六文銭記 05 天正壬午の乱

文聞亭笑一

本能寺の変、時の権力者、信長・信忠親子の殺害で天正壬午(てんしょうじんご)の乱の幕が切って落とされました。織田軍団にとっても内部の大爆発で大騒ぎですが、織田勢と干戈(かんか)を交えていた周辺の勢力にとっても一気に情勢が変わります。権力が信長一人に集中し過ぎていただけに、その権力者が消えた渦の大きさは計り知れぬほどのものがありました。

北陸戦線・・・柴田勝家VS上杉景勝

真田にとっては今後の展開に影響の大きい部分です。この時期の主戦場は越中・魚津城の攻防でした。織田勢の最強部隊である柴田、前田利家、佐々成政といったところが数を頼んで猛攻するのに耐えられず、魚津城が陥落したのは事件の2日前でした。魚津が落ちれば、次は親知らずの難所を越えて越後国内に攻め込んできます。上杉の本拠地・高田の春日山城に迫ってきます。

さらに、国内の反乱軍である新発田勢が下越地方(新潟市より北)を支配し、織田軍と呼応して西と東から挟み撃ちにする勢いを見せています。これに上州から滝川一益が中越(長岡)へ、信濃から森長可(ながよし)が下越へと攻め込んで来たら袋の鼠、風前の灯火といった状況でした。

一方、東北では新興・伊達政宗が影響力の衰えた上杉の隙をついて会津占領に動いています。

旧武田領国

甲斐では河尻秀隆が苛烈な残党狩りに精を出していました。「降伏すれば本領安堵、仕官も考える」などと甘い餌をばらまき、それに誘われた者たちを容赦なく処刑するなどというだまし討ちのような手法も使い、信長が本願寺や長島一向一揆でやったような恐怖政治をやっていました。国人たちは山中に逃れ、反撃、反乱の機会を待ちます。百姓たちとて同様で、武器などが見つかれば何をされるかわかりませんから必死で隠します。金銭や米穀なども、見つかれば矢戦(軍事費)と称して取り上げられますから隠蔽します。「野盗、山賊よりもひどい」と言われましたから想像を絶するほどの略奪をやったようですね。それというのも「甲州には碁石金がふんだんにある」という評判があったからでしょう。河尻軍の軍兵たちはそのありかを探して鵜の目、鷹の目で捜し歩いていたのでしょう。

信濃では早めに武田を裏切って織田に臣従した国人が多かったこともあり、甲斐ほど苛烈な処遇にはなりませんでしたが、それでも重税には泣かされたようです。命だけは助かったけれど、財産は根こそぎ持っていかれた…というのが実態だったようです。

関東戦線・・・滝川一益VS北条氏政

前号で紹介した通り、滝川軍は戦わずして上州一円を征服し、北武蔵(埼玉県北部)までも手中に収める勢いでした。武田を席巻した織田軍の勢いに、草木も靡くといった感じです。

ですから滝川一益としては信長からもらった「関東管領」の名に相応しい陣容を整えるべく、余裕の軍略を練っていました。司馬遼などの戦国物語では地味な存在として描かれますが、明智光秀、羽柴秀吉と並んで信長が抜擢した人材だけに、優秀な軍人であったことは確かでしょう。とりわけ鉄砲部隊を使った戦術に秀でていたようです。

ただ、信長の躍進に乗って急成長を遂げた集団だけに、結束力、忠誠心と言う点では脆さを抱えていました。攻めには強いのですが、守りに弱いという集団です。現代のIT関連の新興企業とよく似た体質だったように思います。信頼できる家臣団を手元に持たない組織ですね。

情報伝達の不思議さ

「信長死す。明智が京を占拠」という超ビックニュースはどういう伝わり方をしたのでしょうか。公式情報は光秀から味方を募るという形で流されます。丹後の細川、奈良の筒井、そして、備中高松城で秀吉と対戦中の毛利などに飛びます。東にも上杉、北条などに使者が飛んだと思われますが、史料や歴史小説などではあまり取り上げられていません。

ただ、北信濃から上杉領内に進軍中の森長可(ながよし)には急使が飛んだはずです。本能寺で信長に殉じて死んだ森蘭丸、坊丸兄弟の兄ですからね。その家臣や身内が、いち早く伝達するはずです。

更に・・・米、武器、弾薬などを扱う軍需商人の情報が駆け回ります。彼らにとっては勝つ方に売らないと資金を回収できません。こちらも必死です。京から全国の津々浦々に向けて情報が飛び交います。どこかで妨害が無ければ2,3日の間には全国に知れ渡ったものと思われます。

山陽道では、秀吉と黒田官兵衛が必死の情報管制を敷きましたよね。

上信にいた滝川一益を含め織田勢に情報が届くのが遅れました。ということは中仙道筋でも、どこかで誰かが情報管制をしたと思われます。情報の狭い所、つまり街道の要所と言えば木曽ですね。箱根、鈴鹿などと並んで有名な木曽福島の関所・・・ここで情報が停まったのではないかと思います。つまり、止めたのは木曽義昌?!

名門のプライド

本能寺の変から山崎の合戦に掛けて、明智方ではなかったのに…没落した家があります。

旧武田家の生き残りである穴山梅雪(駿河)と木曽義昌(中信濃)です。この二人、明智方と気脈を通じていたのではないか…と、私は推理しております。

明智光秀は信長と違って保守的思想の持ち主でした。天皇、将軍などの権威を重んじ、土岐源氏の出身であることを誇りにしていました。その意味では、旭将軍義仲の末裔である木曽義昌、甲斐源氏本流に最も近い血脈を持つ穴山梅雪の二人は、光秀と気脈が合います。もしかすると…この二人には決行前に情報を流していたのかもしれません。上杉の家老・直江山城が決行の前に予言めいた光秀の手紙を受け取っているのも、推理の根拠の一つです。

では、なぜ? 穴山梅雪は家康と一緒に逃げたのか?

大胆に推測すれば、穴山は家康を光秀に捕らえさせるために同道したのではないかと思われます。家康をつきだして、自らは副将軍格に座ろうと思っていたかもしれません。穴山自身は僅かな手勢しか連れていませんから、徳川の猛者連中に守られている家康の首を取って、明智への手土産にはできません。味方を装って逃げながら、明智の軍兵が張っている罠に誘導したかったのでしょう。だから宇治方面経由の京に近い道筋を提案しました。が、この工作に失敗し、木津川で別れます。梅雪は野盗・落ち武者狩りに殺られた・・・ということになっていますが、実は徳川に殺られたのではないかと思います。家康の逃走計画を知っていますからねぇ。生かして置いたら明智方に先回りされてしまいます。家康に同行している服部半蔵など忍者部隊がいますから、近在の土豪などに「良い鴨が来るぞ」と耳うちすれば襲うのは簡単です。しかも、忍者たちが手を貸せば、逃がす心配もありません。ともかく…偶発的事故ではなかったと思います。

一難去ってまた一難

真田家にとって武田から織田への鞍替えは実に危険な賭けでした。一歩間違えば首が飛びます。そこを潜り抜けて、滝川の与力として頭角を現そうとした矢先の事件です。

織田軍団は崩壊する…と読みました。僅か三月の付き合いで「織田軍は信長のカリスマ性で保っている」と読み切ったのでしょう。これは信玄のそば近く使え、勝頼の参謀として、崩れゆく武田軍団を見てきた経験がものを言ったのだと思います。

しかし、すぐに鞍替えすることはできません。上州には滝川一益がいて、北信には森長可がいて、甲斐にも河尻秀隆がいます。彼らの動向を見ながら、タイミングを計らなくてはなりません。

真田信伊(のぶただ)を使っての裏工作をしつつ、近在の仲間たちには陽動作戦を取りつつ、かつ、上司である滝川一益には面従腹背で演技を続ける…かなりな役者的才能がないとできませんねぇ。

安土城炎上

安土城は信長が権威の象徴として建てた一大楼閣です。金に糸目をつけず、当時の技術文化の最先端を行く最高の芸術作品でした。これが…完成後一年もたたずに跡形もなく消え去ってしまったことは、文化史上の痛恨事ですが…なりゆきですねぇ。仕方がありません。豪華絢爛を誇った平安期の京都御所も、大阪城も、江戸城本丸もすべて残ってはいません。

歴史小説家は安土城を自ら焼いた信長の次男・織田信雄をバカ者扱いにしますが、権威の象徴を明智に渡したくないというのは、当時の状況から見て当然です。明智の10日天下と結果論から言われますが、事件直後は明智光秀が朝廷の後ろ盾を得て、信長の後継者になる可能性が最も高かったのです。その光秀に安土城を渡してしまえば、可能性をより高めてしまいます。政治的、軍事的に見て妥当な判断だったかもしれないのです。第一、広島の片田舎で毛利の大軍と対峙している秀吉が、7日ばかりの内に軍勢を整えて関西に舞い戻るなどと予想した者は皆無です。

山﨑の合戦、天下分け目の天王山が起きるのは、早くても三月後というのが常識です。

その意味でも秀吉・官兵衛の「中国大返し」というのは想像を絶する超ウルトラCですねぇ。当の光秀だけでなく、伊賀の山中を逃げ回る家康にとっても、魚津に居た柴田勝家にとっても、上州に居る滝川一益にしても、その配下の真田昌幸にしても「想定外」としか言いようがないでしょう。

今週の番組は信長が死んでからの3日間を、信州と安土を舞台に詳細に綴るようです。

ですから…、秀吉の動きは登場しません。来週のお楽しみといったところでしょうね。

それにしても…当時の時間感覚からして、真田が情報を知るのが早すぎます。しかも、木曽谷で情報管制が敷かれていたとすれば、もっと遅れて良いはずです。

ここらでしょうね、真田が生き残った秘訣は…。

たまたま、織田に差し出す人質を連れて幸村(信繁)が安土に滞在していた…という設定にしていますが、京、安土には真田情報機関があったでしょうね。事件を知って安土から馬を飛ばしたと思われます。真田家先代の幸隆は浪人中に博労(馬商人)をしていましたから、乗り継ぎの馬も次々に手に入ったでしょう。真田軍は馬術でも最高の技術レベルにありました。情報封鎖前に木曽谷を駆け抜ければ、一昼夜で上田までの400kmを走破できるかもしれません。乗り手も交代しての話でしょうけどね。

ここ数回、幸村(信繁)と女性との恋物語が緩衝材として挿入されていますが、それには全く触れずに申し訳ありません。あの部分こそ三谷脚本の創作ですから…あしからず。

ただ、主人公を演じる堺雅人のニヤケ顔が…イメージに合いませんねぇ。主人公を「幸村」と表現してきましたが、ヤッパリ信繁に変えましょうかね。幸村のイメージが壊れます。(笑)