助平親父(第11回)
文聞亭 笑一(市川 笑一)作
震災があって、放送も、このシリーズも一週飛びました。
世の中に怖いものとして昔から言い古された言葉に「地震、雷、火事、親父」があります。
地震の怖さは新潟、松代、神戸と震度5以上を3度も体験しましたが、こんどの東北関東大震災も怖かったですねぇ。地震だけならまだしも、津波というのは映像でしか目にしていませんでしたから、「地震より怖い」と、つくづく思いました。冒頭に上げた「地震、雷、火事、親父」ですが、雷とは風水害全般のことです。台風や集中豪雨、長雨による河川の氾濫がそれに当たります。
今度の津波も「雷」の一部でしょう。東北地方の太平洋沿岸部では、怖いもののうち1番と2番が同時に襲ってきたのですから逃げようがなかったと思います。運…だけでは片付かない問題でしょうが、文聞亭の科学知識の範囲では「運」としか言い様がありません。
更に、更に、1番、2番だけでなく、4番の「親父」まで乗っかってきてしまいました。原発事故は、人災の部分もあると思います。「親父」とは戦争、暴動、犯罪、風評被害など、人によって引き起こされる事件です。危機管理をお考えになるのなら、「古い」などと言わずに、先人の知恵を思い浮かべて、定期的に身の回りを点検しておくべきでしょうね。
ましてや、事故が起きてから慌てて防災グッズを買い込むなどは、まさに親父行為です。人災を自ら引き起こす犯罪行為です。最近の風潮からすれば「地震、雷、火事、オバン」の方がわかりやすいかもしれませんよ(失礼)
さて本題。
今週は、秀吉が、世に言われるほどの助平親父だったかどうかを考えて見ます。これも、まぁ、災害の一部でしょうからね。痴漢やセクハラなどの親父災害対策でもあります。
このシリーズを追いかけるにあたって「江物」というか、江を主役にした小説を3編読みました。原作である田渕久美子の「江・姫たちの戦国」を手始めに、永井路子の「乱紋」、諸田玲子の「美女いくさ」です。
戦国物の小説は男、英雄を主人公にしたものが多いのですが、女性を主役にした小説の作者は、その殆どが女流作家です。当たり前といえば当たり前すぎることではありますが、女性の目から見れば「平和のありがたさ、平和願望」が前面に押し出されるのは当然で、男というものは我利々々亡者の強欲爺になってしまいます。世に言う英雄ほど、悪い奴になります。ですから秀吉…こんな悪党はいないわけで、3編の小説に共通して描かれる秀吉像は、権力亡者の助平親父です。女狂いのどうしようもない男ですねぇ(笑)
しかし、革命家・信長と、安定政権を樹立した家康の中継ぎとして、平和の実現と経済発展に最大の功績を挙げたのは、ほかならぬ秀吉、その人なのです。
その功績に関してまで泥を塗ってはいけません。人間、良いところがあれば、悪いところもあります。その振幅の大きい人ほど、英雄として歴史に残るわけで、我々凡人との違いが鮮明に出ます。是は是、非は非ですよね。
25、お市の手紙に残された文字には、こう記されていた
「決して邪心を抱くことなく、三人を守ってもらいたい」
酷だ。
秀吉は思い、目の前に立つ茶々の顔を改めて見つめた。面差しも、白磁のような肌の色も、凛とした気品までもが母親に似ていた。なんてこった、まるでお市様に生き写しじゃないか…。お市の遺した言葉を守らないわけには行かない。しかし文にあった邪心が、頭をもたげようとしているのも事実だった。
秀吉にとってお市は憧れの人でした。愛情とか、恋だとか、性欲の対象というよりも高嶺の花という感じで、手に入ったら床の間に飾って日々眺めては悦に入るといった、そんな感じの理想の人ではなかったかと思います。
が、女性作家の目は厳しいですねぇ。現実的ですし、性に関しては受身の目で見ますから、脂ぎって、ぎらぎらするようなスケベ親父の目としか理解してくれません。手に入れたら我が物として好き勝手に支配するに違いない、そういう被害者的…目で見ます。
とはいえ、秀吉には邪心がありました。何度もいいますが、政治的利用という邪心です。手に入れた三姉妹をいかに高く売り込んで、秀吉政権への道を確実にしていくか。その使い道をどうしようか。そういう目で三姉妹を見ます。頭のてっぺんから足のつま先まで、舐めまわすように見たでしょうね。骨董屋が商品の鑑定をするような目つきです。
面差し、肌の色、既に適齢期にある茶々などは、一級品と折り紙をつけたのでしょう。
しかし、鑑定される立場に立てば、これほど嫌なことはありません。衣服を一枚ずつ脱がされていくような気持ち悪さで、目で犯されるような恐怖感すら覚えたでしょう。
現代でも、こういう目で人を観察する者がいます。概して、企業の管理職、人事系などに多いのですが、相手が男女に限らず、初対面の相手を隅から隅まで目の奥のほうから覗き込むような感じで接してきます。なんとなく、心の奥底まで覗き込もうという目つきですから気持ち悪いですねぇ。口先では冗談を言って笑ったりしていますが、目は決して笑いません。冷徹な鑑識眼に徹しています。まぁ、私とて新入社員の面接をするときはそういう目をしているでしょうから、他人の悪口は言えませんけどね。
近年、セクハラという被害が認められるようになりました。むやみに身体を触ったり、性的な冗談を言ったり、容姿をからかったりすることは「罪」となりましたが、随分と気を使うことが増えました。親しい間柄であればなんでもない冗談が、「セクハラだ」と問題にされます。「大根足だ」「はと胸だ」などとは差別用語か、使用禁止用語として排除されそうな勢いです。
秀吉は人誑(たら)しの名人などとも言われます。人の性格を見抜く名人であったとも言われます。快活で、人懐っこくて、庶民的ですから気さくな商店の親父さんといったタイプでしたが、初対面の相手に対しては人相見のような目で、徹底的に観察していたのでしょう。話すときの目の動き、顔の筋肉の一つ一つの動きまで見逃しません。それを、彼の豊富なデータベースと照合し、明晰な頭脳で分析し、瞬時に性格まで見抜いていったと思います。
26、「でもどうしてあんなに綺麗に、その手を動かせるんですか?」
「動かしてはおりません。もてなす心があれば、勝手に動きよるんでしょう」
「もてなす心・・・」
「出会いは一度きり。ともに過ごすときを尊び、味わい、慈しむ心のことです」
そうか、そのために、客と主を向かい合わせる境目に、お茶があるんだ。
江にとって、天守閣が焼けてしまった安土城は、退屈な日々ではなかったでしょうか。
12歳、小学校六年生ですよね。北の庄でのように、のびのびと馬を駆るわけにも行かず、大切な政略用の姫として籠の鳥です。
そんな中での楽しみは、宗易(利休)や、彼を訪ねてくる人々との出会いであったと思います。とりわけ好奇心旺盛な江のことですから、あらゆることに興味を持ちます。
「茶の心…茶道」こんなものを不思議に思い、利休を質問攻めにします。
ここでの会話、まさに一期一会そのものですね。作法ばかりにこだわる現代の茶道、現代の禅…。原点はもてなす心、フランス語なら「ラ・ポール」でしょう。
茶でなくとも、酒でも、食事でも何でもいいですが、会話を弾ませるための話題や、工夫は大いに開発すべきですね。ジョークやウイットというのもそのための道具です。
ただ、それが形式に流れ、しかも何がしかの権威と結びついて、形式のみに堕していくのは賛成いたしかねます。ともかく、出会いは大切にしたいものです。
27、「相変わらず狭いのう、それに陰気だ」
秀吉はブツクサいって膝歩きし、たった一畳の客畳に腰を据えた。宗易の厳しい美への思いが、ここに凝縮されていることはわかる。しかし、最初こそ面白がったものの、飾りも灯りもなく、天井が低いため立って歩くことも出来ない空間は、窮屈な苦痛を秀吉にもたらすだけだった。
山崎の宝城に作った利休の「待庵」の様子の描写です。これは宗易、利休が秀吉を天下人として教育するための教室ではなかったと思います。勢力が拡大するにつけ、権力も大きくなるにつけ、秀吉の増上慢は手がつけられなくなっていきます。育ちが野卑なだけに、公家たちとの折衝に障りがあってはいけないと、礼儀の訓練をするための教室といってもいいでしょう。にじり口では、嫌でも相手に、亭主に、頭を下げなくてはなりません。
狭い部屋ではきちんと座らないといけませんし、寝転がったり、歩き回るわけにも行きません。低い天井では膝行しか出来ません。作法どおりしか出来ないのです。
そうです。型にはめ込んだのです。守破離の「守」を、するしかない環境を用意したのでしょう。この辺の初等教育は現代にも応用できます。