら、徳川軍が西から攻めてきます。甲府を占領した織田本隊が富士川沿いに南下してきます。更に滝川一益以下が都留郡を席巻し、御殿場方面から攻め込んできます。駿河を守り切れるはずがありません。

そうなれば…早めに織田に降参して生き残りを策します。

ただ、梅雪にとって不利なのは武田の血筋が濃いことでしょう。信長の判断が吉と出るか、凶と出るか微妙です。僧形にしていることも不利ですねぇ。信長は宗教的な慣習を毛嫌いしています。そうなると…信長に降参するよりは領国が隣り合う徳川に降参する方が安全です。このことは家康にとっても好都合で、駿河を手に入れるのに一兵も損なうことがありません。労せずして駿河が手に入り、それを信長に認めてもらえば原価ゼロで50万石の年収が手に入ります。将にタナボタ…棚から牡丹餅です。

勝頼の側近の小山田や跡部、長坂を巻き込んで裏切らせたことも手土産になるのではないか…と考えたのでしょう。が…、このことは、かえって信長の不興を買いました。ミエミエのゴマすりととられましたね。家康のとりなしが無ければ首が飛んでいた可能性があります。

小山田信茂の思惑

小山田信茂も何代か前に遡れば武田一門です。信玄の軍団にあっては、常に一方の旗頭として信州方面を中心に活躍してきました。武田の佐久攻略、さらに民政の中心は内山城だったのですが、ここで昌幸の父(幸村の祖父)幸綱以下の信濃衆を従え、川中島進出、上州進出も采配を振るっていました。その意味で真田は小山田の寄騎(部下)でした。

それが…勝頼の代になると真田昌幸が勝頼の直属になり、上州郡代として独立します。佐久郡代である小山田と同格ですね。さらに、戦略面、外交面で才能を発揮し始めましたから、武田家中にあってライバルになってしまいました。幸村の姉・松が小山田一族の小山田茂誠に嫁入りしたのは、真田から小山田への人質という性格もありました。小山田信茂にとって真田は何となく煙たいというか、面白くない後輩になりつつありました。

岩櫃転進の話が出ます。軍議で同意はしたものの、岩櫃に行けば真田の下風に立たざるを得ません。立場は逆転します。面白くない…と思っていたところに、梅雪から裏切り、織田に臣従しようという話が持ち込まれました。一門衆の木曽に続き梅雪まで…ならば、それより遠縁の自分が裏切っても義理は立つ…と思ったのでしょう。岩殿への方針転換、そして笹子での裏切り・・・この辺りのストーリは梅雪の入れ智慧の可能性が高いですね。残るは勝頼の側近である跡部勝資と長坂長閑齊を抱き込めばよいだけです。側近の二人は戦場経験も外交経験にも乏しい内務肌の男ですから、「甲斐を捨ててはご先祖に…云々」の話にイチコロで乗ってしまいました。

現場知らずのスタッフ育ちが、経営の重大決心に参画すると、理屈、建前に振り回されます。

現代でも気を付けなくてはいけない教訓の一つでしょう。

真田昌幸の思惑

信長の圧倒的軍事力に関する認識は、他の誰よりも良く理解していました。まともに戦っては勝てません。踏みつぶされるだけです。

そもそも、武田勝頼を岩櫃城に引き取ろうとしたのは関越奥同盟を締結しようという目論見で、北条、上杉、伊達まで巻き込んで「反信長同盟」を視野に入れていたでしょう。その時の為に、武田の御曹司は手元に置いておきたかったのだと思います。「風林火山」のブランドイメージは他に代えがたい戦力ですし、この旗が翻れば旧武田の残党、反信長勢力が糾合できます。

…しかし、その希望は潰え去りました。そうなると、真田ブランドだけではどの勢力にも売り込みができません。信長にしてみれば「真田? Who?」という存在に過ぎません。

しかも、武田が滅びる直前に新府城を脱出した卑怯者という印象になってしまいました。勝頼を迎えるために先発したのですが、勝頼が逆方向に逃げましたから、裏切って逃げたと取られます。残念ながら織田軍の殆どの者に知名度がないのです。

一昨年の大河の主人公、黒田官兵衛とは知名度に格段の差がありましたね。

織田の軍勢が諏訪から松本、更に川中島へと進出してくるのは明らかです。更に、もう一手は佐久から東信、上州に進出してきます。抵抗する勢力はありません。上杉も西の柴田、北の新発田に挟まれて身動きできません。そうなれば逃げるか、織田に取り入るかしか選択肢はありません。逃げる先の上杉は先行き危ういですし、北条には、敵方としてずっと煮え湯を飲ませ続けてきましたから、優遇されるはずはありません。

消去法で行けば・・・織田に頭を下げるしかないのですが、頭を下げて許してもらえる保障は全くありません。むしろ、卑怯者の噂が先行していますから信長の逆鱗に触れて首を斬られる危険性の方が高いのです。小山田信茂はその罪で処刑されています。

八方塞がり・・・という言葉がありますが、まさにその状況でした。進むも地獄、退くも地獄・・・そうなれば開き直るしかありませんね。

最も生き残る可能性の高い一手に賭けて、真田昌幸の一世一代の大博奕が始まります。

乾坤(けんこん)一擲(いってき)とは、こういうことを言うんでしょうね。    次回に続く