てやんでぇ 第12回 座頭金疑惑

作 文聞亭笑一

先週は吉原の俄(にわか)祭が中心でした。

吉原内での祭の主導権争い、それを利用して錦絵や黄表紙などの商いで儲けようという版元達の思惑、更には作家、画家などが絡んで複雑な展開でした。

競争が祭を盛り上げ、祭で来客が増えれば対立も丸く収まる・・・そんなストーリーでした。

吉原が好きで、吉原を藩の社交場としている戯作者の朋誠堂喜三二が、段々と蔦重と親密になっていきます。

相棒の画家・恋川春町も同様で、それが鱗形屋の収入源である黄表紙の売れ行きに影を落とします。

吉原と縁が切れたことが・・・鱗形屋の凋落に繋がりました。

儲けが薄くとも、定期刊行物を持つことで出版業の足場が固まります。

黄表紙は当たれば大儲けですが、毎度、毎度ベストセラーというわけにはいきません。

窮地に立った鱗形屋がどうするか? それが今週のテーマになるようです。

鱗形屋、再度の重版

重版とは・・・海賊版、盗作のことです。

偽札作りにも似た犯罪ですから、発覚したら重罪として逮捕、拘束されますね。

店も倒産するしかないでしょう。

鱗形屋の次男はその後西村屋に養子に入り、西村屋の跡を継いでいます。

親子二代にわたって蔦重のライバル? 仇役? として物語を盛り上げてくれそうですね。

さて、この重版事件をきっかけに、鱗形屋の借金が座頭金であることが明るみになり、さらには座頭金の実態を調べる内に、それが多くの旗本達を苦しめている事が明るみに出て、政治問題化しました。

現代で云えばバブル崩壊後にあった「サラ金地獄」のような話です。

公務員の多くがサラ金地獄に嵌まってしまった・・・と言った感じでしょう。

幕府が調査に乗り出します。

その役割に選ばれたのが長谷川平蔵・・・後の鬼平でした。

・・・というのが脚本で、実際に鬼平がこの事件を担当していたのかどうかは記録がありません。

が、しかし・・・その方が面白いですし、平三が吉原で散財していたという物語の前半が繋がってきて、平三と蔦重の関係などが面白く描かれそうですね。

長谷川平蔵宣以

池波正太郎の「鬼平犯科帳」のモデルになった鬼平です。

400石旗本・長谷川家は代々平三を名乗り、三代にわたって火付盗賊改の役職に就きます。

ですからこの物語に登場するのは何代目の平三かですが、物語の展開から見て二代目平三宣以(のぶよし)ですね。

初代・父親(宣雄)は火盗改のあと京都町奉行となり、二代目(宣以)も京都に従っています。

その時に、三代目(宣義)が生まれます。

父親は真面目で倹約家だった人だったらしく、かなりの遺産がありました。

それを、吉原で遊興費に散在してしまったのが二代目・鬼平です。

当時は西の丸詰めの書院番(若君の秘書官)といった役割だったと思われます。

田沼政権下では、内閣府調査官といった役割でしょうか。

火付盗賊改・鬼平として数々の事件を解決し、大泥棒を捕縛するなど活躍し、さらには、彼の功績として知られる「人足寄場」の運営に尽力するのは、松平定信の寛政改革以後です。

この時は「座頭金」高利金融業者の実態調査を担当しています。

鬼平は後に人足寄場(江戸の無宿人・・・浮浪者・犯罪予備軍・前科者の収容所)を開き、彼らに大工、建具、左官、料理などの技術を覚えさせ、職を与えて更正させる部署を経営しました。

その折り、予算の足らない分を、銭相場を操作して金を賄ったと云います。

そういう商人モドキの、相場師のようなテクニックは座頭金調査の時に知った知識か、それとも蔦重など吉原や出版業者からの入れ知恵か・・・いずれにせよ町人達との付き合いがあり、情報源を持っていたから出来る事でした。

定信の改革が教条的というか、机上論が多くて不評だった分だけ、鬼平の施策は世間の人気でした。

田螺金魚の「契情買虎の巻」

この本が刊行されたのは1778年です。物語の一年後でしょうか。

話の筋書きは(Wikipediaより)

瀬川は吉原・松葉屋の花魁で、その美貌と人柄で広く名を馳せていた。

ある日、瀬川は客の五郷と出会い、かつての亡夫に瓜二つの彼に強く惹かれていく。

二人は密かに将来を誓い合うが、巨額の財力を誇る鳥山検校が、瀬川を高額な身請金で強引に落籍してしまう。

瀬川と五郷の恋は無残に引き裂かれ、瀬川は検校の屋敷に移るも、やがて悲嘆の果てに命を落とす。

十返舎一九らによる後日談作品でも瀬川の最期が描かれている。

物語は瀬川の死によって幕を閉じ、残された五郷と幼子の行く末を読者の想像に委ねている。

契情買・・・とは傾城(城を傾けるほどの美人)買いをもじっていますね。

だいたいペンネーム自体がふざけています。

「タニシや金魚同様に泥田の中を泳ぎ回っている」と卑下しています。

田螺金魚が得意としたジャンルは「洒落本」と言われる分野の小冊子です。

大きさが半紙の1/4で丁度、板こんにゃくと同じ大きさなので蒟蒻本などとも呼ばれました。

内容は江戸っ子の「粋(いき)」を語るものが多く、「粋」を持ち上げ野暮を笑うと言った内容が殆どでした。

現代で云えば寅さん映画とか、釣り馬鹿映画とか・・・そんな雰囲気の物語です。

田螺の後を山東京伝とか、太田南畝が受け継ぎ、そして十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や式亭三馬の人情本へと繋がっていきます。

田螺金魚の作品には善光寺のご開帳をテーマにした「一事千金」や、吉原と岡場所の客引き争いを合戦に見立てて会話調で綴る「淫女皮肉論」などがあります。

東海道五十三次絵図 12 沼津

七、酒も沼津に 原つづみ 吉原の

  富士の山川 白酒を

こちゃ 姐さん だしかけ蒲原へ

こちゃへ こちゃへ

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「沼津黄昏たそがれ」と題される絵です。

狩野川沿いの道でしょうか、東から満月が上がってきていますから、京から江戸へ向かい沼津宿の手前の風景ですね。

母子連れの旅人の後には天狗の面を背負った山伏のような白装束の行者が続きます。

歌の方はおふざけ、ダジャレですね。

酒も沼津に(酒も飲まずに) 原つづみ(腹鼓) 吉原の(江戸の吉原を掛けています)

冒頭に掲げた絵は歌川広重ですが、広重は富士を入れた構図も描きます。

馬に乗ったお侍の後を槍持ちの足軽が駆けています。これも狩野川の河畔でしょうか

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現代の沼津市を俯瞰すると右の写真のようになります。

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中央を流れるのが狩野川、遠くに富士山の頂上付近が見えますが、愛鷹山に遮られて宿場からでは見えなかったかも知れませんね。

沼津の名所と言えば、現代では沼津漁港と魚河岸、沼津から田子の浦へと続く海岸線の千本松原、それに沼津の御用邸でしょうか。

すでに御用邸としての役割を終えていますが、明治の建築様式が残る観光名所として観光客に解放されています。

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