落城の姫たち(第10回)

文聞亭 笑一(市川 笑一)作

秀吉は「人(ひと)誑(たら)しの天才」などと、あまり良くない言われかたをしますが、人情の機微をつかみ、人をやる気にさせることに関しては、最高の技術者でしたね。教育者と言うのか、カウンセラーと言うのか、組織構築の名人でした。晩年の朝鮮出兵や、秀頼への溺愛ぶりでその素晴らしい才能の印象を壊していますが、最高のリーダシップを発揮した名指導者の一人です。この秀吉の才能を花開かせたのが妻の寧々で、この夫婦にかかったら、相当に偏屈な者でも、人間的魅力のとりこになって離れられなくなったようです。

女流歴史小説家の永井路子にいわせれば、「寧々は日本史上最高のオカミサン」と表現します。どこにでもいそうな気の良いおばさんで、誰にでも気軽に声をかけ、飽きさせません。

しかも世間が良く見えて、人の心の動きには敏感です。教養とは無縁ですが、会って話をしているだけで、安心感と親しみが伝わってくるような下町のオバサン、旅館の女将、よく流行る飲み屋のママさん…という感じだったでしょうね。

この二人が、最高にその能力を発揮したのがこの時期、賤が岳の戦い前後です。

二人三脚で、猛烈な多数派工作、人気取りのアピールを繰り返します。戦場予定地の近江から岐阜に至る中山道にかけて、政治工作ばかりか、女子供を含めた人民への工作に精を出します。今でいう人気取りの「バラマキ」も繰り返します。戦いを始める前に、すでに民心を掌握していました。

岐阜まで軍を進め、電光石火の早さで北近江まで戻るという作戦は、住民の協力なしではできません。中国大返しに続いてのマラソン大会です。先日3万人が参加した東京マラソンがありましたが、ちょうどあんな感じだったでしょうね。沿道に屋台が出て、食料や水の提供をする、応援の声がかかる…秀吉軍の兵士は元気が出ます。

賤が岳の戦いを制したのは戦術的駆け引きと言うよりも、戦略面での準備の差ですね。

敵を自分の土俵に引きずり込んで、住民までを使って敵を翻弄する作戦ですから、罠を仕掛けて獲物を待つのに似ています。そんなところに…冬眠明けの熊、柴田勝家がまんまとはまってしまったのでしょう。

この戦いで、秀吉軍団には「七本槍」と称されるニュースターが誕生しました。秀吉子飼いの若手戦士たち7人ですが、この7人はすべてが尾張、美濃時代に秀吉が集めた精鋭ではありません。長浜城主だった時代にも、人材の発掘と登用を繰り返しています。

七本槍として加藤清正、福島正則はあまりにも有名ですが、七人の中に片桐助作がいます。

後の片桐且元で、茶々と秀頼の運命を左右する役割が回ってきますが、もともとは浅井長政の小姓です。小谷城が落城する直前に、三姉妹の父、長政から「そちは若い。敵に投降して長生きせよ」と言われて秀吉軍の捕虜になった人物です。大坂冬の陣の直前まで、茶々のために尽くすことになったのも、浅井家との巡り合わせでしょうか。

関ヶ原の戦いを起こしたのも秀吉採用の近江人、石田三成。ここにも浅井の影が残ります。

賤が岳の戦いで、柴田勝家の軍は総崩れになります。頼りにしていた前田利家にまでも裏切られて万事休すでした。

落城、現代で言えば会社の倒産ですね。現代の倒産では、命までは奪われませんが、この当時、責任者は殺されます。それが、日本的戦争のルールで、責任者が死ねばほかの社員、家来たちは助けられ、上手くすれば勝ったほうに再就職できます。

拙くても、出身地に帰って百姓になれば、命までは取られません。

このあたりが…世界標準とは違った日本的戦争なのです。ある意味で実に平和的な戦争ルールですし、それがまた、中間管理職以下の無責任体質を作る伝統でもあります。

当時、洋の東西を問わず、戦争ルールは兵士皆殺しでした。負けたほうの人民は、奴隷として人格を認められません。家畜同然に扱われます。

太平洋戦争でも、B級、C級戦犯ですら処刑されましたよね。「上司の命令だからやった」という言い訳が通用しない、自己責任を追及されるのが、グローバルスタンダードです。

その日本式戦争ルールでも、女性に対してはもっと過酷でした。

戦争に負けると責任者の取り巻きの女たちは、性的関係の有ったものは殺されます。

責任者の胤(たね)を宿している可能性があるからです。性関係がなかったものは奴隷にされます。戦利品として、褒美として、物同然に分け与えられます。

ですから、戦いに負けて落城となれば、男たちよりも過酷な立場に置かれていましたね。落城シーンで、女たちが競い合うように自殺するのは、「奴隷にされるくらいなら…」という悲しい決意なのです。

23、江の目が秀吉を見据えた。「控えよ、猿」
次の瞬間、秀吉はその場にうずくまり、甲高い声を上げていた。
「ははっ!」
秀吉は何が起こったか自分でもわからなかった。
秀吉は立ち、手のひらと膝についた土を払ってまじまじと江を見た。目には容赦のない殺気が渦巻き、全身が強烈な気配を放っている。
そうか・・・。秀吉は額に浮いた冷たい汗を拳でぬぐった。
お屋形様だ。この娘から、おれは信長様を感じ、ひれ伏してしまったのだ。

三姉妹の立場は戦争捕虜です。秀吉が「戦利品」と考えて好き勝手に処分を決めても良いのですが、三姉妹は柴田勝家の娘、浅井長政の娘と言うよりは「信長の姪」という立場ですから、粗略に扱っては信長の後継者を狙う秀吉の評価を落とします。

このあたりが秀吉にとって難しいところで、織田三法師(信長の孫)と同様に、支配しつつも、尊重する態度で接しなければなりません。

江が「控えよ、猿」と言ったかどうかはわかりませんが、秀吉は自分より上位の者を迎える立場で接しないわけには行かなかったと思います。その辺りのいきさつを女流小説家の諸田令子は小説「美女いくさ(主役はお江)」の中でこう書きます。

お市は勝家と再婚した。が、三姉妹はまだ養子縁組をしていない。勝家は三人の父ではなく、あくまでもお屋形様である。いつかこうなることを危ぶんで、勝家自信が養父となることを拒んだのだ。縁組さえしなければ、三人はいまだに織田信包のかかり人、無体な扱いを受けずにすむ。

また、政権基盤が確立していない秀吉にとって、お市の娘・三姉妹は大切な政治の道具です。信長の姪は商品価値・利用価値が高い政略の具なのです。自分の養女として手なづけ、最高の売り込み先を見つけて、送り込むことが出来ます。

戦国時代に、「嫁にやる」ということはスパイを送り込む、工作員を送り込むのと同じです。嫁に行く本人とはかかわりなく、従って行くお付の者たちは忍者、工作員ですからね。

嫁入り先の情報は刻々と親元に提供されることになります。

24、江にとって天主の消失は、信長がこの世から消えたと言う事実を改めて突きつけられているに等しかった。伯父が力と情熱のすべてを注いで築き上げた最大の遺産、安土城天守閣。その喪失を江は悲しんだ。その一方で、これでよかったのかもしれない、という思いもあった。自分が作った何かが残ることなど、伯父は決して望んでいないだろうという気がしたのだった。

母をなくした三姉妹は、織田一門の宗家である5歳の三法師とともに、安土城で過ごすことになります。信長が精魂を傾けて作った安土城の天守閣は、光秀に占領させまいとした織田信雄によって焼かれてしまっています。三姉妹が住んだのは焼け残った本丸御殿だったでしょうか。それとも、天皇の御座所として準備していた宮殿跡か、いずれにせよ、決して粗末な建物ではありません。

秀吉にしても、自分の政権の正当性を担保してくれる重要な玉ですから、粗末に扱うことはありません。いってみれば象徴天皇と宮様たちという位置づけです。贅沢のさせ放題、わがままの言わせ放題、蝶よ花よとおだて上げていたことでしょう。

秀吉はこの時期、大阪城の築城に熱中しています。

織田株式会社の副社長ではなく、独立して羽柴株式会社の社長になるためには、新社屋を作り、それが安土城よりも立派でなくてはいけません。建物は、権力の象徴なのです。

それもあってか、バブル時代に県庁、市庁などの建物が立派になりましたね。人間と言うものは、あんまり進歩しないのです。立派な建物に住まうと、そこの住人まで偉くなったような気がして、高層ビルのてっぺんから下々の民を見下ろします。立派な建物は、官僚が、市民を見下ろすための道具立てでしょうか。

まあ、民間でも同じ心理が働くらしく、どこの会社でも、役員フロアは最上階のようですね。上下関係は、物理的にも上下でないといけないようです。