乱に咲く花 12 経世済民

文聞亭笑一

ドラマの展開がゆったりしています。今週は文の結婚から、久坂の江戸行までのお話のようですね。このインターバルを使って、吉田松陰語録の整理をしてみましょう。

至誠にして動かざるは、いまだこれあらざるなり

松陰の言葉として最も有名な一節ですが、孟子の一節です。動かざる、あらざると二重否定して肯定を強めます。つまり、誠を尽くせばできぬことはない…と、意志の力を強調します。

精神論の権化のような言葉としてよく使われますが、精神論だけでは物事は達成しません。合理性と意志の力、これの相乗効果でProject―Xは成し遂げられると思います。戦前の教育では意志の力ばかりが強調されました。「至誠」は合理性の追求もしなくてはいけないと思います。

志を立てて、以て万事の源となす

松下村塾の基本方針でしょう。先ずは目標意識というか、目的意識を確固たるものにすることだと教えます。大人相手の教育として、現代でも最重要でしょうね。

大人?・・・高校生くらいからの話でしょうか。大学生は当然、大人です。

人、賢愚ありといえども、各々一、二の才能なきはなし

「どんな人間でも、能力に差こそあっても、一つや二つの優れた才能がある」という意味で、野山獄での講義以来、松陰は門下生の才能の発見に最大の関心を払ってきました。孟子の性善説をベースにする松蔭ですから、当然のスタンスかもしれません。

ただ、そうは言っても「仁が過ぎれば弱くなり、義が過ぎれば固くなる。礼が過ぎれば諂いになり、智が過ぎれば角が立ち、信が過ぎれば騙される。(伊達政宗)」の教訓もあります。性善説もほどほどにしないと、オレオレをはじめとする詐欺師の餌食になります。

諸君、狂いたまえ。

意味合いは「自ずから湧いてくる情熱に背くことなく、思うままに行動せよ」で、感情のみで暴走することのススメではありません。川崎の事件のような狂人的行為を是認してはいません。

みだりに人の師となることなかれ。みだりに人を師とすべからず。

これは孟子からの引用です。孟子はこの後に「本当に教えることのできるものがあれば師となり、本当に学ぶべきことのある人を師とせよ」と続けます。このあたりが名句や諺の使い方の、難しい所ですね。要するに…志次第ということでしょう。

学問の大禁忌は作輟(さくてつ)なり

学問をする上でのタブーは、やったりやめたりとムラのあることだ…と言います。

「やるんならトコトンやれ。やめるならスッパリやめろ」ということでしょう。

宜しくまず一事より、一日より始むべし

「志を立てたなら、そのことを、今日からやれ」といいます。実行第一!知行合一。

読書最も能(よ)く人を移す。畏るべきかな書や。

「読書は人を変える力がある。本の力は偉大だ」という意味ですね。本は何度も読み返せますので、他の情報ツールより影響力が強いと思います。

一月にて能くせずんば、即ち両月にしてこれを為さん。

「一月で出来なければ二か月かけてもやるべきだ。途中で投げ出すな」という意味でしょう。

教訓めいた話ばかりで恐縮ですが、松下村塾のおさらいの意味でまとめてみました。

今週は司馬遼の小説からは全く引用部分がありませんので、童門冬二の「吉田松陰」の引用です。

人間には先入観とか固定観念というのがあって、これが社会のなめらかな運行を妨げる場合がよくある。歴史上の人物についても同じだ。一度張ってしまったレッテルは中々はがせない。
『この人はこうだ』と決めつけてしまうと評価を変えられなくなる

歴史上の人物に限らず、今日ただいまの付き合っている方々に対してだって先入観があります。これが固定化してしまうと困りますが、先入観があればこそ、前置きなしで話が進められます。知識とは、一つの先入観で、正しいとは限りません。 「大相撲は国技である。にもかかわらずモンゴル出身者に蹂躙されているから面白くない。 遠藤が休場してしまっては、みる気も失せた」と言う人がいますが…「国技であるから日本人力士が強くなくてはならない」という固定観念の発言でしょう。この方は「野球もサッカーも勝たなくてはならぬ」とも言いますが、あれは国技ではありませんよね(笑)

考え方が固定化する原因は、新しい情報の摂取量が少なくなり、しかも入手先が偏り、その情報を使って実践するフィールドが減って、古い情報に頼り出すからでしょうね。「年寄りは昔のことばかり言う」と若者に嫌われますが、自信の持てることが昔のことしかないのですから仕方ありません。

とは言え・・・カラオケで昭和の演歌ばかりではいけませんかねぇ。AKB? う~ん……。

明治維新は単なる政治的事件ではない。むしろ経済的事件だ。地方分権を確立し、自ら財源調達能力をフルに発揮して、十分な黒字を出していた藩が手を組んで中央政府を倒したと言っていいだろう。

この見方が「維新」を名乗る党の根幹にあるのではないでしょうか。橋下徹、石原慎太郎が手を組んだのはそういうことだろうと期待して観ていたのですが、どうも…途中から変節したようで、江田賢司を取り込んだ後の現在の維新の党は、政治屋に牛耳られたフツーの党になってしまったようです。「取り込んだ」というより、「乗っ取られた」の方でしょうか。

政争というのも…とどのつまりは経済政策です。正義とか、仁愛とか、耳触りの良い言葉を持ち出して看板を掲げますが、看板だけで一時の政権を取っても、経済政策が伴わなければ人気は出ません。民主党の躍進と衰退……、つい先日見たばかりです。

攘夷という運動も同じではなかったかと類推します。日本中が攘夷熱に染まったのですが、それを早くから推進していたのは烈公や藤田東湖を中心とする水戸藩でした。ドラマが進行しているこの時期でも、攘夷運動の中心は水戸藩とその浪士たちです。これに便乗していた京の学者たち梅田雲浜、星川清巌、頼三樹三郎なども、攘夷熱をあおって公家を煽動していました。

が、彼らには攘夷を実行した後の青写真がありません。外国との戦争には莫大な費用が掛かるのですが、その財政的裏付けもありません。鳩山の「少なくとも県外」同様のずさんさです。

それに引きかえ、長州、薩摩などは財政改革を先行させています。藩益を増やすための経済に力を入れ、商業の振興を図っています。維新劇の主役になる桂小五郎、高杉晋作などは藩営の商事会社「越荷方」というものに勤務しています。ここは算盤勘定をする部署で、それだけ経済感覚が進んでいました。腹が減っては、戦はできぬと言います。金がなくては、戦はできません。

松陰は「経済と情報」を特別に重視した。ただ、松陰の言う経済は経世済民のことで、「乱れた世を整え、苦しんでいる民を救う」という政治理念のことである。ところが、この言葉は「利益追求のための算盤勘定」と理解され、それをする商人が卑しめられたのが江戸時代である。

士農工商で商人、商業が卑しめられたのは非生産者であるということと、利益のためなら正義をおろそかにする者たち・・・という観方からです。当時の人は、おそらく今の人も、物流経費や設備償却費、更には陳腐化リスクのことを理解せず、「20円で仕入れたものを100円で売るとはケシカラン」と思っていますね。それが「卑しい」と思う原点でしょう。

私なども営業に配属された時には「大学を出ながらセールスマンとは…、よほど勉強をしなかったに違いない」と誤解(当っているかも)されましたからねぇ。50年前ですらそうでした。

改革というのは常に三つの壁への挑戦だ。
1、物理的な壁  地理的条件、技術力、資金力などの阻害要因
2、制度的な壁  法律、慣例など社会的な制約
3、意識の壁  変化に対する拒絶感、不安感、不透明感

そうですねぇ。「原発ゼロ社会へ」と言うのは実にたやすいことですが、「どうやって?」と聞かれて青写真を提示できる人はいないでしょう。元首相の白ライオンが、しきりにアジ演説をしていますが、あの人も青写真なしの吠えるだけの人ですし、赤い旗の方々も同類です。「まずは意識の壁から取り払うのだ」と精神論をぶち上げていますが、そんなもので代替エネルギー源は生み出せません。ソーラだ、地熱だ、風力だと言いながら、最も近道の自然エネルギー源である水力は「脱ダムだ」というのですから支離滅裂です。改革を唱える資格がありませんね。

ともかく日本人は精神論が大好きで、「精神一到何事か成らざらん」「為せば成る、為さねばならぬ何事も、ならぬは人の為さぬなりけり」などと発破を掛けてくれます。冒頭に挙げた松陰の「至誠にして動かざるはこれあらざるなり」も同様ですが、都合の良い所だけ切り取ってきて、檄を飛ばします。これが「欲しがりません、勝つまでは」になって、世界を相手に攘夷をやってのけた原動力です。

三つの壁を打ち破っていくには、同時進行で行くしかありません。

原発でいえば、「脱原発」の前に、原発制御の堅牢化でしょう。地震が来ても、津波が来ても、壊れない原発・・・つまり、制御不能にならないことです。電源喪失などということの絶対ないようにすることです。福島原発だって電源が生きていた5号機、6号機は爆発なんてしていません。

勿論、水素発電や自然エネルギーへの転換も同時進行です。どう考えても石化燃料への依存では、この国は成り立ちませんし、シーレーン防衛を含め戦争の火種を拡大します。

何となく…別便の「たわごと&笑詩千万」風になりました(笑)