敬天愛人 06 いやはや参った
文聞亭笑一
いやはや…第5回を見て、歴史ドラマの最低守るべきところまで逸脱してしまった物語の流れには「口あんぐり」です。開けてしまいましたから、そのまんま・・・笑うしかありません(笑)
第6回目は牢に放り込まれた吉之助がジョン万次郎と出会って、海外に目を向けたとでもするつもりでしょうが、やり過ぎですねぇ。まぁ、面白ければよい…と言う脚本でしょうが、原作者や時代考証をしているセンセイは何とおっしゃるのでしょうか。「史実を拾い集めて、史実とは違う娯楽作品を創作するのだ」とでも強弁するしかないでしょうね。
NHKには付き合いきれませんのでしばらく様子見です。ちょうど来週は「瘤取り爺さん」で入院しますので、休刊にさせてもらうのに好都合でもありました(笑)
私事ですが、原因不明で、顎の下に瘤ができました。痛くもかゆくもないし、細胞検査の結果「良性」のようですので、放っておいても良いのですが、大きくなるとみっともないし、何かのきっかけで悪性になる可能性もあるというので、切除することにしました。傷口が癒えるまでの間1週間の入院です。まぁ、骨休めですね。
御前相撲
御前試合というのは江戸時代に各藩の殿様がよくやった行事です。最も盛んだったのは剣道で、江戸時代の初期は木刀でやるのが多かったようです。武蔵と小次郎の巌流島の決闘などは真剣勝負でしたね。江戸末期になると、江戸で流行りだした竹刀による剣術が多くなりました。
千葉道場、斎藤道場、桃井道場などには全国の「我こそは」という剣士が集まり、技を磨いています。幕末の志士では千葉道場の坂本龍馬、斎藤道場の桂小五郎、桃井道場の武市半平太などがスターとして時代劇に登場します。並み居る新選組をバッタ、バッタと斬り伏せますが、あんなことは実際にはできません。田舎芝居の舞台の上だけのお話です。
相撲も盛んでした。篤姫が登場して賭けをやりますが、庶民にはそれが楽しみだったようです。江戸では谷風梶之助、雷電為衛門などという人気力士が登場します。いずれも大名家のお抱え力士で、大名がいわゆるタニマチでした。ですから、鹿児島城下でも盛んに行われていたでしょうが殿様が飛び入りで土俵に上がるなどはまずないという出来事でしょう。しかも、殿様に勝ったから牢に放り込まれるなどということはあり得ません。
画面では土俵を忠実に再現していました。あれが本来の土俵です。四隅に柱が立ちます。あの柱は「ここから内側は神域である」という標識で、諏訪神社の御柱と同じ意味を持ちます。俗世界の価値観の立ち入りを認めず、土俵上でのことは神の差配にお任せするという約束事があり、神の代理人である行司が絶対的権限を持ちます。
横綱の暴行事件、行司の不祥事など、大相撲がその本質を問われていますから、原点に戻って相撲協会が考え直すのに一石を投じたのかもしれませんが、物語の展開には「やり過ぎ」の印象が濃く残ります。
吉之助の参禅
この時期、西郷はしきりに禅寺に通っていたはずです。勿論、郡方書役助の任務がありますから、役所の仕事を済ませてからです。川で鰻取りに興じる・・・そういう歳でもありません。この時既に24歳になっています。恋人として登場する糸さん(黒木華)は未だ8歳、小学2年生。
いかに早熟でも恋の相手としては幼すぎます。ま、無理を承知で娯楽番組化しているのでしょう。この分では最初の妻・須賀さんは登場しないかもしれませんね。
吉之助の日々は、役目のある日は領内の巡視活動に精を出し、夜は仲間と陽明学や論語の書物、とりわけ言志四録を読みながら、その解釈に関して互いに意見を戦わせ、彼らなりの解を探していたものと思います。大学のゼミの雰囲気でしょうか。
吉之助の参禅修養
吉之助が参禅を思い立ったのは、彼が持つ激情・・・つまり普通の人に比べて振幅の大きすぎる喜怒哀楽の感情を鎮めるためであったと思われます。嬉しい時ははしゃぎ過ぎ、怒るとなれば人殺しも辞さず、泣き出したら止まらない、さらに熱中したら寝食も忘れるといったタイプのようで、鹿児島ではこういうタイプを「ぼっけもん」というそうです。これはあまり良い評価ではないようで、孔子の言う「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の「過ぎたる者」でしょうね。
(Wikipediaでは「ぼっけもん」=大胆な人、無鉄砲な人、乱暴者、とあります)
ともかく、禅寺に通い、心を鎮める術を模索します。この経験、成果が、後世の「西郷どん」の土台作りに役立ったのではないでしょうか。有り余る気力・エネルギーを、TPOに合わせて制御しながら発揮していく、そういう制御技術を参禅によって練ったものと思われます。文聞亭も長らく制御技術の世界で生きてきましたが、エネルギー、パワー、潜在能力がなくては制御のしようがありません。現代社会においても同様で、パワフルな人材がいなくては世直しなどできません。小器用な、いい子ばっかり作ろうとしている現代の教育に社会衰退の匂いを嗅ぎます。
嘘があるから歴史は面白い
第5回の放映は歴史物語というより時代物語でした。
歴史小説は・・・史実を下敷きに資料のない部分に作者の想像、推理を働かせます。
時代小説は・・・時代背景を借りて、新しい物語を創作します。
その意味で、添付している「橘の記」はそのどちらとも言えません。事実を証明できる資料が全くありません。敢えて言えば白山古墳という推定BC380年の前方後円墳があり、そこからBC240年ころに卑弥呼が魏の皇帝からもらったのではないかと言われる三角縁神獣鏡が見つかったという事実と、この地は神奈川県橘樹郡日吉村という地名だけです。弟橘姫がこの地の生まれであるという証拠など全くありません。 たまたま、古墳ができたと推定される時期と、日本書紀が語る日本武尊の東征の時期が一致しているだけです。しかも、その日本書紀自体が「嘘八百」ではないかと言われています。1600年前ですからねぇ。証明のしようがありません。残るは袖ヶ浦、恋路などの地名だけですが、それとて後世の命名かもしれません。
先日、母校の同窓会で川中島合戦を一筋に研究してきた人の講演を聞きました。「謙信と信玄の一騎打ちは嘘である」というのが結論でした。言われて見れば全くその通りで、謙信が妻女山に陣取ったと言いますが、あの場所に1万3千の兵が1か月陣取るのは物理的に不可能です。狭すぎて寝る場所すらありません。それは「風林火山」のロケハンでしっかり確認してきました。 千人も無理です。ですから「鞭声粛々」も千曲川ではなく、善光寺の陣地を出て若里あたりから犀川を渡ったのが正解でしょう。まぁ、映画やテレビは見て面白ければいいのです。鈴木洋平君が熱演していますので、しばらく物語を楽しみます。