海人の夢 第6回 貧と富と
文聞亭笑一
【紺色文字は引用でF数字は藤本有紀著、数字だけは村上元三著「平清盛」です。】
いよいよ、平氏が海賊討伐に乗り出します。清盛にとっては初陣ですが、忠盛にとっても朝廷の軍隊、官軍の総大将ですから、今までの立場とは異なり、責任が重くなります。
今までは、京都治安部隊の隊長ですから、京都府警・警視総監といった役柄でしたが、今度は防衛庁長官の位置づけで、大臣並みの権限を持った遠征です。
京都から浪花の津(大阪)に出て、水陸双方から播磨、備前を経て安芸に向かいます。
陸路で、平家ゆかりの兵たちを招集し、海路では行く先々の港町で、船と船子を調達し、軍隊を増強しながらの進軍です。従って、かなりな日数が掛かったでしょうね。少なくとも1ヶ月は費やしたのではないでしょうか。
軍隊の組織編制は、こういう行軍の途中が最も大切で、恩賞の約束や、利権の付与などの政治が上手くいかないと、強力な部隊が構成できません。特に、漁民である舟手の者たちにとっての利益を、いかに創り出して付与するかが、智恵の出しどころであったと思われます。多分、商業上の利権を与えながら、味方に引き入れていったものと思われます。
この遠征で平氏が、瀬戸内の漁民たちを何らかの利権付与で懐柔したことが、後に清盛が政界で重きをなしていくための大きな力になったと思われます。それが一体、何だったのか? 吉川英次も、村上元三も、そしてNHKもあまり言及していませんが、貿易か税制に関することでしょうね。一番簡単なのは、海の道の関所を作り、そこで上がる税(関税)を認めたのでしょう。
瀬戸内西部、もしくは四国に根拠を持つ水軍、村上、越智、河野などが平家の海軍の主力ですが、播磨の明石、備前の児島などの水軍も当然参加していたと思われます。
F11、海賊には海賊の仁義がある。死に物狂いで戦いを挑み、応戦する忠清たちと乱闘になった。忠盛は味方の旗色が悪くなる前にと、小船の清盛に指示を出して先発隊の船を援護させた。すぐに鱸丸が先発隊の船に鉤を投げて小船を寄せ、清盛が先発隊の船によじ登っていく。
既に01で引用したとおり、村上元三の清盛ではこの場面から始まっています。
4、自分も太刀をかざし、佐伯五東次も平家の兵士と戦っているうちに、ふと目に入ったのは、いま縄梯子から飛神丸の船上におどりこんできた一人の武者であった。
まだ、二十歳になってはいまい。烏帽子をいただき、緋おどしの鎧に、太刀を振るっている。その太刀の柄は、黄金であった。
背は、あまり高くない。肩幅は広い。色が白く、眉は濃い。美男というのではないが、目は鋭く、一目見たら忘れられない、といった感じの若武者であった。
作家により、清盛像が違ってくるのはいたし方ありませんが、総大将の嫡男ですから、NHKが描くほどみすぼらしい格好ではなかったと思いますよ。見た目の美しさというのも味方を安心させる手段の一つですから、派手な鎧兜に身を包んでいたものと思われます。安芸の宮島や大三島に残るこの時代の甲冑は芸術品としても素晴らしい出来栄えですからね。
海賊の親玉が誰だったのか、これは良くわかりません。瀬戸内水軍からはみ出した独立勢力か、それとも陸地からはみ出した盗賊集団か、推測の範囲を超えませんが、古代から水軍の名門であった村上、河野が衰退していましたから、海賊、独立勢力が力をつけていたことは間違いなかったでしょう。
11、「都の公卿たちは、毎日毎夜、宴を張り、恋文を取り交わしたりして、遊んでいるそうな。公卿たちには、飢饉に苦しみ、子供が目の前で餓死するのを、黙ってみているしかない親たちの苦しみなど、何も判るまい。その公卿たちの下知を受け、平氏や源氏の武士たちは、たいそう良く働いているそうな。いずれも目の前の立身出世を望み、一族が栄えるのが目当てにて、命がけで戦っている。やがては朝廷に用いられ、公卿と同じような毎日を送りたいのが、そなたたち武士の夢であろう」
庶民から見た京都朝廷や武士たちの姿として引用してみました。海賊の棟梁の娘が、忠盛に向かって毒づく場面です。
内容は随分と違いますが、中小企業に勤める労働者の妻たちから見た、霞ヶ関の高級官僚や、東京電力の社員、銀行員などが、現代の公卿、公家、武士でしょうかねぇ。
それにしても、値上げ申請をした東京電力の社員の平均年収が700万円近いというのには驚きました。残業代なしの基準賃金だそうです。大企業が550万円、中小企業が400万円程度ですから、彼らは現代の公家でしょうか。そのうえ福利厚生施設、社宅など至れり尽くせりですから、それを守ったままの値上げ申請など、顰蹙を買って当然です。
庶民感覚というものはいつの時代も同様で、羨ましさ、憧れが転じて、妬み、ヤッカミにと変わります。マスコミの官僚批判がそうだとは言いませんが、給料分だけ働いてくれなければ、批判されても仕方がないですね。ましてや、東京電力は身を切る改革(賃下げ)をしない限り、料金値上げは認められないでしょう。
現代でも、子を持つ親は、子供たちが安定して高い給与が取れる官僚、JRなど半官会社、銀行、大企業に就職してくれることを願って、教育に過分な投資をしていますが、平安末期の庶民たちも、実力で這い上がることの出来る武士への憧れが大きかったと思います。武士への憧れが、武士を非難するという形で現れたんでしょうね。
12、もともと、公卿の藤原家は、南家、北家、そして式家、京家の四つに分かれている。
その四家の中で、一番勢力を持っていたのは北家だが、それは道長という優れた政治力を持った人物が出たからであった。道長は関白の子に生まれ、次第に出世して氏の長者となった。太政大臣まで勤め、自分の娘が天皇の中宮になるに及び、得意絶頂になって、
この世をば わが世とぞ思う望月の かけたることもなしと思へば
と和歌を詠んだほどであった。
藤原一門もピンキリであったことは既に紹介しました。公家…という世界は血統がものを言うところです。藤原家の血統で、かつ、勢力を持つ家系で、しかも教養がなくては公家であっても公卿(三位以上)にはなれません。公家の中でも位階差別と、実力の世界はあったのです。
この部分は、徐々に実力を発揮し始める高階通憲の立場を紹介する場面で出てきました。
今回のドラマでは、下積み時代の通憲(後の信西)が貧乏学者として登場し、平家の後を追って海賊退治に巻き込まれるという演出になっていますが、こんなことはありえませんね。いかに身分の低い公家でも、無断で数ヶ月間、京を離れたら懲戒免職です。
ドラマに悪役で登場する関白の忠実は北家、通憲は南家です。公家の中での派閥争いも、色濃く絡んできますね。
道長の歌をどう解釈するかについて、「傲慢」「不遜」と学校では教わりましたが、満月を見上げながら、私も時々「満ち足りた幸福感」を感じることがあります。何の心配もなく空を見上げているときの心境としては、良い歌ではないでしょうか。
幸福感は人さまざまです。欲の深い人は一生満足しないでしょうが、程ほどのところに幸福度のモノサシを設定しておけば、お互いに豊かな人生になりそうですよ。
欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて道を失う(泥舟)
日本海側は大雪で、国道麻痺ですが、これは私の好きな歌の一つです。
この歌を詠んだのは将軍慶喜の側近であった高橋泥舟。維新のときの幕府方で、三舟 (海舟、鉄舟、泥舟)と呼ばれた江戸無血開城の、立役者のひとりです。
F12、義朝によくよく諭され、由良は反論できずに恨めしげな目で睨んだ。
後年、由良は義朝と深い縁で結ばれ、頼朝の母となる。
ドラマでは源義朝が語り手をしますから、チョコチョコ画面に登場します。北面の武士、すなわち上級職公務員試験に落選した義朝は、武者修行、兼 領国視察のために関東へと旅立ちます。その途中で立ち寄ったのが尾張の熱田神宮です。熱田神宮は草薙の剣を御神体に祀りますが、これを奉納したのが神話にでてくる日本武尊(やまとたけるのみこと)。日本武尊の妻が、熱田の地で娶った女でした。
ヤマトタケルと頼朝を重ねる辺りに、歴史のウサン臭さがありますねぇ。鎌倉時代、室町時代、江戸時代と600年以上も、源氏による軍事政権が続きましたから、その間に歴史の捏造がなかったか? 実に疑わしいところです。
ともかく、義朝と由良は熱田で出会います。義朝が暗殺されるのも、この尾張の地ですから、源氏にとって熱田は、因縁の場所でもあります。