海人の夢 第16回 雲居より

文聞亭笑一

【紺色文字は引用でF数字は藤本有紀著、数字だけは村上元三著「平清盛」です。】

美しい花は、それを支える枝葉があって見事に咲きます。枝には幹があり、幹は根によって支えられています。日本人は桜の花が大好きで、さくら、さくらと浮かれ騒ぎますが、桜の花は若木の花より、年輪を重ねた古木ほど、花が美しいですね。

私にはよくわかりませんが、最近の若い者はAKB48という女の子たちの歌が大好きなようで、演歌世代の私には「味がない」「情がない」などと感じますが、それはそれで活動的で、躍動的で、未来を担う若者たちに花を咲かせる源ではないでしょうか。民謡と浪花節の世界で育った我々の祖父母の世代、唱歌で育った父母の世代、演歌とグループサウンド、フォークで育った我々の世代…歌は世につれ世は歌につれ…です。世の変化は受け入れて消化し、次世代を担う孫世代の根っこになって、理解できなくとも、おおらかに是認していかなければならないと思います。

教育とは、自分たちの価値観を押し付けることではなく、育っていく新しい価値観を是認し、応援することだと思います。「教えて、育つ」のですから、教えたことをそのまんまする優等生も結構。教えもしないことをやり始める劣等生も結構。優劣つけずに見守っていくのが、次世代への責任から外れた、爺婆の役割のように思います。

さて、今週の主役は平忠盛です。清盛は忠盛の張った根っこに支えられ、革命を起こし、成功させた改革者です。その忠盛が老いらくの恋で愛した女性が有子…平忠度の母です。

雲居より ただもりきたる 月なれば おぼれげにては 言わじとぞ思ふ (有子)

雲の隙間から漏れくる月光(もりきたる)を忠盛にかけて、秘めたる恋を貫く女心(言わじとぞ思う)…おぼろげなることを勝手に文にする文聞亭には耳に痛いですが、マスコミが支配するこの国の現状に対する、痛烈な批判にも聞こえます。

それもあって、今週の表題を「雲居より}にしてみました。

F38、久安6年(1150)9月26日、関白忠通のいる東三条邸に、為義率いる源氏が突入した。藤原摂関家の家宝であり、氏の長者を示す朱器台盤を奪うためである。

治安部隊、警察である武士が政治目的に使われることになりました。その意味で藤原摂関家は自らが築き上げてきた貴族政治、平和路線を捨てて、武士の実力を天下に知らしめることになりました。

忠盛、清盛が「武士の世を作る」ための、お膳立てをしてしまったことになります。更に、それを引き継いだ頼朝が武士の世を確立し、以後日本は750年の軍事政権を続けることになりました。武士の世とは軍事政権です。武士の世が終わったのは1945年の終戦ですからね。明治、大正、昭和前半も軍人という名の武士の世に変わりはありませんでした。

さて、藤原家の内紛ですが、前回の総選挙で自民党が大敗したのも、その敗因は郵政造反組の復党を許したところから始まっています。「自民党をぶっ壊す」と宣言した小泉政権が、郵政改革の旗を掲げて国民の信託を受けたのにもかかわらず、民営化反対の、造反組を許してしまったのでは、国民の意思を裏切ってしまうことになったのです。

「声なき声」などと言いますが、多くの国民は政治に無関心のようでいて、その実、政治の動向はきちんと見ています。平安期の庶民とて、政治に無関心ではなかったと思います。内輪の権力争い、兄弟喧嘩の末に軍を動かすなどという暴挙には呆れてしまったでしょう。

権力の継承のためには、その象徴となるモノがあります。ヨーロッパの王家の冠のように、天皇家には三種の神器があり、藤原家のそれは朱器台盤でした。只のモノに過ぎませんが、モノに名前が付くと、人の命より貴くなります。その代表例が貨幣でしょうね。有価証券と呼ばれるものも含め、只の紙切れですが、その紙切れのために人殺しが起きているのが人間社会です。

F39、仁平元年(1151)忠盛は刑部卿に、清盛は安芸守に任ぜられた。高野山の大塔再建の働きに応えるべきであるという信西の口添えもあってのことだ。

高階通憲が出家して信西と名乗りましたが、藤原家の内紛は、その反動として信西を政権の中枢に押し上げていくことになりました。鳥羽院は藤原兄弟のどちらにも組みしないことで自身の地位をより強くすることを狙います。そのためには信西のような策略家が便利だったのでしょう。次第に信西の政治的発言権が強まっていきます。

清盛にとって、安芸守に任官することは魚が水を得たようなものでした。海人の血を引き、海にあこがれていた清盛にとって、安芸の国は実に居心地の良いところです。厳島神社の再建を始め、外国との交易を夢みる環境が整っています。この時期にこそ、後に彼が実行した数々の改革路線の構想を固めたものと思われます。

清盛がこの時期に再建した厳島神社ですが、ここにはイチキシマヒメが祀られています。

イチキシマと厳島(いつくしま)…音が似ていますね。もともとのイチキシマに漢字を当てたのですから似ていて当然です。イチキシマヒメは美女で名高い宗像三神の二番目で、 仏教の弁天様とも習合した美と、金運と、芸能の神様です。勿論、宗像三神がもともと航海の神様で、遣隋使、遣唐使などの守り神でした。この神様を崇拝するというところにも、清盛の海外への夢、海人の夢が見て取れます。

F40、忠盛が口を開いた。
「武士の世を作るためじゃ。……院にお仕えするのではなく、武士が頂に立つ世を」
一同は忠盛の言葉に驚く。 「それがため、我らは太刀を振るってきた。それがため、武士は今の世を生きておるのだ」

忠盛は刑部卿、現在で言えば法務大臣の職位に就きましたが、依然として身分は四位のままです。念願だった三位昇進は出来ませんでした。「もはやこれまで…」と悟ったのでしょう。引退を決意します。既存勢力に割り込んで、勢力を拡大しようという努力をなげうち、実力で政権を奪う決意を固めます。そして、それを託されたのが清盛でした。

このとき、忠盛は息子たちに平家伝来の重宝を贈り、引退宣言をします。

清盛に贈られたのは唐皮の鎧、平家伝来の棟梁を示す鎧です。

頼盛には名刀・抜丸を、教盛には愛用の弓矢を、経盛には鞍を与え、清盛を助けるよう諭します。この四人、すべて母親が違いますから兄弟喧嘩が起きやすいのですが、形見分けのようにして宝物を分散させたところが、忠盛の智恵だったのでしょう。

出家、引退について西行は次のように歌を詠んでいます。

惜しむとて 惜しまれるべきこの身かは 身を捨ててこそ身をも助けめ

惜しまれるほどの値打ちがあるかどうか、引退してから値打ちがわかる。自我を捨て、冷静に物事を観察することこそ、大切な生き方だ・・・とでも読むのでしょうか。

忠盛の心境も同様だったのではないでしょうか。後世にも、これに似た歌があります。

切り結ぶ 刃の下こそ誠なり 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり (塚原卜伝)

引退…、結構難しいことのようです。小泉純一郎はすっぱりと引退しましたが、鳩ポッポのように、引退すると言いながらイラン辺りにノコノコ出かけ、相手に政治利用されて顰蹙を買うバカもいます。引退したご同輩は、古巣に余計な口出しをしないほうが喜ばれるでしょうね。お互いに自戒したいところです。

F41、「父上・・・」
美しい夕焼けを見ながら清盛は呟いた。
1月15日、忠盛はこの世を去った。忠盛が清盛に、そして武士たちに残した功績は、はかりしれない。

1153年、平忠盛が死去します。50歳を過ぎていますから、この当時としてはまずまずの年齢でした。大往生といってもいいでしょう。

清盛はこのとき、京を離れて安芸にいましたから、父を看取ることは出来ませんでした。

瀬戸の海に沈む巨大な太陽、その先には憧れの大陸があります。

忠盛の功績は、貴族、特に藤原家に独占されていた宮廷政治に穴を開け、武士に政治参加の道をつけたことですが、それ以上に清盛という革命家を守り、育てたことでしょうね。

私は、11世紀以来、この国に現れた革命家は3人だと思っています。まずは清盛、次に信長、そして3人目が龍馬です。そして、この3人に共通するのが、海外への強い憧れであり、通商国家の夢、ビジョンです。この夢の実現に向けて、まっしぐらに突き進む意欲、意志の強さも共通していますね。いずれも夢の実現する前に命を失ってしまいましたが、それが、こういう革命的人物の宿命かもしれません。