てやんでぇ 第11回 飛躍への出会い

作 文聞亭笑一

先週、身請けされた花魁・瀬川はドラマに再登場することはあるまい・・・と早とちりをして 「その後」などを書いてしまいましたが、鳥山検校の奥方として登場してきましたねぇ。

蔦重の支援者として、まだまだ活躍するかも知れません。

前回の放送では、蔦重の相棒として活躍する作家や絵師、それに浄瑠璃役者、歌舞伎役者などが登場し、さらに源内先生はエレキテルの実験をしていました。

その辺りをなぞってみます。

馬面大夫と門之助

当時の芸能界で流行していたのが歌舞伎と浄瑠璃節です。現代で云えば

歌舞伎役者・・・映画俳優、舞台俳優、エンタテナー、芸人

浄瑠璃節 ・・・流行歌、歌謡曲などの歌手、アイドル歌手、シンガーソングライター

呼び方はいろいろですが、どちらも「人気役者」ですね。

江戸のスターです。

とりわけ馬面太夫は女性客に大人気で、ドラマでもあったように「追っかけ」に取り巻かれていたようです。

一時代前のアイドル歌手と言ったところでしょうか。

昭和で云えば御三家(橋、舟木、西郷)みたいなものでしょう。

(例えが古すぎますね・・・笑)

顔が長いので・・・馬面とあだ名が付きましたが、顔が長いと云っても舟木一夫程度でしょう。

そういえば私の中学の担任教師が馬面なので「馬」とあだ名を付けたり、歩き方から「丁鉋首」などとも呼んでいましたね。

書類をどこに仕舞ったか・・・、直近のことを忘れて大慌てをしますが、そういう、昔の古いことは忘れません。

馬面太夫は浄瑠璃語り・富本節の二代目です。

その美声と節回しの巧みさで人気を得たと云います。

物語(作詞・歌の文句)や節回し(作曲)は芸人のオリジナルですから、シンガーソングライターですね。

勿論、伝統的節回しや、父親から受け継いだ節回しが基本でしょう。

太夫の芸は演芸の元締め・鳥山検校の認可を得て、さらには幕府にも公認されて「馬面豊前」という官名?らしきものまで名乗ります。

その歌詞本を手がけたのが蔦重で、耕雲堂が江戸市中に進出するきっかけになります。

富本節が好きだった殿様に名君と謳われた出雲・松江藩主の松平不昧公がいます。

不昧公は

馬面太夫に句を送ってその芸を称えています。

  七重八重 野辺の錦や 桜草

  (下々の芸の中でも八重咲きの花のように素晴らしい芸だ。お城の桜にも匹敵する)

これをうけて太夫は家紋を「鶴」から「桜草」に変更しています。

富本節は常磐津節と並んで大人気を博しますが、後に清元節が分派し、勢いを失います。

が、それはずっと後の話です。

馬面太夫の相棒として登場する歌舞伎役者が市川門之助。

現在の歌舞伎座で活躍している門之助は8代目ですが、ドラマに登場する門之助は2代目です。

名跡が現代にまで残りますから名優だったのでしょう。

二代目門之助を描いた役者絵です。

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源内のエレキテル

源内がなにやら不思議な箱を弄っていました。

エレキテル発生器だそうで、・・・要するに静電気発生器です。

源内が考案したわけではなく、田沼意次後援で出張した長崎留学の折に、オランダの商人から預かったものです。

預かったときには既に故障していてガラクタ同然だったようで、それを聞きかじりの知識と、電気知識の文献を頼りに修理してしまうのが源内です。

蔦重が訪ねた折にはその修理中だったようです。

何に使うか・・・医学用途、病気の治療に効くと信じていたようです。

静電気ですから冬場に車のドアや玄関ドアでピリリと来るアレですね。

現代でも通販で「医療機器」として売っていますが何に効くのでしょうか。

ともかくあの機械は源内以来です。

脱線しますが、源内の後継者というか・・・発明人の系譜に東洋のエジソンと言われた田中久重がいます。

田中久重というより・・・カラクリ儀右衛門の方が、通りが良いですね。

儀右衛門は佐賀・鍋島藩の生まれで、近くに長崎という文化の流入口がありましたから学びの環境には恵まれていました。

知的能力の高さもさることながら手先の器用さも抜群で、からくり人形を作り、小型の蒸気機関車まで作ってしまいます。

それを佐賀藩の殿様に認められて反射炉の建設、大砲作りに生かします。

明治維新の折に佐賀藩が持っていたアームストロング砲は儀右衛門の作品です。

維新後、田中久重は日本初の機械会社を作ります。

田中機械から芝浦製作所へ、東京電気と合併して東芝へ、と繋がっていく創業者の一人です。

この辺りは読者に東芝出身の方がいますし、その一人は東芝記念館の元館長ですから、別途、情報が頂けるかも知れません。

作家達との出会い

蔦重にとって、本屋として躍進する上での相棒に出会います。

作家の朋誠堂喜三二、画家の恋川春町の二人です。

ドラマでは朋誠堂が蔦重の店で立ち読みする場面、恋川が鱗形屋で息子に絵を描いている場面が流れました。

注意していないと解らないチョイ役でしたが、登場するのはこれからですね。

朋誠堂喜三二・・・本名;平沢常富

秋田藩江戸留守居役 120石取りの武士です。

留守居役筆頭にもなりますから秋田・佐竹家では重要な外交官ですね。

現代の企業で云えば東京支店長といった役割でしょうか。

この人は遊び人というか、多才な人で幾つものペンネームを持ちます。

得意としていた狂歌の分野では手柄岡持と名乗ります。

狂歌とは和歌、短歌の57577で、政治、社会の風刺をします。

岡持とは弁当などの食べ物を運ぶ道具です。

手柄岡持とは取っ手が付いた岡持のことですから、気楽さを表現したのでしょうか。

そのほかにも通称として平角、知足、愛洲などと名乗りますし、俳句を詠めば雨後庵です。

笑ってしまうのは笑い話作家としてのペンネームで道陀楼麻阿(どうだろう、まあ)ですね。

恋川春町・・・本名;倉橋 格

この人も侍です。

駿河・小島藩の120石取り年寄本役ですから・・・1万石の小島藩では役員クラスでしょうね。

同じ120石でも50万石の佐竹藩とは格が違います。

小島藩松平家・・・興津川流域を領地にします。

鱗形屋に重版を依頼した犯人の藩でもあります。

東海道五十三次絵図 11 三島

登る箱根の お関所で

ちょいと捻り 

若衆の物とは 受け取れぬ

こちゃ新造じゃないよと

ちょいと三島

三島と言えば・・・、ノーエ節

♪ 富士の白雪ゃノーエ ・・・から始まって

  白雪ゃ朝日に融ける

  融けて流れてノーエ

  流れて三島にそそぐ

三島女郎衆はノーエ、女郎衆はお化粧が長い

お化粧長けりゃノーエ 長けりゃお客が困る

学生時代にコンパで歌ったノーエ節です。

こういうことしか覚えていない、こういう発想しか出てこないのが昭和の爺ですねぇ。

しかし、このノーエ節は明治に流行った歌です。

江戸の街道筋で歌われたのではありません。

横浜の野毛山から異人館を眺めて歌われた野毛節がルーツだと言います。

  代官山からノーエ 代官山からノーエ 代官サイサイ

  山から蒸気船みれば 太い煙突ノーエ

  黒い煙がノーエ 黒いサイサイ 煙が横に出てる

高校時代のノーエ節の替え歌、野球部・応援歌を思い出しました。

敵のヒョウロク球 どえらく殴れ 天守閣まで打ち上げろ それ スコンク・ノーエ

三島は三嶋大社の門前町で、伊豆の国の国府です。

古代からの行政府です。

街道絵図にも鳥居と灯籠が遠景に描かれます。

この絵が朝方なら、駕篭や馬は箱根越えに向かう旅人でしょう。

いよいよ山登りです。

夕方なら、箱根を越えて疲れ切った旅人でしょうね。

大社にお参りするよりも体を休めたい・・・と言うところでしょうか。

伊豆の国は今でこそ静岡県ですが、江戸時代は関八州に含まれています。

関東地方の扱いでしたし、江戸幕府の天領でもありました。

代わりに関東から外れていたのが常陸、茨城県です。

戦国期に関八州を制覇した小田原北条・・・などと言いますが、常陸には進出できませんでした。

常陸の雄・佐竹が北条の進出を阻止していました。

家康が連れション人事で関八州へ異動したとき、家康は伊豆ではなく常陸が関八州だと思っていました・・・が、常陸の佐竹は「徳川が源氏だというのは嘘だ」と広言する、家康にとって嫌な奴です。

それが異動すると思っていたら・・・常陸でなく伊豆が八州でガッカリしています。

しかし、伊豆を天領にして箱根峠、足柄峠の防御を完璧にします。

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