次郎坊伝08 子作り

文聞亭笑一

直親と奥山友利の娘・しのが結婚してから、4年が経ったというのが今回の時間設定です。結婚したのが弘治元年(1555)ですから1959年ごろのお話になります。

子作り……と、平和な時代のお話のようですが、後継者づくり・・・となれば、戦争にも匹敵するほどの重大事ですね。企業経営でもそうですが、後継者育成、後継者選びというのは経営の重大事で、これをやりそこなうと企業経営が傾きます。一時期の経営論では世襲排除が主流でしたが、世襲が悪いとばかりは言いきれません。出来の悪い息子が、親の七光りで権力を振り回してはいけませんが、そこそこの能力がある者なら子孫が世襲し、その参謀を優秀な人材で固めるというのも企業後継の一手法です。CANONが御手洗家に、TOYOTAが豊田家に大政奉還して安定経営をしている例もあります。それぞれ世界に冠たる大企業で、安定した経営体質と、労使関係を維持しています。

子作りの話の前に、7話から8話へと通り過ぎた4年間の井伊谷周辺の環境を整理しておきましょう。

今川家や、徳川家の事情

1555年に今川義元の名参謀…と言うより、父親代わりでもあった太原雪斎が亡くなります。今川義元は母親の寿桂尼と雪斎の進言で政治を行っていましたし、「外交」に関してはもっぱら雪斎に任せて、丸投げに近い状態でした。武田信玄、北条氏康といった大物を相手に、今川の地位を認めさせ、三国同盟を結んだのも、雪斎の功績です。更に雪斎は、信玄と謙信が対峙している川中島にも出かけて、甲越両者の講和の仲立ちもしています。これが第3次川中島の合戦でした。

それもあって、この3年ほどは中部地方に安定が訪れ、互いに近隣の地固めや、勢力拡大に邁進できたのです。今川にあっては後顧の憂いなく遠江、三河の地侍たちに検地を行い、軍備の充実を促し、更に、来るべき「上洛戦」への準備に万全を期すことができました。

今川の占領地には、井伊直平のような面従腹背の輩が多々いますが、表立った抵抗はできません。圧倒的な軍事力の差で、逆らう者は一ひねりです。ドラマでは、井伊直平や中野直由が、今川への反抗的態度を示しますが、ゴマメの歯ぎしりといったところで、抵抗することはできません。

三河の松平も同様で、岡崎城に入った今川家の代官に牛耳られ、松平家という存在感はありません。

家臣の集団をまとめる古老たちは、ただひたすら…元信(竹千代・家康)の帰参を待ちわびるのみです。その意味で、竹千代の元服、妻帯という吉事は、三河松平の夢を大きく膨らませる慶事でした。

家康の留守領を預かっていた中心人物は、石川数正の祖父・石川安芸守や、鳥居元忠の祖父ですが、石川安芸が家臣団の不満を抑え集団の結束を維持し、鳥居は闇商売で軍資金をため込むという役割分担でした。風前の灯火のような、後の徳川家のヒト、モノ、カネを、この二人の老人が支えていたのです。彼らの孫は駿府に人質とされ、家康と共にいますから徹底恭順です。しかし、その裏で、爪に火を点す様な、倹約を続けています。家臣たちもそれに従います。

歴史物語では「家康はケチだ、吝嗇だ」と言われていますが、家康が・・・と云うよりも、徳川家全体が「ケチの伝統を持っていた、ケチ文化を共有していた」と見る方が良さそうです。一種の企業体質ですね。天下を取った後も、三河以来の譜代が小碌に不満を言わなかったのも、この企業体質のなせる業ではなかったか…とも思えます。結果論ではありますが、今川の代官による圧政が、逆に三河武士団の結束を強めたのかもしれません。

信長と秀吉

今川が次に狙う標的・尾張では、この間に信長の父・織田信秀が亡くなり、その後継者をめぐって騒乱が続いていました。「うつけもの」と評判の長男・信長を嫌い、次男の信行を後継者にしようという筆頭家老の柴田勝家が蠢動し、小牧方面を抑えていた信長の伯父も政権奪取に意欲を見せます。織田家中が幾つかの派閥に割れ、小規模な合戦が続き混乱しています。三河方面への進出どころか、父・信秀が勢力下に収めていた三河の豪族たちも離反していきます。

この辺りは信長公記や太閤記に出てくる青年・信長の面目躍如の活躍場面ですね。日吉丸が矢作川の橋の上で蜂須賀小六と出会い、そして信長に直訴して草履取りに就職し、活躍の場を与えられる場面です。今回のドラマにはまだ、信長も秀吉も出てきませんが、この二人が全国を統一していくきっかけとなった桶狭間の合戦が間近に迫っています。

秀吉は当初、今川家で侍修業をしています。1550年ころ、今川家家臣・松下嘉兵衛の家に奉公し、今川家の家臣になろうと修行をしたのですが、家柄や出生を重視する今川では出世の見込みがない…と諦め、尾張に帰りました。学歴社会の大企業・今川家を捨てて、能力主義の中企業・織田家に再就職した頃でしょう。当時の大名家は、その殆どが門閥主義でしたから、信長の敷いた能力主義の人事は異例中の異例で、革命的な人事管理でした。これが功を奏すのはもっと後ですが、家督争いで多くの家臣に裏切られた反動として始めたのが、この人事革命だったと思います。この革命はさらに進んで、「専業武士」という新しい形態の職業を生むことになります。一種のサラリーマン官僚です。それまでの武士は土地に土着していましたから、転勤、住居の移動はありませんでした。サラリーマン化することで、占領地経営がやりやすくなります。そういう点でも、信長は天才的経営者でしたね。

直親の子作り

これが今回の主題のようです。改めて言うまでもありませんが、門閥社会では血統が何よりも重視されます。長子継承というのは江戸幕府になってからの決めごとですが、当主の血を引いたもの・・・が、後継者の条件です。この有資格者が少ない、有資格者が次々と死んでしまう、殺されてしまうというのが井伊家の最大の悩みです。

現在の直盛に男子がなく、イトコの直親を後継者に据えましたが、直親に子がないと男系の血統が途絶えます。天皇家の場合も一時、男子が生まれず「女系天皇容認」などの議論が起きましたが、状況はよく似ています。こういうことを言うと叱られそうですが・・・直虎・次郎坊の立場は皇太子殿下の長女・愛子様に似ているのです。天皇家に悠仁親王が生まれてホッとしましたが、井伊家にはまだ男子が誕生しないのです。

そう言えば、これと反対のことをしている隣人がいますねぇ。世襲の対抗馬を次々と暗殺しています。

それはさておき…、次郎坊は直親の子作りのために振り回されます。当時の不妊医療は祈祷と漢方薬です。精力のつく漢方薬を求めて知恵を集め、駿府にも探しに行かせます。今回の物語に出てくる不妊治療薬が幾つかあります。現代でも使われている物もありますので紹介しておきましょう。

泥鰌(ドジョウ)・・・川魚の泥鰌です。日本古来の生き物ですからどこにでもいますが、これが精力剤とは知りませんでしたねぇ。海のない所に育った文聞亭などは、子供の頃に泥鰌ばかり食っていました。お陰様で、子宝で苦労したことはありません(笑)

ふと、浜名湖の近くなのに、なぜウナギではなくドジョウなのか…と疑問に思いましたが、ウナギが養殖されるようになったのは明治以降のようです。蒲焼という食べ方が始まったのも江戸幕府以来だそうで、新しい食品なんですねぇ。爆発的に食されるようになったのは江戸末期に平賀源内が「土用丑の日」を作ってからだそうです。ただ、万葉集に大友家持が痩せた人をからかって歌を詠んでいます。

石麻呂に 我モノ申す夏痩せに 良しというものぞウナギ獲り召せ

とありますから、古来から食卓には上っていたようです。

川芎(センキュウ)・・・水中に生育するセリ科の植物。根茎を湯通しして乾燥させ、漢方薬とするものです。頭痛薬、鎮静剤、強壮薬として用いられ、とりわけ女性の血の道に効くとされているようですね。おんな草、おんなかずらの別名もあるそうです。

当帰(トウキ)・・・セリ科の多年草で俗称は馬セリ。根茎を乾燥させたものは造血剤、強精剤として漢方で処方されるようです。冷え性、貧血、血行障害など婦人薬として用いることが多いという。

淫羊藿(インヨウカク)・・・別名イカリソウ。花の形が碇(いかり)に似ている所から命名されたといいます。オスの羊が、この草を食べたら一日に100回も交尾したと伝わります。強精剤、精力剤として男性不妊者に使用されたようです。

麝香(ジャコウ)・・・ジャコウジカの雄の分泌物を乾燥させたもの。現代でも香水の材料として用いられています。漢方では興奮作用、強心作用、男性ホルモン刺激作用があるということで、主として男性に用いられたようです。

昔、このジャコウ系の香水をつけたオバサンが飛行機の隣の席に座ってきて、往生した覚えがありますねぇ。寝るに寝られず…何となく変な気分になって大いに迷惑しました。公共交通機関を利用する時は、こういう香水を使ってはいけません(笑)

ともかく、井伊家にとって直親の血を引く男子の誕生は一族郎党すべての願いです。出来ることはすべてやってみる、ダメなら相手を代えてみる…という所まで行きます。精子と卵子にも相性というものがあるかもしれませんからねぇ。ただ、現代医学でもこのことは研究の対象になっていないようで、これを研究することは生命倫理に違反するのかもしれません。そんな倫理のない400年前は「正妻がダメなら側室を」と、実利優先です。

「何とかして子を」と願うのが今回の主題ですが、「何としてでも、できぬように…」と細心の注意を払ってきた文聞亭に論評する資格はありません。真逆の世界です。こればっかりはDNAか、食習慣か、何かわかりませんが…神のみぞ知る世界です。

現代も同様な悩みを抱える方は数多く、世の中の不条理ですが、欲しい人にはできず、要らない人にはできてしまいます。少子化の問題が社会問題化していますが、生命倫理の問題は産婦人科学会だけの問題ではありませんね。医者だけに任せず、広く倫理規定を見直す時期かもしれません。

ただ、経験則でいうと、鬱病ないし、気鬱の傾向のある人は不妊になる確率が高いようです。考え過ぎというか、自然の摂理より理屈を重視し過ぎると、次世代に続かなくなるのかもしれません。何をくよくよ川端柳 川の流れを見て暮らす こういう自然体が、自然に子を授けてくれそうにも思います。

ネアカ ノビノビ ヘコタレズ ・・・私のお気楽哲学ですが、考えても答えの出ないことは、サッサと投げ捨てて、別のテーマにかかることでしょう。考えて答えの出ないことは、考えてもいない時にフッと答えが出たりします。まぁ、ヒラメキはすぐに消え去りますのでメモ帳だけは必携ですね。とりわけ後期高齢者には大切な道具です。メモ帳だけではメモが書けませんから、鉛筆が要ります。これは、ゴルフ場で貰ってくるのがおススメです。メモ帳と一体化できます。