てやんでぇ 第06回 猫灰だらけ

作 文聞亭笑一

今度のドラマは・・・どこか明るさが足りませんね。

主役の蔦重はあちらこちらへと跳ね回っていますが毎回、何某かのイジメに遭います。

江戸城内での田沼意次も先輩老中達から、陰湿に虐められますねぇ。

さらには吉原というところは女性刑務所のようなところで、身請けしてもらわない限りは籠の鳥です。

抜け出してまともな生活に戻れる可能性は百に一つ。

しかも妓楼の店主達は「忘八」・・・情けも涙もない連中です。

我が家の山の神は早々に視聴を見限ってしまいましたが、文聞亭はもう暫く頑張ってみます。

その間に・・・明るいストーリーになるのか???

鱗形屋の重版事件

重版とは海賊版の出版・・・盗作事件です。

テレにではどこかの小藩に頼まれて、鱗形屋が店を挙げてやった仕事・・・と描いていましたが、処分を受けたのは主犯の手代で、江戸から十里四方の所払いになっています。

鱗形屋は管理責任を問われて罰金刑(二十貫文)で済んだ・・・というのが史実のようです。

版木七十一枚、三千四百冊もの海賊版を刷ったと云いますから・・・これは手代の裁量では出来ません。

企業ぐるみの犯罪でした。

鱗形屋はこの事件の後も出版を続けていますが、信用失墜の影響は大きく、営業成績は先細りになっていったようです。

言葉遊び

今回のドラマには毎回何某かの言葉遊びが入ります。

こういう言葉遊びが江戸っ子の流行だったようで、掛け合いが出来るほどに男が上がる・・・場末の居酒屋などではそんな雰囲気だったようです。

それを漫画にして青本にしよう・・・と蔦重と鱗形屋が企画を練っていました。

この言葉遊び・・・私には寅さん、渥美清さんが香具師(露天商)としてバナナのたたき売りをしていた場面が好きでしたね。

なんとも名調子で・・・宴会芸に練習してみたこともありましたが、中々難しく、降参でした。

寅さんの名文句を並べてみます。

結構毛だらけ 猫灰だらけ お尻の周りはクソだらけ

タコはイボイボ ニワトリゃ二十歳 芋虫ゃ十九で嫁に行く

黒い黒いは 何見て判る 色が黒くてもらい手なけりゃ 山の烏は後家ばかり

もうやけくそ やけのやんぱち 日焼けのナスビ

色が黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たぬ ・・・つうやつだよこれ!

あなた百までわしゃ九十九まで 共に虱のたかるまで ときやがった さあどうだい

四谷 赤坂 麹町 チャラチャラ流れるお茶の水 粋な姉ちゃん立ち小便

白く咲いたが百合の花 四角四面は豆腐屋の娘 色は白いが水くさい ときやがった

蔦重と寅さん、時代は違いますが、こういう言葉遊びは・・・演じる役者次第ですね。

渥美清・・・寅さん 山田洋次  江戸文化の故郷ですねぇ。

さくら・・・も

馬に乗れる御家臣はおありか・・・ ウッシッシ・・・ 日光社参

松平武元以下の古参老中が田沼イジメをやっていました。

主題の文句がそれです。

田沼家は紀州藩の足軽の家柄です。

足軽とは歩兵・・・馬に乗る騎兵ではありません。

戦国時代の軍制では「騎兵1に歩兵3」が兵力の最小単位でした。

騎兵=武士に足軽が3人従います。

騎兵は弓を持ち、まずは弓あわせから始めます。

足軽①は轡取り・・・馬の轡(くつわ)を取り、先導します。

足軽②は馬の右手を歩き槍持ち・・・乱戦となったときの武器、主人の槍を持ちます。

足軽③は馬の左側を歩き騎兵の弱点・左を守ります。

田沼家はそういう足軽の家でした。

部屋住みだった時代の吉宗の足軽②のような役割だったのが意次の父親です。

吉宗・暴れん坊将軍・が紀州藩主、将軍と出世して、一小隊ガードマンが、藩主のガードマンに、そして将軍様のガードマンにと出世してしまいました。

収入は10石程度から100石に、そして400石になりました。

所得40倍増

そういう家柄ですから殿様である意次が馬に乗ったことがありません。

将軍秘書官として内勤ばかりですから、馬術、剣術、槍術、柔術とは無縁です。

大名となって家臣を大勢抱えますが、家の成り立ち、成り行きから経済官僚ばかりで、武辺者は殆どいなかったでしょうね。

日光社参に向けて大名行列を組むとなると、騎馬兵が必要になります。

最低でも先駆け二騎、後衛二騎、殿様の馬と替え馬・・・田沼意次が馬に乗れたかどうか危ないところですが、轡取りがいて、老馬なら安全ではあります。

経済、財政的理由もありますが、意次にとって日光社参は「やりたくないイベント」ですね。

濡れ手に粟餅

後の火盗改め、長谷川平蔵が鱗形屋の立ち入り捜索に登場しました。

蔦重との間で交わされた掛け合い言葉が「濡れ手に粟餅」

濡れ手に粟・・・という慣用句はありますが「濡れ手に粟餅」という慣用句はありません。

こういうダジャレこそが江戸の下町文化だったのでしょう。

濡れ手に泡・・・というダジャレもあります。

頑張っても何も手に残らない・・・と、「濡れ手に粟」の正反対を表現します。

こういう洒落、駄洒落を広報したのが「青本」でした。

鱗形屋の自滅で、蔦重に独立の好機がやってきました。

さぁて・・・何をやるか?

まず手がけたのは「吉原細見」です。

吉原のタウン広報誌、ガイドブックの新年度判です。

版元が代わった・・・と知らしめる目的も含めて冊子の大きさを変えます。

従来がB6番程度であったものを、一回り大きなA5にします。

白黒だけだった印刷にカラーを交えます。

明らかに「変わった」というイメージ戦略、これが蔦重の真骨頂でしょうか。

好評で売れ行きが伸び、吉原の宣伝になります。

蔦重の利益が残るのは当然として、鱗形屋の仕事にあぶれた絵師、彫り師、摺師たちの生活保護にも繋がります。

出版という作業は分業制だっただけに、版元の盛衰は傘下の職人達にとっても重大な関心事でした。

「鱗より蔦」そういう雰囲気が漂ってきます。

そう・・・雰囲気だけなのですが、それが何かのきっかけで大化けします。

兵庫県知事選挙・・・SNSという環境で醸成された雰囲気が、予想外、仰天の結果を演出しました。

東海道五十三次絵図5 戸塚

痴話で口説くは 信濃坂 戸塚前

藤沢寺の 門前で

こちゃ とどめし

車そ 網でひく

こちゃえ こちゃえ

箱根駅伝で名高い権太坂は保土ケ谷宿と戸塚宿の境にあります。

信濃坂とも言います。

愚痴が出るほど・・・辛い上りでした。

佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び

などという川柳がありますが、「イザ、鎌倉」と駆けつける武士達にとっても、鎌倉に入る前の難所の一つでした。

鎌倉を起点とした鎌倉街道や、大山街道などが、ここ戸塚を起点として各方面に分かれていきます。

鎌倉時代以来の交通の要衝、いわば鎌倉のターミナル駅でした。

戸塚は武蔵と相模の境でもあります。

つまり戸塚からが相模国です。

現在の神奈川県=相模国と誤解しやすいですが、横浜市の大半は武蔵の国、いわゆる南武地方です。

写真

江戸を発った東海道の旅人は、健脚ならば最初の宿泊地は戸塚になります。

箱根駅伝の2区から3区への中継点ですね。

江戸を発って40km、約10時間の距離です。

広重の絵にあるのは

吉田大橋とその橋詰めの米屋です。

ここが戸塚宿の入り口ですね。

歌舞伎、忠臣蔵ではお軽勘平の道行きに吉田大橋が登場します。

「まだ花寒き春風に、柳の都 後に見て、気もとつかわと吉田橋」

という台詞があります。

ところで戸塚宿の広重の絵・・・実はこれが歌川広重の最初の絵でした。

この絵が爆発的にヒットし、その後の53次絵図へと展開していったと言います。

写真

印刷に使った版木がすり切れて、もう一度彫り直すほど売れたと言われます。

歌川広重、安藤広重ばかりではなく、葛飾北斎も戸塚を絵にしています。

写真

北斎は右手に釈迦如来のような大仏を書いていますが、鎌倉・長谷の大仏をイメージしているのでしょうか。