敬天愛人 7・8 桜島と昆布

文聞亭笑一

一週間のご無沙汰でした。ご心配をおかけいたしましたが無事に「瘤取り爺さん」を終わり、目下静養中というところでしょうか。今週末に抜糸を終われば、ひとまず一件落着となります。場所が場所だけに、しばらくは無理せず、慎重に過ごします。ハイ。

薩摩人と桜島

先日の放送で吉之助の母・満佐が「桜島を見たい」とせがみ、吉之助の背中で息を引き取るという場面が放送されました。これは、ある意味で、鹿児島の方々共通の、伝統的な、郷土感情であるようです。桜島が見える景色・・・これが「鹿児島」なのです。放送では海辺の高台にまで出て桜島を仰ぎましたが、街中でも見えるはずです。

・・・が、西郷の住む下加治屋町では、民家の屋根などが邪魔になったかもしれませんね。

現在でも鹿児島市内では、家を建てる時に気にする方角は「桜島の見える方角」で、マンションなどでは桜島側が高額な値段で売り出されるようです。こういう感覚は日本全国どこにでもあります。東北の岩木山、岩手山、富山なら立山、静岡や関東なら富士山、山陰では大山など、いわゆる霊峰と呼ばれる山々は、みな似た傾向があります。ともかく、薩摩人にとって桜島は切っても切れない心の故郷なのでしょう。かくいう文聞亭も、雪を頂いた常念岳が故郷の景色です。

とはいえ、桜島は活火山です。年中噴煙を上げていますし、活動期には大量の火山灰を降らせます。これは至極厄介で洗濯物を汚し、車なども頻繁に洗わなくてはなりません。迷惑この上ない・・・と思うのですが、それでもこの火山と共生する道を選びます。鹿児島の市電は、この火山灰を抑えるために軌道内は芝生で覆われています。それがまた落ち着いた景観になるようで、市電の線路が観光名物にもなっているようですね。

つい最近、広島地裁の判事が「阿蘇のカルデラ噴火」を理由に原発稼働差し止めなどという変な判決を下しましたので、地球物理などを少し調べてみました。阿蘇よりもカルデラ噴火が起きそうな可能性が高い地域は・・・鹿児島ですねぇ。

桜島は姶良カルデラの噴出口の一つです。鹿児島県はカルデラ火山が幾つも並んでできた地形で、霧島山、桜島、開聞岳、ネッシーで騒がれた池田湖などの火山は終末噴火口の一つですね。火山灰が堆積したことで有名なシラス台地は、これらのカルデラ噴火で出来ました。数十万年前の話です。ただ、日本列島で最も新しいカルデラ噴火としては、奄美諸島の鬼界ヶ島カルデラが7500年前に噴火しています。最も新しくて7500年前です。縄文時代です。

カルデラ噴火というのは、地下のマグマ溜まりのマグマが噴火・噴出してしまって、その結果できた空洞に、上部の土砂が陥没してできる大規模な窪地のことで、箱根の芦ノ湖、阿蘇の内輪などがその典型です。鹿児島湾はカルデラが3つ(姶良(あいら)、阿多(あた)北(きた)、阿多(あた)南(みなみ))繋がってできた窪地に、海水が入りこんで出来上がった湾です。霧島を含めてこの辺りは大火山帯なのです。

鹿児島を標準語では「かごしま」と発音しますが、現地では「かごんま」と言っています。

今年のドラマでは鹿児島弁を多用していますから、標準語にこだわる人には「何を言っているのかわからん」という声もあるようですね。「聞きとれぬ」とボリュームを上げる人もいますが、音量の問題ではありません。日本語の幅広さへのリスニング能力、柔軟性の問題です。

薩摩藩の収益源

薩摩藩は島津斉彬が藩主になってから、日本の政治の中心的勢力として台頭します。それを支えたのが密貿易で、莫大な利益を産みます。維新の期間を通じて、幕府も薩長勢力も大量の武器輸入をしましたが、最大の武器、軍艦の輸入をとってみると

幕府 120万ドル相当  薩摩・島津藩 150万ドル相当

・・・と、明らかに薩摩が上回っています。銃器なども同様だったと思われます。

これだけの財源、資金はどこから来たのか? そのカラクリを調べてみました。その結果が、富山の薬売り、北海道の昆布と知ってビックリもし、なるほど・・・と納得もしました。

江戸時代は鎖国令が敷かれ、海外との貿易は長崎の出島だけ・・・と教わってきましたが、実は「四口」と言われる4カ所の港が貿易港として認められていました。

1、長崎口・・・オランダを通じての西欧貿易と中国貿易   <幕府専売>

2、対馬口・・・朝鮮貿易        <対馬藩>

3、蝦夷口・・・アイヌ、樺太、千島との交易  <松前藩>

4、琉球口・・・中国貿易   <薩摩藩>

しかし、貿易量は圧倒的に長崎が多く、9割がたは長崎経由でした。が、1800年代に入り、調所笑左衛門の才覚で琉球口での貿易が急成長します。それに富山の薬と松前の昆布が絡んでいました。

この頃、清国では風土病である甲状腺系の病気が大流行をし、その特効薬としてヨード=昆布の価格が急騰していました。昆布は北海産ですから東シナ海では良質の物が採れません。北朝鮮方面か日本産が求められます。しかし、長崎経由ではなかなか入ってきません。幕府がマーケティングには全くオンチで、昆布が高値で売れることを知りませんでした。

昆布と言えば北海道・松前、羅臼です。北前船で日本海を酒田、富山、敦賀と渡り大阪に集荷されて全国に流通していきます。昆布の流通は日本海が大動脈です。

富山の薬売りは、この時代既に全国に大ネットワークを構築していました。が・・・、悩みの種は生薬の入手が大阪の道修町に握られていて、実に高価であったことです。清国産の麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、山(さん)帰来(きらい)、辰砂(しんしゃ)、五黄(ごおう)、竜(りゅう)脳(のう)などという薬種は輸入量も少なく、実に高価なのです。しかも幕府による高率な関税や、大阪商人の投機相場に揉まれて庶民の手に入る代物ではありませんでした。その点では対馬口から入る朝鮮人参も同じでしたね。

昆布を求める清国、輸入生薬を求める富山の薬売り、これを繫いでしまったのが薩摩藩です。調所笑左衛門に依る琉球貿易でした。

北前船で運ばれてきた松前昆布を越中富山で陸揚げします。富山は金沢藩の支藩で管理が甘い。これを積み替えて薩摩へ、そして琉球へ・・・。昆布は食品と言うより薬品として輸出します。従って仕入れ値の数倍で売れます。ぼろ儲けですね。そして中国産の生薬を仕入れ、大阪をパスして直接、富山に売ります。幕府の関税はありませんし、大阪道修町薬問屋の中間搾取もありませんから、利益はすべて薩摩の懐に入ります。富山も安く仕入れられます。Win-Winです。

昆布で儲け、生薬で儲け、しかも、その額が半端ではありません。薩摩はウハウハでしたね。島津斉彬が蘭癖と言われながらも設備投資して工業化を進め、兵器の近代化を進めた財源は・・・なんと、北海道の昆布だったのです。これは私にも、新発見・目から鱗でした。