海人の夢 第5回 党利党略

文聞亭笑一

【紺色文字は引用でF数字は藤本有紀著、数字だけは村上元三著「平清盛」です。】

佐藤義清(のりきよ)が登場しました。後の西行法師です。この当時の上流社会で人気のあったスターといえば、歌詠みです。57577の音にあわせて情景や、恋心を綴るという遊びですが、今で言えばスポーツ選手か、芸能人の位置づけだろうと思います。

平安期は階級社会で、朝廷の位階と富の差が整然と成り立っていました。丁度、現代の企業組織に似て、職位が上がるほど収入が増える仕組みです。国家経営の頂点の周辺は、天皇一族と藤原一族が独占していますが、四位(部局長)辺りから下は、実力の世界です。武力もさることながら、資金力、教養、才能がものを言う世界で、他に秀でた能力の持ち主が這い上がってくるチャンスがありました。佐藤義清もその一人で、歌と、武芸で、宮廷の女性の人気を集め、北面の武士という五位前後の位置まで駆け上がってきています。今で言えば中央官庁の課長クラスで、しかもプロ野球かプロサッカーのスター選手といったところでしょうか。ともかく、女性の人気は抜群です。

F07、「強く生きるもよし。美しく生きるもよし。面白く生きるもよし。それが各々の志す武士のあり方ということだ」
義清の言葉に、清盛と義朝は感心したように聞き入っていた。

「武士とはいかにあるべきか」という命題を「武士道とは死ぬことと見つけたり」という文書としてまとめたのは、この時代から500年後の佐賀、鍋島藩士山本常朝の葉隠であり、それを世界に発信したのは、700年後の新渡戸稲三です。現代では、侍日本、侍ブルーなどと日本を代表する言葉になりました。なりましたが…誰も、侍とは何を表す言葉かと自覚して発言しているわけではありません。なんとなく「強い人」というイメージで口にしているのではないでしょうか。

維新前夜に咸臨丸で太平洋を乗り切り、米国本土では毅然として日本の国体、文化的伝統を主張した幕府の使節団の姿などが重なり合わされていると思います。

ドラマでは義朝、義清、清盛の3人が「武士とは」を巡って論争します。

「強くなければならぬ」と主張したのは源義朝です。彼は武芸の道、つまり、戦闘で勝ち残る強い武士の姿を理想と考えました。武士とは戦いに生きるもの、職業軍人という考え方ですね。そのためには武芸の稽古は欠かせません。現代のスポーツ選手に近い発想です。

「美しくなければならぬ」と考えたのが佐藤義(のり)清(きよ)・西行です。政令、法規という縦の糸と、文学という横糸をたくみに織り合わせ、国家という布地を織り上げていく、そういう政治技術に魅力を感じていたのでしょうか。

それに引き換え、「武士とは面白い世を作るものだ」というのが清盛です。清盛は何を意図して「面白い」と表現したのでしょうか。それは多分に「自由」という概念だったと思います。

息苦しい階級社会から人々を解放し、それぞれが思うがままに生きる世を作る、それが武士の役目である。つまり改革者という位置づけですね。

どれも皆正しい…と結論付けたのは義清です。

武士を、政治家と置き換えたら勿論、経営者、管理者と置き換えても同じでしょうね。

強くなければ部下は信頼しません。面白くなければ息が詰まります。出来栄えが美しくなければ仕事の意義を感じません。この三つを備えた人がリーダなのでしょうが、現代社会の複雑さの中にあっては、これら3要素を一人の人物に求めることはなかなかに大変なことです。三人一組で実現するのでしょうか。とはいえ、選挙に強いだけの小沢、美しい言葉を吐く鳩、面白すぎて支離滅裂な菅…こういうトロイカでは国家が破綻します。ドジョウと鉄人の内閣はどうなりますことやら。

F08、「海賊とは海から涌いてでた凶暴なる獣にあらず。元はあなた方に虐げられた弱き民にございます。長引く飢饉。にもかかわらず都には米を献上せねばならず、当然のこととして民は餓える。飢えた民は盗みを働き、盗みが増えれば国は取締りを厳しくする。盗賊となった民は、より取締りの手薄になったところを求めるうちに海に行き着く。そこには国々から都へ米を運ぶ船が行き来している。盗賊たちはこれを襲う。かようにして海賊は世に現れ申した」

高階通(たかしなみち)憲(のり)という学者風の男が登場します。ドラマでは、今のところ舞台回しのような役柄ですが、後の藤原信西、後白河法皇の側近として、清盛のライバルになっていきます。

それはさておき、この時点ではどちらも下積みで、パッとしません。清盛は新参の北面の武士ですから、皇宮警察の警部程度ですし、通憲は大学の教授というところでしょう。

大学の教授が、内閣府に呼び出されて「海賊」の講義をしたくだりです。海賊発生のメカニズム…とでも言うんでしょうか。実に明快な理屈ですねぇ。

しかし、実態はそうではなかったと思います。今までも述べたとおり、多くの民、その殆どは農民です。農民は政治不信から納税を嫌がり、節約と備蓄に走ります。商人はインフレに便乗して暴利をむさぼります。そうなると困るのは職人といわれる「工」に従事する人々です。仕事はありませんし、食料も手に入りません。この人たちの殆どは都市生活者ですね。通憲の言う「飢えた民」とは都市生活をしている職人たちのことと解釈すべきでしょう。彼らの多くは鳶、大工、左官など建設関係の従事者です。体力もあり、技術もあり、智恵もある人たちですし、組織活動は手馴れたものです。コソ泥ではなく、組織犯罪を始めたというのが実態ではないでしょうか。

F09、「己のことしか考えぬ者たちによって政が行われておる。そのことへの恨み、つらみ、怒り、悲しみ、嘆き、諦めこそが、元は猟師や百姓に過ぎぬ者をして、国司の手にも負えぬ大海賊にならしめた。それを心するが良い」

これも通憲の発言から引用しました。己のことのみ…と、名指しされたのは院や関白家のことです。勿論、叡山、南都の宗教勢力も入るでしょうね。

海賊退治のために、武士団を官軍として派遣する人選に、それぞれの思惑が働きます。

実力No1の平氏を出動させたい鳥羽上皇、自分の意のままになる源氏を派遣したい関白、

そのための駆け引きや、手練手管…これを痛烈に批判します。

これって、今の政党、国会議員にそのまんま差し上げたいような言葉ですねぇ(笑)

そうなると、お江戸の慎太郎、浪花の徹、尾張の村々コンビなどは、大海賊ということになるかもしれませんね。中央官僚の手も及ばぬ、ならず者でしょう。が、平安の世と違って、選挙で選ばれていますから、取り締まるわけには行きません。尻尾を振って、取引に行くのが政党や国会議員です。

先日、テレビ番組を見ていたら「大阪で維新に反対したのは大阪の党員たちであって、自分たちは維新の会に負けたわけではない」などと詭弁を振るうものが居ましたねぇ。物は言いようだと笑ってしまいました。あの人は議員を辞めて漫才でもしたほうがよさそうです。

恨み、つらみ、怒り、悲しみ、嘆き、諦め とは、よくも同種の言葉を並べたものです。

現代日本にも、この種の怨念が渦巻いているのでしょうか。おどろおどろ…ですねぇ。

F10、いつの間にか鳥羽院は、亡き白河院の呪縛から解き放たれて、権力争いの駆け引きで忠実を圧倒した。通憲の懸念を如実に露呈し、国の一大事に直面してもなお、鳥羽院も摂関家も己の権力と矜持を保つことのみに腐心していた。

己のことしか考えぬ政治…というのが通憲の懸念です。

権力と矜持、つまり富とプライドの二つを求めて政治家たちが争います。この当時、大臣や官僚の任免は毎年行われています。より権益の大きいポストを求めるのは人の常で、楽をして儲かる職位を求めて魑魅魍魎が暗躍する世界ですね。

宮廷にとって最大の富は米ではありません。砂金です。彼らが身につけている衣類は絹ですが、当時の日本では絹生産の絶対量が不足していましたから、その多くは宋からの輸入品でした。交易のためには金が欠かせません。

金はどこで産出されていたのか?その多くは奥州です。世界文化遺産になった奥州平泉、あそここそが日本の富の源泉でした。前九年の役、後三年の役で朝廷が重視したのは、奥州の金採取の権益を守るためでもありました。また、平泉にあれだけの文化が花開いたのも金、砂金があればこそで、十三港、秋田などの港から日本海の海の道を通じて、大陸との交易が盛んに行われていたからでもあります。

余談ですが、この当時の「国」の区分はその経済力に比例します。近畿圏が京都、大阪だけでも6カ国に細分化されているのは経済力が高かったからで、東北地方は現在の6県がひとくくりにされて陸奥一国でしかありません。佐渡、隠岐、壱岐、対馬などが国ですから貿易の利益がいかに大きかったかを如実に示していますね。